磯部輝男の人間錬成塾

日々感じたこと、心にとまったことなどを

随筆風に書かして戴こうと思います。

気軽にお付き合い下さい。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

思いを整理して自らの”根”を洗う

2011-03-06 21:11:54 | Weblog

前のブログで「潜在意識」の大掃除について書きました。

潜在意識には第7識から第8識、第9識まであり、その大掃除が大事であることは

改めて言うまでもありません。この大掃除を「根を洗う」と言います。

植物は種から先ず根が出て、しかる後に芽が出ます。

根は大地にしっかり太根を張り、無数の髭根から大地のエネルギーを吸収して

幹や枝葉にその養分を送って花を咲かせ実を実らせます。

では人間の「根」とは何でしょうか?

ずばりそれが「魂」(みたま)であると前回書きました。

本来みたまは、たまと言う通り真丸で、ピカピカに輝いているべきものでした。

そして私たちの人生を裏から支え、幸せに導いてくれる生命の源でもありました。

一般に「潜在力」とか「潜在能力」の力の正体はこのことを指して言うのです。

赤ちゃんの澄んだ瞳や、無限の成長力を見ていると、「穢れ無き魂」と言う言葉

が「ホントにそのまま、その通りだな」と思いますね。

その穢れ無き魂が、時の経過とともに次第に傷つき汚れていきます。

知恵の木の実を食べたアダムとイブの運命を辿ると共に、潜在能力も低下

して行くのです。

つまり「根」が細り、傷つき、枯れかかっている状態であると言えます。

幹や枝葉がどれだけ繁っていても、花が咲き実が実っていても、

根が弱り、枯れたら・・・

今私たちはそんな状態ではないでしょうか。

じゃどうするか?

「潜在意識」の大掃除(1)(2)でも書きましたが、

今日は「根を洗う」方法を。

夜寝る前に今日一日を振り返り、整理をすることです。

そして、モノ心がついてから今日までの自分の通り越しを

繰り返し繰り返し顧みて、その時々の自分の思いや対応の仕方等

を整理するのです。

これを「自らの根を洗う」と言うのですが、長くなりましたので今回は

この辺で・・・。次回この続気を。

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

色即是空 空即是色

2009-12-03 00:03:17 | Weblog
「色即是空 空即是色」

「色即是空」は、般若心経の中の最も有名な一節です。
「空即是色」と続きます。

人間には二人の自分がいます。
上皮の意識できる自分と、その奥の無意識の自分との二人です。

このことは前々回に触れた通りです。

坐禅はその無意識の自分、即ち本当の自分とは何かを知るための
手段の一つとして坐るのだと前回書きました。

三大要路門

禅僧が修行をする上で、三つの門を通らねばならないと聞きました。
これを「三大要路門」と言うそうです。

第一の関門は「憤志」と書いて「ふんし」。
憤は憤慨の憤で、いきどおり嘆くことと辞書にありますが、
自分自身へのいきどおりであり、嘆きです。

第二の関門は「勇猛心」。
文字通り猛々しいほどの勇気です。

第三の関門は「大誓願」と書いて「だいせいがん」。
  願心(がんしん)とも言いますが、誓いであり、願いです。

仁義のルーツ

禅僧が入門をする時は、菅笠に手っ甲脚絆草鞋(わらじ)履きで寺門を叩きます。
その時自らの故事来歴を述べて入門を乞うのだそうです。
時代劇で渡世人が仁義を切るシーンがありますが、
これがそのルーツだとか。

それで直ぐに許されるほど甘くは無くて、
2,3日玄関の上がり框(がまち)でうつ伏せの姿勢のままで放って置かれる。

一度真似てみましたが、ものの一時間もすれば身体がしびれて、
とてもじゃないが2日も3日も続くものじゃありません。
まず此処で決意の程、覚悟の程を試されるんですね。

やっと許されて上へ上げてもらったと思うと、
今度は何も無い小さな小部屋に入れられて又4,5日放って置かれる。
ここでも更に試されて、漸く入門を許されるのだと言います。

地獄の猛修行-憤志

さてそれからは作務(さむ)という作業や座禅が待っていますが、
これが文字通りの地獄の特訓も顔負けの猛訓練、猛修行で、
歩き方から、掃除の仕方から、一挙手一投足に至るまで、四六時中、
先輩僧から罵声を浴びせられ、蹴られ、小突かれ、投げ飛ばされ、
徹底的にしごかれる生活が始まるのだそうです。

最初はそんな先輩僧に猛烈に腹が立ち、恨んだり憎くんだり、
もう辞めて帰ろうかと思ったり、死んでしまおうかとさえ思うそうです。

やがて「こんな事さえ満足に出来ないのか」と自分自身が惨めになり、
だらしの無い、何も出来ない自分に対して段々腹が立ってくる。

そこにはもう自分の出自や学歴や肩書きなどと言うものはありません。
見栄も外聞も自我も欲も総て剥ぎ取られた素裸の一個の人間が居るだけ。

上皮の自分を彩っていた虚飾(色)が総て空しいものであった(空)と
いう、「色即是空」の世界に突入するのです。

これでやっと修行の第一関門突破でしょうか。

怒りを外に向け、原因を他に転嫁しているうちは、
修行のスタート地点には立てないのです。

怒りの矛先を自分自身に向けてこそ「憤志」。

そこから次は「真実の自己究明」の修行が始まります。

勇猛心

しかし一旦は素裸になれたからと言って、そう簡単には行きません。
肉体を持ち、感情を持つ以上、様々な欲望や感情に支配されます。
修行を妨げる障害も次々起きて、心身を揺さぶります。

