龍の声

龍の声は、天の声

「大正時代の下町風俗」

2011-12-02 08:15:59 | 日本
「大正時代の下町風俗」


大正時代の江戸東京の下町風俗について調べてみた。
下町風情が一杯である。
以下、3回にわたり掲載する。

「大正時代の下町風俗①」

「長屋」
長屋は関東大震災(大正2年1923)まで数多くみられた平屋造り。座り流し台所の上には煙り出しと明かりとりのための引き窓がある。便所はこの時代、すでに各戸に設けられていた。座敷は居間であり、寝室でもあった。針仕事も食事もここで行っていた。夜は、ちゃぶ台をしまって布団を敷く。ガスや電化製品も普及していない時代だ。加熱や暖房には炭を用い、水は共同の井戸を使っていた。生活排水や雨水を流すドブがある狭い路地には物干しがあり、万年青(おもと)や雪の下などの鉢植えがある。井戸と同様に、ここも長屋の住人たち共有の空間であった。七輪などを出して、ここで煮炊きをすることもある。薄壁一枚によって仕切られた家屋に暮らし、井戸や路地を共用する長屋では、お互いが形式張らない親しい付合いとなる一方、隣人に迷惑をかけまいとする気配りもひつようだった。こうした暮らしの中で、下町独特の人情や気質が育まれたのである。


「職人」
職人は、一般に家で仕事をする居職(いじょく)と外に出る出職(でじょく)とに分けられている。明治、大正のころ、小学校卒業後すぐに奉公に出るのはごく普通のことでした。12歳前後で親方のもとに弟子入りし、徴兵検査があった20歳までの6~8年の年季の間に職人としての技術を身につけるのだ。住み込み先の家事などもしながら、親方や年長の職人の仕事を見よう見真似で少しずつ覚え、年季があければようやく一人前と見なされて、はじめて給金が得られた。休日は、明治時代までは、いわゆる「薮入り(やぶいり)」の日、つまり、1月と7月の15日前後の年2回だけだったが、大正時代になると、1日と15日の毎月2回になった。