龍太郎の想い出日記

キューバ生まれのラブラドール・龍太郎と
ママ(飼い主)のキューバでの3年間の
お話

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龍太郎のパパとママと兄弟たち、どうしてるかな?

2013年03月18日 10時09分07秒 | 龍太郎の話

















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龍太郎も11歳になりました

2012年08月24日 09時05分09秒 | 龍太郎の話
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キューバ料理

2012年06月22日 16時12分09秒 | 龍太郎の話
                          久しぶりのキューバ料理です
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龍太郎も もうすぐ9歳になります 

2010年05月27日 21時45分34秒 | 龍太郎の話

 

 

このブログも 2年近く 放りっぱなしでした

それなのに、いまだに色んな人がキューバの情報を求めて

このブログを訪問してくださってるようです

私のお友達が キューバで暮らしています

良かったら 彼女のブログで 現在のキューバの様子を

ご覧になってください  ➔     CubaからBuenas!  

 

 

  

                                      

 

                               

                                 龍太郎のママ

 

 

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龍太郎の笑顔

2008年07月01日 19時15分33秒 | 今、現在の話

   

             ご無沙汰してます

      ボクは相変わらず 「散歩」と「ご飯」 を生きがいに

         元気に暮らしています。

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ありがとうキューバ  そしてさよなら・・・最終話 

2008年04月19日 08時25分45秒 | キューバでの生活

            

    思えばパパが外国で仕事をしたいと言い出した時は、驚きました。

    ジュン君の高校受験を控えていましたし、何を言い出すのか

    このオヤジは・・・・と 思いました。

    一旦は諦めたようでしたが、とても悲しそうな顔をしていました。

       

    やがてママは子供たちと相談して、父さんの夢を叶えてあげようと

    言う事になりました。

    息子たちには40歳になってチャレンジする父親の姿を見せておきたい、

    とも考えました。 

        そして家族が一丸となって、パパの夢に向かって走り出しました。 

   

          

     キューバに来て一番ドキドキしたのが、各国の大使館のレセプションに

  出向くことでした。

  招待されると夫婦で出席しなくてはなりません。言葉の苦手なママは

  いつもパパの後ろに隠れていました。

  それに、外国の挨拶は必ずハグしてキスをします。

  これに慣れるのも大変でした。

  ポーランド大使館の領事さんは、ママの手を取って片膝をついて

  会釈し、おまけにママの手の甲にキスをしました。

  これが、本式の挨拶だそうです。冷や汗ものでした・・・・  


            

           

      子供達もいろんな経験を重ね、歳を重ねて行きました。

                  

       学校での最後の日は、クラスの友達が別れを惜しんでくれました

 

 

  

    そして、とうパパの離任の日が近づいてきました。

  今やこの職場では一番の古株になっていました。      

  こういった歓送迎会を何度繰り返したことでしょう。

  今度は送られる立場となってしまいました。  

          

    2次会では、職場の会議室で恒例のカラオケ大会が開かれました。

    そして、パパのお髭の断髭式?が行われました。

          (なんか、眉毛まで剃られそう~)

       みんな一人一人が、少しずつ髭を剃ってくれます。

                  

                 

              トレードマークのお髭もなくなりました・・・・

              なんだか、間抜けな顔になりました?

    

        そして、言い忘れるところでした。

    あの没収された我が家は、その後 国営の歯医者さんになりました。

                      

   こうして、私たちのキューバでの3年間は終わりました。

             

    パパは最後に3年間ありがとう、と言って

                  メキシコで指輪を買ってくれました。

 

     このメキシカン・オパールの輝きは、

          私たち家族のキューバでの3年間の輝きでもあります。

                                                                 

 

                                おわり

 

                             

         あれもこれもと長くなりましたが、本日をもちまして、

     龍太郎の想い出日記・物語を終了させて頂きます。

        わたくし事の拙い文章でしたが、最後までお付き合いくださいました事

      心より感謝しております。

            

                               龍太郎のママ

   

    追記 :

     長い間 応援のクリックをいただきましたが、4/18をもって

     ランキングを退会いたしました。 最終結果は以下の通りです。

      ☆総合ランキング・・・168139サイト中   1178位

      ☆海外生活・・・・・・・・4343サイト中     24位

      ☆中南米情報・・・・・・63サイト中       1位

                    本当にありがとうございました。

   