何しろ坐禅するだけでも一日の半分近くは坐るのですから、
半端じゃありません。

それらに動ずることなく初一念を貫く為には勇気が不可欠です。
猛々しいほどの勇気を奮い起こして難関に挑むことなくして
何事も成就することは叶いません。

「勇猛心」が第二の関門と言われる所以です。

大誓願

しかし人間とは弱いものです。
苦しい行に耐え切れず逃げ出したい誘惑に駆られたり、
甘い言葉や欲望に負けて方向を誤る事が無いとも限りません。

そこで最後の関門「大誓願」が重要になってきます。

何の為に修行をするのか、
真実の自己究明をしたからと言って、その先に何があるのか。

修行の目的や目標が曖昧では、とてもこの修行に耐えられず、
又、その方向を間違えれば修行がかえってあだになることは、
オウムの事件を思い出すまでもありません。

仏教では「布施」と言うことを言いますが、
立派になった自分を世の為人の為にどれだけお役に立たせるのか。

「仏の願いを我が願いとする」
このことこそ大誓願ということでしょうか。

仏様に対して誓いを立て(誓願)、
その誓願を守って生きることが禅僧の生涯の目標となるのでしょう。

空即是色の世界

「人を助けて我が身助かる」という言葉がありますが、
自分の事はさておいても、まず人の幸せに貢献すること、
その布施行がそのまま自分を助けることになるのです。

「接客して買って戴いたお客様の喜んで戴いたその笑顔を見た時、
 自分も嬉しくなって、真底から生き甲斐、働き甲斐を感じます」

そんな感想をもらす販売員の方は沢山いますが、
まさしく「空即是色」の世界です。

してみると「色即是空 空即是色」の世界は、
私たちの日常の中にも一杯展開されていることと思われます。

「三大要路門」はその要の順序を簡潔に教えてくれています。

上皮の自分を一度徹底的に否定し去ったとき(色即是空)、
その奥の本当の自分が立ち上がってくるのです(空即是色)。

「自分を掘って掘って掘り下げたら、
底から 無限無限が湧いて出る」

これはもう「肯定肯定 絶対肯定」の世界でもあります。

*********************************

●坐禅研修のご案内
   一般対象 平成22年1月23日(土)13:oo~
               24日(日)16:00まで
   企業対象 平成22年2月19日(金)13:00~
               2o日(土)16:00まで
 
 詳細は以下をご覧下さい

   URL  http://mental-skill.com/

コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

「坐禅セミナー」・至福のひと時

2009-11-08 16:06:42 | Weblog

一年の計

≪一年の計は元旦にあり≫と言いますから、
来年早々に恒例の「坐禅セミナー」を実施します。

 平成22年1月23日(土)13:00~24日(日)16:00 一般対象

 平成22年2月19日(金)13:00~20日(土)16:00 企業対象

詳細は以下のURLをご覧下さい。

   http://mental-skill.com/

「坐禅(研修)なんかでどんな効果があるんですか?」
よくこんな質問を受ける事があります。

「直ぐに効果なんてありませんよ。
 でも漢方薬みたいなもので、目に見えない体力の回復には
 役立つんじゃありませんか」
そんな風な返事をすることにしています。

大体直ぐ効く物は直ぐ効かなくなるものです。
(劇薬は即効性はあるが副作用も怖いものです)

