龍の声

龍の声は、天の声

「シラスとウシハクについて」

2016-10-27 07:05:48 | 日本

日本国及び日本民族(国体)というものが、よくわかる論文があった。
以下、要約し記す。


シラスとウシハクのことについて、詳しくみる。

日本は、民衆が「おおみたから」とされた国である。
それがはっきりと成文化されたのが大化の改新。
けれどそれよりももっと古く、国の建国よりも、もっとはるかな昔から、それはわたしたちの国の根幹の統治手法、つまり日本の常識であった。

そのことは「国譲り神話」に明確に出てくる。
「国譲り神話」というのは、出雲地方を治めていた大国主神が、大和朝廷(高天原勢力)に国を譲り渡したという日本神話である。

このとき国を譲り渡したのが大国主神(おおくにぬしのみこと)。
大国主は、譲渡の条件として、「私の住処(すみか)として、大地の底まで宮柱が届き、高天原まで千木が高くそびえ立つほどの、大きく立派な神殿を建ててください。そうすれば私はそこに隠れましょう」と言い、そうしてご創建されたのが出雲大社である。

「国譲り神話」は、わたしたちの国が、戦(いくさ)よりも話し合いで解決する精神や、敗れた側を皆殺しにしたりするのではなく、その名誉を讃え尊重するという日本的心の教えとして紹介されることが多いのだが、実はもうひとつ、大切な教えがある。
それが、昨日、ちょっとご紹介しました、「シラス」と「ウシハク」である。

大国主神というのは、若い頃は大穴牟遲神(オオナムチノミコト)という名だった。
有名なエピソードとしては、因幡の白ウサギの物語がある。

オオナムチは、80人もいる兄貴たちから、ひどいイジメを受けるパシリ君だった。
けれど、一生懸命努力して自分を鍛え、また母や仲間たちの助けも借りることで、最後に「大いなる国の主(ぬし)」になった偉大な主(ぬし)である。
「大いなる国の主(ぬし)」だから、「大国主神」(おおくにぬしのかみ)というわけである。

そしてこの名が明らかなように、実は大国主の治政のやり方は、国の主人となる、すなわち領土領民を私的に支配してその上に君臨する、という統治形態であったとわかる。
この統治手法、すなわち「領土領民を私的に支配する」という方法を、「ウシハク」という。
「主人(うし)」が「履く(はく=所有する)」つまり、主人が自分のものにする、という統治手法である。

だからこの「ウシハク」は、「国の主人となって領土領民を私的に支配すること」、すなわち西洋や大陸のかつての王国で行われたことや、国家による他民族の奴隷的支配構造などにおける統治手法を示す言葉である。

そして大国主が、この統治手法の神であったことから、天照大神(あまてらすおおみかみ)様を筆頭とする高天原の八百万の神々は、これを否定する。
天上の神々は天の安河(あめのやすのかわら)で会議を開き、地上の統治を天上に委ねさせることに決定したのである。

そして天照大神(あまてらすおおみかみ)の使いは、次のように大国主神に述べて、国譲りを迫った。
天照大御神の命もちての使せり。汝(な)が領(うしは)ける葦原の中つ国に、我(あ)が御子の知らさむ国と言よさしたまへり。かれ汝が心いかに。(古事記)

使いとなられたのが武門の神様である建御雷神(タケミカヅチノカミ)である。
古事記には、建御雷神が出雲の国の伊耶佐(いざさ)小浜(おはま)に降りたたれ、そこで剣をいて、波の上に逆さに刺(さ)し立てて、その剣の切っ先に大あぐらをかいて、大国主神に国譲りを迫ったとある。

そしてこのときの言葉の中に、
1 大国主が領(うしは)ける国
2 我(あ)が御子の知らさむ国
という、明確な対比が出てきます。

この「知らさむ国」の「知らさむ」が、「シラス」である。
「シラス」は、古い日本の言葉で、「シラス、シロシメス」などと活用されている。
「シラス」は、「シメラフ」とも活用され、これを漢字で書くと「統(し)めらふ」、つまり「統(す)めらみこと、いやさか」の「統(す)める」となる。

どういう意味かというと、これは「知らしめる」で、いま風にいうと、何かをやろうとするときの情報の共有化である。
つまり「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有化し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して国造りをする。
そのときの中心核が「シメラフ」御存在となる。

情報は、共有化しただけでは、何も生まない。
そこに協力と共同があって、はじめて、具体的な動きとなる。
つまり特定の権威のもとに、みんなが集い、そこで情報を共有化して、みんなで、何事かを行う。
これが「シラス」における統治手法である。

この二つがどのように違うかというと、たとえば新田の開墾工事を行うとする。
そのとき、主君の命令によって、民衆を強制的に使役して田を開き、開いた田は主君のものとする。
ひとりひとりの民衆は、自分が何のために狩り出され、そこで労働をしているのか、まったくわからない。
ただ、剣を突きつけられ、ムチでしばかれるから、そこで働いている
これが「ウシハク」による統治である。

これに対して「シラス」は、まずはみんなで「新田を開墾しよう」という問題意識を共有化する。
そのために、それぞれがどこを担当するかみんなで話し合って決め、決まった事をみんなで一致団結し、協力し共同して、これを実現する。
ブータン国で、西岡京治さんが行った手法が、まさにこれでである。

要するに大国主神は、若い頃からさんざん苦労して、やっと大いなる国の主となったのであるが、大国主が行った統治手法は、結果として、大陸の手法と同じ「王が国民を私有物として支配する」という構図だったわけである。
それでも国は富み栄えた。
だからこそ、天孫の使いも二度までも、大国主の国の虜(とりこ)になってしまい、帰らなくなってしまっている。