     また、たくさんの温かいお別れのコメントに感激いたしました。

         皆様も どうぞお元気で・・・・・さようなら。                  

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ジュン君のその後・・・ (第103話) 後日・追加記事

2008年04月18日 23時05分21秒 | お兄ちゃんたちの話

 さて、キューバに高校が無かったせいでN・Yの高校へと進学したジュン君は

 2005年の6月に無事卒業して帰国した。

 
               (卒業式には最後に角帽を投げる)

 キューバとN・Y・・・・・

 長い時には1年間会えない時もあった。

 入学式にも出席してやれず、3年間一度も学校の行事に参加してやれなかった。

 せめて卒業式には両親揃って出席してやりたかった。

       

 高校では剣道部のキャプテンとして頑張っていたジュン君。

 謝恩会でも舞台で剣道部の紹介を兼ねて、木刀で形(かた)

 の披露をした。

       

  少し大人びた横顔に3年間の成長を垣間見た気がした。

 

 パパは3年間1人でよく頑張ったと、謝恩会が終わってからホテルの

 部屋に帰る廊下で涙を流していた。

 自分のせいで淋しい思いをさせた事、無事高校を卒業できた事などで

 きっと感無量だったのだろう。

 

 ジュン君も今は大学3年生になった。

 中学、高校と続けた剣道を今も頑張っている。

 第3話でお話したように愛犬龍太郎の名前を頂いた元・総理 橋本龍太郎

 さんは偶然にもジュン君の大学の剣道部のOBだった。

 ジュン君が剣道部に入部して間もない頃、たまたま剣道部を訪れた

 橋本氏の練習相手をさせてもらう機会があった。

 もちろんご高齢の橋本氏にケガをさせてはいけないので、向こうに

 調子を合せて軽く相手をしなくてはならない。

 以前、加減をせずに本気でかかって行った部員は

      「僕を殺す気か!?」   と叱られたとか・・・・・・

 

 その後、すぐに橋本氏は亡くなったが最後に良い思い出を頂けた

 ことを感謝してやまない。

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キューバの日系人の暮らし(第102話)

2008年04月16日 09時05分03秒 | キューバの歴史話

 

   

      キューバのイスラ島にある日系人墓地です。

 

 あまり知られていませんが、キューバにも日本人移住者がおられます。

 1920年までに1000人余りの人が移ってこられたようです。

 沖縄、広島、熊本、新潟出身の方が多かったように聞いています。

 多くは最初メキシコに移住していましたが、メキシコ革命が原因で

 キューバに移ってこられたようです。

 

 当時、キューバは砂糖景気に沸き、ペソとドルが等々に流通していたようです。

 しかし、やがて不況に陥りやもなく帰国された方も多いようです。

 しかし残った方々は、日本人持前の勤勉さを武器に一生懸命に働き

 やがて成功された方も多いようでした。

  

   ここは以前は松島(ピノス島)と呼ばれていました。

   今も日系人の方がたくさん暮しておられます。

 

         とても田舎です。

      網戸をすり抜けるほどの小さな蚊が多いそうです。

    

  パパが訪れた頃の数年前に、やっと電気が届いたそうです。

 

    

      井戸を掘る作業も大変だったことでしょう。

    

   ほとんどの人が、農業で生計を立てています。

   トラックもトラクターも貴重品です。

     

      おうちの中もどこか日本風です。

   

   おばあちゃんが御馳走を作っています。

 

    

      御馳走なったお料理の中にはお刺身もありました。

     

 

            

          日系2世の原田さんです。

     2007年にNHKでキューバの日系人についての放送がありました。

    その時に、インタビューで日系1世のお父さん・故・原田茂作さんに

    ついてお話しされていました。

   ( 動画で紹介しようと思っていたのですが、NHKの動画サービスが

    終わっていて、お伝え出来なくなりました。)

  

 このプレシディオ・モデロ刑務所は その昔、カストロも収容された事があります。

 

  原田さんのお父さんら日系1世の男の方たち約350名は

  第2次世界大戦の時にこの収容所に入れられ、大変ご苦労されました。

  戦争が終わったのもつかの間、その後、カストロらの革命が起こり、

  資産接収によってすべての財産が失われました。

 