即効性を求めて対症療法に終始していると、
知らず知らずのうちに体力そのものが弱ってしまいます。
これは個人でも企業でも同じです。


「坐禅」の「坐」と言う字は、

土(大地)の上に二人の人が対座している姿を表しています。
一人は上皮の自分、もう一人は真実の自分です。

静かに瞑想して真実の自己に対面するのが坐禅です。
そのためには、上皮の自分を無にしなくてはなりません。


「真実の自己究明」

無限の可能性を秘めた本当の自分と出会うことは、
人生の喜びであり、究極の目標でもあります。

誰しも人生の意味を知り、幸せになりたいと願っています。
しかし現実は、怒りや悲しみや愚痴や不安や迷いを抱えて
四苦八苦しています。それが上皮の自分です。

これらの迷妄を断ち切り、心の平安を求めて、
悟りの境地に到達したいと言うのが我々凡人の願いです。


此岸(しがん)から彼岸へ。

彼岸は死んだ人だけが行く世界ではありません。
生きている間に如何にして心の平安を得るか。

坐禅はそこに至るための一つの手段であり、方便です。

しかし、仕事をし、日常生活をしている私たちは、
お坊さんのように坐禅三昧という訳には行きません。

ではどうするか。


立禅とは

坐禅はそもそも坐ってするから坐禅と言うのですが、
立禅(りゅうぜん)と言って、立ってするものもあるのです。

托鉢や作務(さむ=掃除や畑仕事やその他諸々の作業)は
総てこれ「禅」なのです。

してみると四六時中「禅」ならざる時はありません。
総てが「真実の自己」究明のための修行なのです。

同様に、私たちの日常も全てがお行と言うことになります。
坐禅は出来なくても立禅なら出来そうです。


「坐禅セミナー」では


坐禅の他にいろいろな体験をします。

「情断」とは私の造語ですが、(冗談ではありません)
日常のあらゆる情報(携帯やテレビ等)を一旦断ち切ること、
禅式の食事作法(一切音を立てずに食事をする)の体験、
そして自己啓発に関する学習や参加者同士の語り合い等
プログラムは多彩で盛り沢山です。

僅か1泊2日の短い時間ですが、
此処で体感したこと、感性に響いたこと、肚に落ちたことは
後日、折に触れ、時に応じて必ず蘇ってきます。

自分が何かに行き詰った時、気分が落ち込んで優れない時、
その他様々な場面で「あぁそうだった」と天龍寺の体験が思い
起こされ、これが活力の源泉になることもあるでしょう。


プラスアルファとの相乗効果で至福のひと時を

この「天龍寺坐禅セミナー」は、
単に「坐禅」をするというだけでなく、
プラスアルファの要素が相乗効果を発揮して、
思わぬ結果をもたらしてくれるのです。

結果は人それぞれですが、
参加した人だけが味わえる至福のひと時を、
貴方も是非一度味わって下さい。

初め浮かぬ顔で来た人が、嬉々とした笑顔で帰途について
くれる姿を見るのは本当に嬉しいものです。

この「場」と「機会」を一人でも多くの人に提供する事が、私の
密かな喜びであり生き甲斐でもあります。


些か長くなりましたが、最後までお読み戴いて感謝です。
有難うございました。

セミナーの詳細は以下をご覧下さい。

    http://mental-skill.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



 

 


 

 

 


 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

潜在意識の大掃除(2)

2009-09-18 15:39:16 | Weblog
潜在意識の大掃除には二つの方法があります。

その一つは前回お話しした「思いの切り替え」です。

もう一つの方法には、知っておくべき大事な前提条件があると言いましたが、
今回はそれについてお話ししたいと思います。多少説明的になりますがご辛抱下さい。

意識を普通第六識と言っています。これは、眼・耳・鼻・舌・身(げん・に・び・ぜつ・しん)という五識の次に来るからです。

仏教の深層心理学である「唯識(ゆいしき)」では、更にその下に三層の無意識の世界があると言っています。

上から「末那識」(まなしき)〓第七識、「阿頼耶識」(あらやしき)〓第八識、「阿摩羅識」(あまらしき)〓第九識と呼んでいますが、一般に潜在意識という場合は、この第七識を指しています。有名なフロイトが取り上げたのは第七識です。

ところが、フロイトの弟子で同じく精神分析学者のフランクルは、
アウシュヴッツ収容所での自身の体験から、
戦後解放されてから書いた著書「夜と霧」の中で、
全く無私の精神から他人の身代わりになって静かに死んでいく人があることを知って、
その神のごとき行為は、フロイトの無意識よりも更に深い所にある無意識界の何かが、
彼をしてそうさせるのだと気づき、
それを「精神的無意識」「実存的無意識」「宗教的無意識」と呼んでいます。

これが唯識で言う第八識、第九識です。

鈴木大拙博士は、これを「霊性」と呼んでおられます。

この第八識、第九識のことは他にも「絶対的無意識」「超越的無意識」「サムシンググレード」「太陽叢」「真我」等々様々な呼び方をされていますが、
一言で言えば「魂」(みたまとも言う)のことです。

私たち人間の奥の奥、底の底には誰でも「魂」があります。
この魂が宇宙生命の分かれ(命の根源)であり、且つ宇宙意思の働く大元なのです。

古来日本人はこれを称して「肚」と言って来ました。(肚が立つ、肚が座る、肚で考える等々肚にまつわる言葉が数多くあります)。

詳しくは又別の機会に譲りますが、要するに、私たちの潜在意識の更にその奥には「魂」という広大無辺の世界に通じた存在があるのです。

「神は身の内にあり」と言ったり、「人間は皆仏性を身の内に宿している」と言うのは、皆このことを指して言っているのです。

ただ今までは、その魂の存在が明確にはされておらず、何となく経験的にそういうものらしいと言ってきたに過ぎません。

しかし、私たちの生命の大元であり、且つ私たちの運命そのものをも支配する「魂」の存在を、明確に意識しなくてはならない時代になってきたように思います。

何故なら、頭脳智の極点まで到達したかに見える現代社会が、決して幸せな社会ではないからです。

知性文明から霊性文明へと言う人もありますが、価値観の大転換が起ころうとしていることは間違いありません。

宇宙生命の分身とも言うべき魂の潜在能力は無限であり絶対ですが、
通常は第七識によって蓋をされています。

更に第六の意識によって無視されたり、歪められたりしてその大きな能力を封じられています。人間は脳の10%ぐらいしか使っていないとはよく言われることですが、所謂、既成観念、固定観念等々によって折角の能力を宝の持ち腐れ状態にしているのです。