けれど、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御心は、この地上の統治は、そのような「ウシハク」ではなかった。
あくまでも君民一体、あくまでも「シラス」国つくりだったわけである。

大国主神は、この違いの意味を悟ったからこそ、なるほどと納得し、国譲りを行った。
そして、理解を示した大国主神を、高天原の人々は尊び、大国主のために天にも届く壮大な神殿を建てて、その功績を讃えたのである。
その神殿が、冒頭の絵にあるかつての出雲大社の復元図である。

いまの出雲大社は、図のような壮大な建物ではないが、平成12(2000)年に出雲大社の境内から宮柱の跡が出土した。
それは直径1メートルくらいの木を三本、金属で結んで大きな柱とし、それを合計9本建てるという壮大なものであった。
この発見によって、その上に建てられた大国主の宮殿は、なんと高さ48メートルにものぼる、巨大神殿であることがわかったのである。

平成15(2003)年に出雲大社を訪問された皇后陛下は、次の御歌を詠まれた。

 国譲り
 祀(まつ)られましし
 大神(おおかみ)の
 奇(く)しき御業(みわざ)を
 偲びて止まず

この歌にある「奇しき御業」というのは、「たぐいまれな業績」ということである。
めずらしい、めったにない御業であったと、皇后陛下は詠まれている。
そして、この「奇しき御業」とは、まさに大国主命が、国を譲ったことが、その後、大和朝廷が日本国を統一し、国を建て、その皇室が万世一系となり、国が栄えてきたことの歴史の起点にあたっての、大きな仕事であったことを指している。

要するに、世界中が19世紀までずっと「うしはく」という統治形態しか知らなかった世界にあって、唯一日本では、はるか太古の昔から「シラス」国を築いて来たし、それが天照大神(あまてらすおおみかみ)様の御心であるということなのである。

その「シラス」は、漢字で書いたら「統らす」である。
この統治の中心にあるのが、万世一系の天皇の御存在である。
天皇の御存在がなければ、「シラス」国つくりができないからである。

なぜかは、考えなくてもわかる。
選挙によって選ばれる政治権力者や、力や武力によって国を切り取る大王のような存在では、伝統的権威となりえないからである。
短期間の存在であり、政変が起きれば、政治の方向は、真逆に変わることもあるし、いまの正義は未来の悪、いまの悪は未来の正義となることもあるからである。
それが政治である。

そのような絶えず変化する存在を中心においたら、「シラス」ことはできない。
せっかくみんなで共同し、協力しあっても、その共同や協力が政権交替によって、突然、悪と断定されてしょっぴかれるなどという状況では、民衆が長く結束して、和と絆と結いを安定的に構築することができないからである。

なぜなら、民族というものは、歴史伝統文化によって育まれた価値観を共有する人たちの集団である。
ということは「シラス」ためには、その歴史的な伝統文化の中心核として、歴史伝統文化の中心核となりえる存在が必要だからである。

その中心核が、わたしたちの国では、天皇の御存在である。
万民が天皇の民となるということは、政治権力者も、その天皇の民のひとりである。
その政治権力者が統治する民は、天皇の民である。

したがって、誰もが権力者の私有民にはなりえない。
誰もが、あくまで天皇の民であることによって、権力者の私有民であることを否定される。

そして私有民でないということは、民衆のひとりひとりが自立した民であるということである。
ひとりひとりが、人間として扱われる。
人としての尊厳が守られる。
それが「すめらみこと」のおわす、日本のカタチである。

先般、支那の奥地で、14年間衣類を身につけることを許されず、両手を縛られたまま裸ですごすことを強要され続けた女性が保護された。
この女性は、幼女の頃に日本円にしてわずか3万円で男性に売られ、以後、ずっとこのようなモノや家畜、あるいは道具としての生活を余儀なくされてきた。
このような非道が、平気でまかり通ってしまう。
そのような民度の低さも、結局は、国そのもののカタチが、「ウシハク」であることによる。
大国主神が国譲りをした時代というのは、はるか太古の昔のことである。
日本を建国された神武天皇よりも昔の時代である。
そんな太古の昔から、わたしたちの国、日本は、「しらす」国を目指してきたわけである。

そしてこのことを、統治のために明確に様式化されたのが、7世紀の大化の改新である。
依頼、わたしたちの国は、ずっと、天皇という権威(その権威のことを「国体」という)と、統治のための政治組織(これを「政体」という)という、二本立ての国づくりをしてきた。

繰り替えしになるが、世界中、どこの国でも、すべての王朝は、国王が私的に領地領民を所有する体制である。
政治組織は、その所有という統治手法のためにこそ、成り立っている。

けれどもわたしたちの国では、天皇は政治を行わず、つねに政治に統治をするための権威を授けるという、政治より上位のお立場であらせられた。
そしてわたしたちは、天皇の民であることによって、政治権力者から理不尽な収奪や簒奪や暴力的支配をされずにすごすことができるという、国に生まれた。
これは、まさに人類理想の究極の民主主義といえるものである。

昨今では、多くの日本人が、漠然と、民主国家と君主国とは、なにやらかけはなれた概念で、君主国家はまるで民主主義国家とはほど遠い存在のようなイメージを持っている。

けれど、ヨーロッパを見たらわかるが、ヨーロッパは民主主義だが、その中の多くの国は君主国である。
君主国と民主主義は、何も対立概念ではなく、共存するものである。

そしてわたしたち日本人は、その民主主義の中の最高の民主主義を、歴史的伝統的文化的にはるか古代から築き上げてきた民族なのである。