        
                               (日系人の人たちとの食事会)

 

  その1世の方たちも高齢のため、ほとんどの方が亡くなられました。

  先日3月9日のTV朝日のドキュメンタリー2008という番組で

  最後の日系1世の島津三一朗さん(100歳)のお話が放送されていました。

  彼は、昭和3年19歳の時に横浜港からキューバに渡りました。

  当時は砂糖産業の黄金時代で、一旗挙げようと日本を出発したそうです。

  しかし、戦争、革命など2度の動乱を経験し生活は厳しいものでした。

  スイカ栽培で生計を立てられていましたが、生涯独身を通された彼は

  身寄りもなく、現在はイスラ島にあるオカール老人ホームで生活されています。

                             
               (島津三一朗さん、当時94歳)

  キューバでの彼の年金は月に1000円ほどですが、老人ホームの

  月の利用料は200円ほどなので、楽に入所出来、生活できるそうです。

  今は食事の時以外は ほとんど寝ておられるようですが、

  日本の中学校の校歌を 今でもうれしそうに歌っておられました。

  

  

     

   ハバナにあるコロン墓地には、日系人慰霊堂があります。

       

   ハバナ在住の日系1世の内藤五郎さんです。

   広島県出身の彼は当時90歳を越しておられました。

   ママも何度かお会いして昔のお話を伺いましたが、その記憶力は

   すばらしいものでした。

   最後はキューバ人の奥さんと二人で寝たきりになられました。

   パパはママが作った日本式のお弁当を持ってお見舞いに行きましたが、

   ママたちが帰国したあとの2005年、96歳で亡くなられました。

   

               日系4世の子供たちです。

        3世、4世ともなると、日本語を話せません。

       でも彼女たちは遠く離れたもう一つの祖国日本を

         誇りに思っているようでした。

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サッカーのマラドーナとの想い出(第101話)

2008年04月15日 09時19分58秒 | キューバでの生活

 


      

   アルゼンチンのサッカー界での英雄、伝説の5人抜きでお馴染みの

   マラドーナとママとの貴重なツーショットです。

           少々太り気味ですが・・・・・

 

 

  おやじバンドも解散し、リョウの親友のフランシスコも転校してしまい、

  寂しさを埋めるためパパとリョウ君はゴルフを始めました。

  ハバナにあるゴルフ場は、大人は入会金が70ドル、月会費が45ドルで

  ファミリー会員のママはは月会費15ドル、おまけにリョウ君は

  子供ということでタダでした。

  日本ではお金持ちのスポーツというイメージがありますが、

  キューバでは家族が月60ドルポッキリで回り放題で遊べます。

  そして、このゴルフ場には、マラドーナが頻繁に訪れていました。

   (膝を痛めているため、彼だけ専用のカートがありました)

 

  ママは、最初二人のゴルフの付き添いでついていくだけでしたが、

  そのうち面白そうなので、始めることにしました。

  このゴルフ場にはカートがありません。自分で歩きます。

  じっとしていても暑いのに、炎天下のゴルフはまるで修行のようでした。

 毎週末のこのゴルフでは真黒になりましたが、みんなすごく体力がつきました。

    

  キューバに来た頃は小さかったリョウ君もこの頃は急に大きくなりました。

  リョウ君のゴルフクラブは、よく一緒に回ったfukudaさんに頂きました。

  彼は企業の仕事で長らくキューバに駐在していて、何とあの有名作家

  司馬遼太郎さんの甥にあたる方でした。

 

  ゴルフ場にはロストボールを売りに来る おじいちゃんがいました。

  きっと勝手に入り込んでボールを拾い集めては売っているのだと

  思います。  5個で1ドルでしたが、キューバではこのボールも

  なかなか手に入りませんので、助かりました。

 

   

    さて、キューバには もうひとつゴルフ場があります。

    あの海の綺麗な観光地、バラデロのゴルフ場です。

  

 ママたちが離任する直前、このゴルフ場で送別コンペを開いてもらいました。

 8人中、点数てきにはパパが一番良かったのですが、ハンデやらで

 優勝はリョウ君、準優勝はパパ、ママはすごくハンデをたくさん貰ったので

 4位に入れてもらいました(笑)  