既成観念や固定観念を打ち破って無心になれば、
「魂」は意識の壁や潜在意識の重圧から解き放たれて自在に活動を始めます。

「魂の開放」は、21世紀の大きな課題であり、目標でしょう。


そこで話しを戻して本論ですが、潜在意識の大掃除の2つ目です。

第六識の大掃除は「思いの切り替え」で出来ました。

第七識以上の大掃除は、前述した「魂」が関わって来ますから多少複雑です。
しかし、既に誰もが日常実践していることばかりです。

第七識以上第八識、第九識については、
殆どすべての自己啓発書や成功哲学のセミナーにおいては、
等しく「潜在意識」と一くくりに捉えていますが、厳密には異なるものです。

第七識の「潜在意識」には、子供の頃からの膨大な経験や知識が蓄積されています。

普段忘れている事が殆どですが、私たちが何かを考えたり行動しようとすると、それに触発されてたちどころに意識の表面に蘇ってきます。

あたかもコンピューターにある情報を入力し検索すれば、保存された膨大なメモリーの中から、たちまち答えを出してくれるようなものです。
従って、どういう情報を保存しているかが重要になってくるわけです。

私たちの意識は、どちらかと言えばマイナス思考に支配されがちです。
肉体を維持し、生存競争に勝ち抜くために、
意識は何よりもまず自己保存の本能中心に働きますから、
放っておけば限り無く自己中心のマイナス思考に陥らざるを得ません。

しかし、宇宙生命の分身とも言うべき第八識、第九識、即ち「魂」からすれば、
これはとんでもないということになります。

古来ひとはその宇宙意思に沿うべく様々な努力をして自らを律してきたのです。
聖賢の教えの数々は、その筋目や道筋を明らかにしてくれたのです。
(但しこれは単なる狭義の倫理道徳ではなく、型に嵌った聖人君子の道でもありませ  ん)。

私たちはその筋目に沿う考え方や行動をすることによって、
人としての正しい生き方を実践しようとしているのです。
そして、それに沿わない考え方や生き方は、はじめは塵や埃となり、
それが長年の間に積み重なると遂には「業」(ごう=カルマ)となって魂を曇らせることになるのです。

実はこの「業」が問題なのです。

これが我々の人生に様々な影響を及ぼすことになるのです。
従って、「潜在意識の大掃除」とは、この「業」の大掃除に外なりません。
しかしこれはそう簡単に手に負える相手でないのも事実です。

過去どんな宗教も業はとれないものとされてきました。
第一、自分にどんな業があるのかさえ分からないのですから、
とり様が無いではないかと言えばそれまでです。

しかもこの業には、今生の業だけでなく前生持ち越しの業があると言うにおいてをや。

「業」については誰しもこんなことを聞いたり、言ったり、体験したことがあるでしょう。
「あれは業病だ」「女は業が深い」あるいは「業が湧く」「業火に身を焼く」等々。
意思の力ではどうすることも出来ない漆黒の暗闇の世界があることを表現したものでしょうか。

話を分かり易くするためにこの業を「借金」と考えて見ましょう。

私たちは親の遺伝子(DNA)を受け継いでこの世に生まれてきます。
つまり親の遺産を引き継ぐわけですが、
遺産にはプラスの遺産とマイナスの遺産があります。
プラスの遺産を「徳」と言うのに対して、マイナスの遺産が「借金=業」です。

これを仏教では「因縁」と称しますが、因縁は親から子へと否応なく受け継がれていくものです。(親子は因縁の連鎖である)

そしてこの因縁をこの世で「果たす」こと、
つまり借金を返しきって預金(徳)を子孫に残してあげること、
これが私たち人がこの世に生を受けた第一義的な意味と言うことになります。

受け継いだ「徳」は、それを世のため人のために役立てる事が果たすことになります。

「借金」を引き継いだらそれをあの手この手で一生かけて返していかなくてはなりません。

「因縁」は果たすこと、換言すれば人生の様々な試練を通りきらなくては、
必ず子や孫に引き継がれていくからです。

それらを全て差配するのが「魂」なのです。

折角素晴らしい「徳」を引き継ぎながら、
これを全て自分や自分の身内の快楽のためだけに使えば、
プラスの遺産はどんどん目減りし、ある日を境にマイナスに転じ、人生が暗転します。

逆に、多額の借金を引継ぎ、苦労の連続だった人が、
借金を返し終わった人生の後半生において幸せになる、といった現実を、
ごくごく身近で結構目にしています。

「病気や怪我やその他、日々身辺に起こる様々な現象は、
すべて理由(わけ)があり必然であって偶然はない。」と言われます。

すべては徳を積み、業を果たさせるために魂が上側の自分に知らせてくれているのです。

日常目にしたり耳で聞いたり、或いは怪我や病気や仕事上のトラブル等々一切合財は、
偶然では無い、自分にとっては魂から「気をつけろよ」「そこチョッと間違ってるぞ」「お前自身にもそんな嫌な面があるから他人のアラが目に付くんだぞ」といったように
知らされたり、警告されているのです。

「その知らせや警告の理由(わけ)は一体なんだろう?」 

と、魂と上側の自分との自問自答によってその理由を掘り下げなくてはなりません。
そして、「なるほど、こういう意味だったのか」と気付くこと、
これが自覚であり、更に言えば悟りともなるのです。

そして「良くぞ知らしてくれた」と自分の魂に感謝すると同時に、
今まで気付かず間違っていた、或いは未熟で足りない自分であったことを、
自分の魂に「ごめん」と言って詫びなくてはなりません。

その上で何事も喜んで明日から一歩でも二歩でも前向きに実践していくのです。

「神は身の内にあり」と言われています。
外に神を求め、ただ神のご加護を願うと言うだけでは業はなくなりません。

身の内の神とは「魂」のことです。「魂」とは「みたま」とも言います(以後、みたまと書きます)。

みたまは大自然、大宇宙の分霊(わかれ)ですから絶対の存在です。

この分霊のことを「わけみたま」と言いますが、
人は本来その「わけみたま」の指図どおりに生きていました。

これを神道では「随神=かんながら」と言いますが、
すべて自然のままに、ながらながらで生きる事ができたらどんなに楽か知れません。

しかし人間が知恵の木の実を食べてから智恵付き、心が出来、段々と神の意思から遠ざかり、我欲にまみれるようになって、埃を積み、業を積んで、
本来清浄でまん丸であったみたまが真っ黒に汚れ、いびつになってしまったのが現代の人間の姿でしょう。

いよいよその清算の時期が来ました。

今私たちに等しく求められているのは、自分自身の因縁を果たし、業を清算して、
みたま本来の、みたま通りの生き方をすることです。
世紀の変わり目という人もいますが、まさしく世紀の変わり目に差し掛かっています。

今人類の業の清算の時期だといわれますから、様々な出来事が津波のように襲ってくる
ことでしょう。
従って世の中はもっともっと暗く凄惨な様相を呈するようになり、
「行くに行けない、通るに通れない、越すに越せない」そんな瀬戸が来るかも知れません。

予期せぬ出来事がある日突然起きる可能性は高いと思われます。

別に脅かしでも不安をあおるつもりもありませんが、
一度そんな瀬戸を越さないと、本来のみたま通りの人間に戻れない、
随神(かんながら)の素晴らしい世の中にならないと言うことです。

しかし慌てることも不安になる必要もありません。

前回の「思いの切り替え」によって徹底的なプラス思考を身につけること、
そして、みたまの存在を知り、そのみたまと自問自答して、
感謝とお詫びを繰り返しながら、みたま通りの生き方を心がけていれば、
万事成る様になり、全てが巧くいくはずだからです。

今回は「因縁」とか「魂」とか「みたま」とか、
更には「かんながら」とかいう言葉が一杯出てきて、
「これは何かの宗教か」と思われたかも知れませんが、
決してそうではありません。

ただ「潜在意識」と言うものを語る場合、前述した通り、
すべての自己啓発書やその種セミナーでは、第七識までしか扱っていません。

それはそれで正しく、また有効ではありますし、
それで十分成果を出して成功する人も大勢いることも否定しません。

しかし、今日のような、ある意味世紀末的様相を呈してきた社会においては、
第八、第九識を避けては通れませんし、
これを理解し、それに対応しないと救われない人が今後激増するであろうこともまた事実なのです。

従って、敢えて因縁や業の清算まで踏み込みましたが、
もっと詳しくお知りになりたい方は、個人的に別の形でお話ししたいと思いますので、
ご遠慮なく電話かメールでご連絡下さい。

以上今回は長文になりました。最後までお読み戴き有難うございました。

話が核心に触れるためどのように表現するか苦心している間に時間ばかりが経って、
間が開いてしまいましたが、悪しからずご容赦下さい。

メルマガも発行していて、そちらでも間接的に自分磨き=みたま磨きの問題に触れていきますので合わせてご覧戴ければ幸甚です。









コメント
この記事をはてなブックマークに追加

潜在意識の大掃除 (1)

2009-02-23 17:52:29 | Weblog

19日から20日まで1泊2日の日程で「天龍錬成道場」を実施して来ました。

最も寒い時期のお寺での坐禅は、
1日目の夕方は禅堂で一時間、
2日目は早朝6時半から本堂(大方丈)の廊下で池(国の特別名勝第一号・世界文化遺産指定の曹源池)に向かって三十分座りました。

初めて経験される参加者ばかりでしたが、
若い修行僧が数年に亘って修行生活をしたという同じ空間で、
彼らの厳しい日常に思いを馳せながら自らの内面と自問自答する禅堂での一時間、薄明の中、雨に煙る幻想的な名園を眺めながらの三十分は、
寒さを忘れ、吾を忘れて沈思黙考する得難い体験となったようでした。