       

 

   さて、マラドーナの話に戻りましょう。

   彼は、キューバには療養目的で滞在していました。

   ゴルフ場では私たちを見かけると、あちらから手を振って

   挨拶してくれるくらい気さくで、気取らない人でした。

 

   帰国が近づいた頃、ママは最後にマラドーナにサインを貰っておこうと

   ゴルフに行く時は色紙とマジックを持ち歩いていました。

         とうとう、チャンスがやってきました。

    でも、 パパもリョウ君も恥ずかしがって手伝ってくれません。

 

  ママは1人でマラドーナのプレーの先回りをして、待ち伏せしていました。

          ドキ ドキ ドキ ドキ・・・・・・

  ゴルフ中のマラドーナの邪魔をしてはいけないので、付き添いで

  ついて来ているキューバ人の若い彼女に、プレーが終わってからでいいから

  サインが欲しいんだけど・・・・とお願いしました。

  すると、彼女は笑ってOKしてくれ そのままマラドーナに伝えてくれました。

  そしてなんとプレー中にもかかわらず、マラドーナはサインに

  応じてくれました。

      

                

         そして、厚かましくも3枚のサインをゲットしました。

     一枚目は「マラドーナ ディエゴ 愛をこめて 10 」

         ( 10 という番号は彼の背番号です )

     二枚目はリョウ君の名前を入れてくれるように頼みました

     「親愛なるリョウへ  マラドーナ ディエゴ  10 」

  三枚目はN・Yのジュン君のお友達のサッカー少年にプレゼントしました。

 

   そして、マラドーナ自身から一緒に写真を撮ってくれました。

       ママの顔は緊張で引きつっています  

 

   そして、ママはそのサインを持って、プレー中のパパとリョウ君の

   所へ飛んで戻りました。

        「サインもらったよ~」って叫びながら・・・・

 

       パパとリョウ君は、「さすが大阪のおばちゃんやなぁ」

       と言って笑っていました。

 

 

    厚かましい大阪のおばちゃん    ばんざ~い!

 

           ママのお話も、あと少しです・・・・・・

                                   
                今、 現在、日本では池越えの練習中です・・・・

         

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スペイン (写真のみ)

2008年04月14日 16時26分11秒 | 海外旅行

 

 

  

  

   

 

  

 

 

  

  

   

 

   

 

    

  

  

      

  

 

    

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ローマ  (写真のみ)

2008年04月14日 16時12分28秒 | 海外旅行

 

    

    

      

 

   

       

        

    

     

    

    

       

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パパとママの夫婦喧嘩(第100回)

2008年04月14日 11時17分42秒 | キューバでの生活

 

    海外に出ると、特に奥さんの方はストレスがたまって爆発して

    終いには離婚に至るケースが多いそうです。

    出発前にそういう事にならにように、旦那さんの方は奥さんの

    話をとにかくよく聞いてあげてくださいという、偉い人のお話がありました。

    その方の奥さんもよく爆発して、お皿を投げて暴れたそうです 

 

 

    キューバの3年間の中で、パパとママは一度大ゲンカをしました。 

     それは、あの没収された家での出来事でした。

 

    パパはふとしたママの言葉が気に入らなかったようでした。

    お酒の入っていたパパは、とにかく怒りだすと始末におえません。

    終いにはママもプチっと切れました      

    喧嘩は寝室に入ってからも続きました。

    隣の部屋ではリョウ君が心配そうに二人のやりとりを聞いています。

    ついに、バチン・バチンと2回ほっぺたを殴る音が聞こえました。

    リョウ君は、とうとう手を出した父さんを恨みました。

 

    すると、ママが泣きながらリョウ君の部屋に入ってきました。

           殴られたのはパパの方でした 

 

 ママはその夜は客用の折りたたみベットを広げて、リョウ君の部屋で寝ました。

 

        次の日はパパは完全に二日酔いでした 

 

      そして、自分が殴られた事も覚えていませんでした 

 

     

                
            ジャガー横田に似ているママ

                              怒らせたら恐いでぇ~

 

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龍太郎との散歩での想い出(第99話)