さて今回は潜在意識をどうやって大掃除するかがテーマでしたね。
これは今回の研修でも第一番目の課題でした。

 

前回も書きましたが、現在の自分はすべて過去の集積と言われています。
子供の頃から親や先生や友人やその他周囲からの言葉や情報によって、
何時の間にか形作られた自己像は、思い込みであったり、抑圧されていたりで、
必ずしも本来の自分とは異なります。

しかし人はそれがあたかも本来の自分であるかのように錯覚して、
自らが自らに限界を設け、その限界に支配されて殆ど疑うことをしません。
そして「俺はこういう人間だ、こういう性格だ」と勝手に規定しています。

鎖に繋がれた小象がそこから逃げられない事を一旦学習すると、
大きくなっても細い鎖から決して逃げようとはしなくなるそうですが、
一度刷り込まれた潜在意識の呪縛はかくも大きいのです。

私たちの潜在意識の中には幼児の頃からの無数の情報が内臓されています。
そして私たちが何かについて考えた瞬間(情報を入力した途端)、
潜在意識はたちまち過去のデーターの中から関連情報を引き出すのです。

それはあたかもコンピューターの中に保存されている無数の情報が、
検索をかければ即座に答えを引き出すのと同じです。

そして私たちはそれに導かれて行動するのです。


その情報がネガティブなもので覆われていれば、
引き出される答えはネガティブなものにならざるを得ません。
そして残念ながら、ネガティブな情報が断然多くて、しかも勢力が強いのです。
潜在意識の大掃除が不可欠な所以です。

潜在意識の大掃除の方法は2つあります。

一つは、マイナス思考が湧き出たとき、即座に否定、或いは打ち消して、
すべてゴミ箱へ入れてしまうのです。
そしてポジティブ思考(プラス思考)へ切り替えてしまうのです。

(コンピューターのソフトをマイナスからプラスへ全面的に入れ替えるのです)。

これを「思いの切り替え」と言います。

これは訓練して体得するしかありません。

毎日毎日、その度その度、幾度も幾度も思いを切り替えることによって、
潜在意識のマイナスの影響力は徐々に軽減され、
逆にプラスの影響力が大きくなってきます。

私はよく野球のバッターに譬えて、
「10本のうち3本打てれば3割打者で、一流選手だ」
と言っていますが、
最初から高打率を目指さないのが長続きのコツかもしれません。

そしてもう一つの方法。
これには理解しておくべき大事な前提条件があります。

それは長くなりますので、次回以降徐々にお話しすることにします。

 

それでは又この次まで・・・。

 

 

 


 


 


 

 

 

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

なぜ研修効果が長続きしないのか ?

2009-02-16 16:28:09 | Weblog

「三日もすれば半分忘れる。半月もすれば殆ど覚えてない」

そんな自嘲的な声が受講者や研修担当者からしばしば聞かれます。

その原因の一つに、 受け入れ態勢の不備があります。

折角その気になって職場へ戻っても職場は元のまま。
一人だけ浮き上がった存在になればたちまち意気消沈して結局元の木阿弥に。

又、その場ではその気になっても、その気持ちに嘘偽りは無くても、
実行が伴わなくては、アッという間にいつもの惰性に流されてしまう。

更に重要な要因は、成る程そうだそうだと納得しても、
「しかし俺には無理じゃないかなあ」「どうせ三日坊主で終わりそうだなあ」
と言う悪魔の声が聞こえているかも知れないということです。

「悪魔の声」とは何か ?

「セルフモチベーション」を高めて、自らの意欲を燃やし続けるためには、
「セルフイメージ」が重要な鍵であると言われています。
セルフイメージが高いか低いかによって、結果に雲泥の差が出来るのです。

自分はどういう人間か、どんな人に成りたいのか、目標は何かといった自己像、
これがセルフイメージです。志、使命感と言っても良いでしょうか。

志や使命感が高ければ、途中で投げ出したり、諦めることはしないでしょう。
むしろ更なる高みに向かって一層闘志を湧かして挑戦することでしょう。

かつて角聖と言われた双葉山が、
「必ず横綱になろうと思った者だけが横綱になれる」と言ったと伝えられています。

彼の頭の中には立派な横綱のイメージかしっかり描かれていたのでしょう。
だからこそ飽くなき挑戦と苦しい稽古に耐え切るモチベーションが保たれたのです。

セルフイメージが低いと、いい話だなぁ、そうだそうだと知識としては理解しても、
いざ実行しようとして困難にぶち当たると、たちまち妥協してしまうのです。
「お前には所詮無理だよ」という悪魔の声に負けてしまうのです。

悪魔の声とは何か ?

それは意識の下に眠る「潜在意識」です。
過去の膨大な経験や知識や行動パターンが意識下に眠っています。
私たちが行動を起こそうとすると、たちまちそれに反応して結果を導くのです。

勿論いい結果をもたらしてくれる潜在意識もありますが、
悪い結果に導くマイナスの潜在意識の方が圧倒的に勢力が強いのです。
そして低いセルフイメージではこの圧倒的な力にあがなうことは出来ません。

「メンタルマネジメントセミナー」は、まず始めにこの潜在意識の大掃除をします。
これを「自らの根を洗う」と言います。

そして改めてセルフイメージの再構築をします。
自らの意識を高め、なりたい自分のイメージを明確に描くことが出来れば、
やる気は自らの内側から自ずと湧き続けることは言うまでもありません。

 

続きは次回・・・・。

 


 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

足許を照らせ !!

2009-02-06 23:06:47 | Weblog

京都の天龍寺で開催している「錬成道場」は、もう25年にもなります。

以前に参加した人たちのうちで何人かの人とはその後偶にお会いすることがありますが、「他のことは忘れたけど、天龍寺だけは忘れられません」と言ってくれます。主催者としては嬉しい限りです。

禅寺の玄関には「脚下照顧」の立札が立っています。文字通り足許を照らしてよくよく自分を見直せという意味ですが、大概の受講者が最初はスリッパの脱ぎ方が乱雑で、指導の和尚さんから怒鳴られて目が覚めます。

「履物の脱ぎ方一つでその人間の真価が分かるんじゃ」 という和尚の一言の意味は限り無く深く重いものがあります。そこから何を感じ、何を気付くか、「錬成道場」の目的もそこにあります。

「平凡即非凡」。                                        高邁な理論よりも平凡な事の中にこそ真理はあるものです。「凡事徹底」「微差追求」を社是とし、掃除を徹底して好業績を上げている優良企業はつとに有名ですが、何事も徹底継続して実行することが中々出来ません。

研修で一時的にその気になっても長続きしない、と言うのは受講者は勿論担当者も経営者にとっても悩みの種ですが、それには理由があります。セルフモチベーションの秘訣は何か、それは生き甲斐にも通ずる大きな課題です。

「従業員の心の赤字を黒字に」。                               トップは勿論組織の隅々までこの心構えが大切ですが、この不況下、現状は真っ赤っかかも知れません。リーダーの意識変革が必要です。成長期の意識のままでは、(特に若い社員などには)対応し切れないかも知れません。

人材こそ企業の財産と言いながら、名だたる大企業までがリストラの嵐です。背に腹は代えられないとは言え、かつての幸之助さんのような肚の座った経営者はいないのでしょうか。(サラリーマン社長には所詮無理な注文かも知れませんが)。

全社一丸となって難局を乗り切るために、危機感の共有や積極的なやる気は勿論ですが、トップから末端に至る相互信頼や共感、納得の土壌が不可欠です。今ほどリーダーの姿勢や人間性が問われるときはないでしよう。

「メンタルマネジメントセミナー」は、天龍寺も含めて、そんなことを考えながら皆さんと一緒に問題解決に向け、研鑽して行きたいと思っています。

「今迄のように十杷一からげではなく、今からの時代は、一ッ葉一ッ葉へのきめ細かな対応が必要な時代」 と言われています。

企業それぞれの事情があり、状況も異なります。小回りがきく利点を活かして、クライアント様のご要望に柔軟に対処して行きたいと思っています。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「メンタルマネジメントセミナー」について

2009-02-03 01:25:05 | Weblog
今日は「メンタルマネジメントセミナー」について概略説明をします。

基本テーマは「自分が変われば世界が変わる」です。

世界が変わるとは些か大げさですが、自分を取巻く世界が、環境が、或いは状況が変わるというほどの意味です。

「窮すれば通ず」という言葉がありますが、正確には「窮すれば変ず。変ずれば通ず」と言います。この変ずればというところが大事で、変わらなくては何にも始まりません。


学習の柱は2つ。「自己の変革篇」と「社風(職場風土)の変革篇」です。


「自己の変革篇」は、文字通り、自分自身の変革です。


自己の見直しに始まり、潜在意識の大掃除、心構えの変革(プラス思考への転換)、そして、日々の実践を通した自分磨きへの道筋を再確認します。


「社風(風土)の変革篇」は、主にリーダーシップのあり方の実践篇です。


人間関係(コミュニケーション)やモチベーション等、日頃のリーダーシップのあり方を見直し、人の育つ環境をいかに整備するかを学習します。

そして最後に、自らの人生目標(セルフイメージ)を明確にし、日々の実行課題を決定します。大事な事は、セルフイメージが低かったり、曖昧のままでは、研修の成果は一時的なもので終わり、長続きしないと言うことです。

従来のセルフイメージを見直し(公私にわたって)、新たな高いセルフイメージを再構築することによって、モチベーションを持続し、一人の人間として、またプロのビジネスマンとして、更に優秀なリーダーとしての成長を期待しています。


昨今は職場のメンタルヘルスが重要課題になっています。その背景は様々ですが、今後はもっともっと深刻になることは間違いありません。

それに対応するには、まず個々人が、どんな変化にも動じない強い人間力を体得することです。企業としては、職場のリーダーのメンタルスキルを強化し、問題解決能力を身につけて対処していかなくてはなりません。