2008年04月13日 11時01分08秒 | キューバでの生活

  マンションに引っ越してからは、部屋の中に閉じこもっている龍太郎の

 為に、朝晩の散歩は欠かせないものになりました。

 いつもは横の広場を散歩したり、マンションの前のキンタ通りを散歩したり

 その日の気分でコースを変えてみたりしました。

 

  マンション横の広場に出かけた時のことです。

  急に一匹のダルメシアンが龍太郎めがけて走ってきました。

  もちろん綱はつけていません。

  2匹はあっという間に牙をむき出しで、ケンカとなりました。

  ママは必死で綱を引っ張りましたが、急に引っ張られたせいで、

  中指が内出血してしまいました。

          イメージ画像

 

  綱があっては龍太郎に不利になります。ママは綱を離しました。

  お互い首を噛んで離しません。ママは泣きそうになりました。

       (龍太郎がんばれ! 負けるな!)

  でも結局、ダルメシアンは逃げて帰り、龍太郎はダルメシアンの

  お尻を噛みながら追いかけてゆきました。

  ダルメシアンはすぐ近くの自分の家へと逃げ込んでしまいました。

 

  ママは龍太郎を呼びました。龍太郎はいつものように嬉しそうに

  ママの所に走ってきました。

          怪我は無かったの? 大丈夫?

 

  近くでダルメシアンの飼い主らしい若い女の子がつっ立っていました。

  ママは怒鳴ろうと思いましたが、スペイン語が出てきません。

      「ちゃんと綱つけんと ダメでしょうが~!」

      と 大声を出しました。

             怒っているのは通じたようです。

 

          

 

   お陰様で 龍太郎は大した怪我はしていないようでした。

   それにしても彼ががこんなに強いとは知りませんでした。

   いつもは全然そんな素振りは見せませんが、やる時はやるんだ、と

   確信し、とてもたくましく感じました。

 

               イメージ画像

 

   次からは、ダルメシアン君は ちゃんと綱をつけて散歩していました。

 

 

  さて、キューバではワンコのウンチは道端にほりっ放しで

       いいそうだけど、ママたち日本人はそうはいきません。

 スーパーのレジでビニール袋をいっぱい失敬して持ち帰り、ウンチ袋に。

 残念ながらキューバでビニール袋が売っているのを見かけたことがありません。

       

          ちょっと失礼・・・お取り込み中です 

   

   キンタ通りを散歩していると、ママのような東洋人はすごく人目に付きます。

   ある時、ママが龍太郎のウンチを取っているのを見かけた

   キューバ人たちが 道の向こうから口笛を吹いて、手を振って

   拍手していました          

   ママは何を騒いでいるのかわかりませんでした。

   たぶん、ウンチをきちっと取ってる事を称賛してくれたのだと

   思うのだけど、もしかしてこの東洋人は犬のウンチを持って帰って

   どうするつもりだと思ったのかもしれません・・・? 

 

   日本人が少ないキューバでは、とにかくママ達は注目されがちです。

   こんな時こそ、日本人としての行いが大切だとママは思っていました。

   その行為ひとつで、日本人の印象が決まってしまうのだと、

   いつも心がけて生活していたつもりです。

 

 

   龍太郎の散歩では、他にもいろんな事がありました。

   夕方の散歩に出かけた時のことです。

   その日はキンタ通りを少し遠くまで出かけてみました。

   20分くらい歩いたでしょうか?     

   急に空模様が怪しくなってきました・・・・例のスコールがやってきそうです。

   引き返さないとやばいなぁ・・・と思ったとたん大粒の雨が降り出しました。

   最初は小走りに帰りを急ぎましたが、途中であきらめました。

   急いだところで、これ以上濡れることはありません。

   すでに、全身びっしょりで靴の中までずぶ濡れでした  

      

 

   ママは龍太郎と二人、スコールの中をゆっくり歩いていました。

   ママは、濡れることを気にせずに歩くキューバ人になっている自分が

   無性に可笑しくて、むしろ雨の感覚を楽しむようにゆっくり歩きました。

                    

   ママのマンションの入り口の前では、大勢のキューバ人が雨宿りを

   していました。

   ビショビショの龍太郎とママが通ると、みんなが避けて花道ができました

                        

 

    その花道の奥では、パパがバスタオルを持って笑っていました

                                            