当「メンタルマネジメントセミナー」は、正に此処にフォーカスして、クライアント様の
複雑で多様なニーズに、きめ細かく対応させて頂きたいと念願しております。


どうぞいつでもお気軽に御連絡下さい。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

覚悟の時代

2009-01-07 17:08:00 | Weblog

新年明けましておめでとうございます

 

激動の時代の幕開けでしょうか、急激な景気の減速で世間は大騒ぎです。

   「めでたさも 中ぐらいなり おらが春」(一茶)

そんな心境で新年を迎えられた方もあったんじゃないでしょうか。

 

ある経営者の方と話していたら、

「景気が悪い悪いとマスコミが騒ぎすぎる。

 景気は気が大きく作用するから、社員がそんな気になるのが怖い」

と仰っていました。

「こんな時こそ智恵を絞って一丸となって不景気風を吹き飛ばせ !」

と社員に発破をかけているんだ、とも。

 

日本人はどちらかと言えば悲観論が好きで、

大変だ大変だと大騒ぎしますが、

過去の大変な時代を結構したたかに乗り越えてきました。

土壇場になると底力を発揮するのもまた日本人の特質でしょう。

 

「覚悟の時代」と言われています。(五木寛之氏の著書の題名から)

 

その意味は、

 ”遠心的に拡大・発展した成長一辺倒の時代が終わり、

  人々の意識は、求心的に内面の調和充実に向かっている。

  そんな時代の大転換期には、そのパラダイムの転換に伴うであろう

  社会的混乱、心理的不安等々に、数年或いはそれ以上に亘って

  耐え忍ぶ覚悟が必要だ”

と言うことではないでしょうか。

 (明治維新の時、昭和二十年の敗戦時のように・・・)

 

こんな時代の空気を反映してか、今世の中にはスピチュアルブームと

でも言うべき現象が起こっています。テレビのゴールデンタイムに堂々と

この種番組が流れることなど数年前までは想像も出来なかったことです。

 

その内容の良し悪しは別として、これも時代の流れかなと思われます。

本能的に人々が危機感を感じ、意識するしないに拘わらず、魂の救いを

求め出している、そう言えなくもありません。

 

「表面的なテクニックや理屈では消費者はもう満足しなくなって来た。

 物を売るにしろ、人間関係にしろ、心底からの真心や誠意がなくては

 お客様からそっぽを向かれてしまう。

 お客様に共感され信用される企業でなくては生き残れない。」

これも或る有力小売業の経営者の述懐です。

 

本物だけが通用する時代、魂の触れ合いが求められる時代です。

当「メンタルマネジメントセミナー」は、こんな時代背景を踏まえて、

今年も皆様のお役に立つお手伝いをしたいと念願しています。

 

今後はお役に立つ情報をこのブログを通して発信して行きたいと

思っています。ご期待下さい。

今年も宜しくお願い致します。

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

変わんなきゃ !!

2008-11-29 01:56:25 | Weblog

「自分が変われば世界が変わる !!」

島田洋七氏の「佐賀のがばいばあちゃん」がベストセラーになりましたが、あれは確かに面白かったですね。彼が2ばっかし並んだ通信簿を見せたときおばあちゃんは「足したら5になる。人生は総合力や」というくだりなど爆笑モノで、「なるほどうまい事言うなぁ」とすっかり感心してしまいました。

その他生活の知恵や人生訓が、巧まざるユゥモアーの中に満載で、大いに笑わせてもらい、同時に改めて色んなことを教えられました。

昔は世の中全体が貧しく、又世間の様々な制約が厳しくて、その日その日を生きることに精一杯でした。人は辛い苦しいだけでは生きられませんから、その中で如何に明るく楽しく生きるかを自然に身につけるしかなかったとも言えるでしょう。ですから、かばいばあちゃんのようなお年寄りが周りに一杯いたように思います。

暖衣飽食と言われる今日は、時代の環境も状況もすっかり変わりましたから、人間がもやしのようにひ弱になるのは仕方がないのでしょう。冷房のない夏の暑さや、暖房のない冬の寒さを考えただけでもハナからお手上げです。

しかし別の意味で今日は変化が激しく、しかも先行きは極めて不透明ですから、それに対応するのは余程柔軟な思考と強靭な精神が必要です。「メンタルマネジメントセミナー」では、”変化に動じない自分づくり”を目指していますが、そのポイントの一つはやっぱりかばいばあちゃんのような「思いの切り替え」でしょうか。

何事も見る視点、考え方の基点を変えれば違う景色が見えてくるものです。マイナスをプラスに、ピンチをチャンスに転換することが可能です。そして自分が変われば自分を取巻く世界が変わります。逆に言えば、自分が変わらなくては何も変わらない。

物事に行き詰まるのは、様々な原因がありますが、詰まるところは自分自身の思いの行き詰まりであると言われます。その思いをどう変えるかが問われているのです。「自分を変える」その覚悟さえあれば、時代がどのように変化しようとも動ずることはない、そう自分に言い聞かせているのですが、さて・・・。

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加