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やっと見つかった新居(第98話)

2008年04月12日 09時25分09秒 | キューバでの生活

   我が家の没収事件が起こってからは毎日がバタバタしていました。

  どこでもいいから、早くこの家を出ていかなければと焦っていました。

    朝の7時からビビエンダ(政府の住宅をつかさどる所)が、ピンポンを

  押しにくるし、大家さんが自分の家財道具を運び出すし、

  終いには私たちが寝ているベットまで運び出すと言ってきました。

  これにはパパの堪忍袋の尾が切れて、ビビエンダには話をつけてきたから

  しばらくは没収されることはないから、と半ば喧嘩腰に説明しにゆきました。

              

   それから2週間ようやく新居への引っ越しへとこぎつけました。

  何軒かのマンションを見て回り、学校へも仕事場へも近い

  マンションが見つかそうでした。

  そして、ちょうどいい部屋が空いたところに入居出来ることになったのです。

   (家賃が高かったので、ちょっと値切りましたが・・・・

 

  ママと龍太郎の後ろに見えているのが新居のマンションです。

  このように、横には広場があって龍太郎の散歩にも好都合です。

 

  

   入口もオシャレで、セキュリティーもしっかりしています。

    防犯の為に門番さんを雇わなくても済みます。

   引っ越しをきっかけに使用人の人は運転手さんだけ残ってもらいました。

   キューバは停電で信号が消えていたり、道に穴があいていたり、

   冠水したり、人が平気で道路を横切ったりするので、パパが

   ママの運転では不安だったようです   

       なにより、ママは方向音痴でしたし・・・。

 

   引越しの日に、大家さんの姪が新居でお手伝いに雇ってくれと、

   電話番号の書かれた紙を渡しに来ましたが、断りました。

         もう、お手伝いさんは懲り懲りでした。

   

    

   マンションの階段は吹き抜けになっていて、掃除が行き届いています。

     龍太郎の足跡をつけるのが申し訳ないくらいです。

 

    
              

  龍太郎はベランダで飼うつもりでしたが、環境が変わったせいか、

  夜中じゅう、クンクン鳴くので苦情がでました。

  もう追い出されるのはコリゴリですので、贅沢だとは思いましたが、

  客間を龍太郎に使わせました。

  これで、吠えることも無く、静かにしてくれるようになりました。

  でも、よく マンションで大型犬を飼っても良いとOKが出たものです。

       これには、さすがに驚きました。

 

      
  (突然ですが、現在の龍太郎です。ちょっと老けました 4/10撮影)

 

 

   聞くところによると、日本人は綺麗好きで、部屋を大事に使うので

   部屋のオーナーには好印象なのだそうです。

   ママたちの部屋のオーナーはイタリア人だったと思います。

   リビングには大きな犬の置物とその横にはウンチの置物がありました

   本物そっくりのウンチだったのでドキッとしましたが、

   これもオーナーのジョークなのでしょうか? 

 

     龍太郎は犬の置物に吠えて困りました。

               ( し~~・・・追い出されちゃうよ~)

  

         


    キューバでは、げた箱というものを見かけませんでした。

       普通は、 家の中へは土足で上がります。

    でも、ママ達はスリッパに履き替える癖が抜けませんでした。

   

 

         パパも ホッとしたのでしょう・・・・・・。

            この頃から ようやく笑顔が戻ってきました

         

         パパの任期も残すところ、8か月となりました。

          今度はどんなことが起こるのでしょうか?

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忘れられない人々(第97話)

2008年04月11日 10時05分37秒 | キューバでの生活

 

     

  この家にきて2年あまり、不便ながらも住めば都です。

  龍太郎も裏庭を走り回って、のびのびと暮らしていました。

     

  

  基本的に家事は自分でやりたかったので 最初はお手伝いさんが

  毎日来てくれましたが、窮屈なのですぐに週2回に減らしました。

  辞めさすと彼女たちの生活が困るので苦肉の策でした。

  贅沢な話ですが、家の中を他人にウロウロされるのは、

  とてもストレスが貯まるのです。

      

   洗濯物は、洗剤が悪いのか 水が悪いのかあまり綺麗になりません。

   日差しがきついせいか、色もはげてきます。

   例の計画停電とも上手に付き合えるようになりました。

   そんな日常の生活にやっと慣れた矢先の出来事でした。

   まさか、家を追い出されるとは思ってもいませんでしたから。

 

 

        

    引っ越し前には、使用人の人たちに色んな物をもらってもらいました。

    門番のラサロおじいさんには、子供用の自転車と空気入れを

    もらってもらい、とても嬉しそうに持ち帰った事を思い出します。

          

    夜の門番のアマドおじさんは、頭が良くて真面目でした。

   ママたちが引っ越す少し前から体調を崩して休んでいました。

   お見舞いに行った時は、痩せていましたが椅子に腰かけていました。

   奥さんの話によると、肝臓癌で、もう長くないという話でした。

   再婚した奥さんとの間には4歳になる男の子がいました。

 

   パパは別れ際に握手した手に、お札を握らせました。

   失礼かと思いましたが、それぐらいしか出来ることはありませんでしたから。

   彼はパパの目を見て 「ありがとう。」 と言って微笑みました。

 

       しばらくして、残念ながら彼の訃報が届きました。

 

                           

    嬉しそうに自転車を持って帰ったラサラおじいさんも、アマドの

    後を追うように その後すぐに肝臓癌で亡くなりました。

    「俺の親父は90歳まで長生きしたから、

        俺も長生きするだろうから 死ぬまで、まだまだ働くよ。」

    そう言っては、いつもお給料の前借りを頼みにくる、憎めない人でした。

 

    パパの帰りが夜遅くなると、椅子に座りながら熟睡していました

    パパが車のライトで何度パッシングしても起きません。

    仕方なくパパは自分で門を開けることもしばしばでした。

    注意すると、いつも違った言い訳をしてあやまりません。

      「お通夜が続いて寝不足なんだ・・・」

      「上を向いて(寝てた)ラジオのカストロの演説を聞いていたんだ・・・」

     毎回、どんな言い訳をするのか楽しみでした。

 

    そんな彼も、まだまだ90歳には程遠い、68歳で亡くなりました。

 

 

             

   シオマーラおばさんは、「私をキューバのママと思って甘えてね。」

   と言って、いつもママのそばで手助けをしてくれました。

   シオマーラおばさんには、大事な日本米をくすねられたことがありました。

   たまたま、その現場を目撃してしまったのです。

   問い詰めて叱りましたが、彼女は泣いて謝るばかりでした。

   信頼していただけに、盗られた事より裏切られた事がショックでした。

      でも、こんな事で目くじら立てていると この国では暮らせません。

 

              

 お掃除のマルタおばさんは、昼の門番さん同様、大家さんが雇っていました。

   大家さんの奥さんの妹で、ものすごく働き者でした。

  ママが破れた靴下をゴミ箱に捨てていると、かがれば履けるからと

  持って帰ってくれました。それからは、ママも靴下の破れは縫って

  最後まで履きつぶすようになりました。  物を大事にする人でした。

  家の没収が決まった時には大声で泣いていました。

 

             

    庭師さんは、ある日突然 亡命してしまいました。

    ママには休暇で旅行に行くからお給料を早くくれと言いました。

    正直に言えば、餞別でも渡したのに・・・・・・・。

 

    彼らは 唯一身近に接することができるキューバ人だったので、

    キューバのいろんな話を教えててもらいました。

    いろんな事がありましたが、彼らには本当に親切にしてもらい、

    慣れない生活を手助けしてもらった事を感謝しています。

    この家を去るにあたり、あらためてそう感じました。

 

 

   パパは没収事件があった頃はとても機嫌が悪くて、ピリピリしていました。

    家族を守るのに必死だったのでしょう。

    とりあえず、「貴重品はまとめておけ」 と言われました。

    何かあった時にすぐに持ち出せるようにと・・・・・。

    そして、ビビエンダ(政府の住宅をつかさどる所)が来ても、

    絶対に家の中に入れるな、とママに強く言い聞かせました。

    もし、ビビエンダがやってきたら、ほうきを持って追い出す覚悟でした

 

    ママたちは、毎日必死で荷造りをしながら、家探しに奔走しました。

      新しいマンションはどんどん建設されていますが、

    龍太郎のような大きな犬も飼えるマンションはあるのでしょうか?

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