ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

畳替えをいたしました

2017年05月13日 | 日本文化
久しぶりに畳替えをいたしました。床の間は、父のベッドが入ってしまっているので、残念ながらパス。

畳屋さんは、同級生の岡田畳店。

我が家の畳の床(とこ)は、100年もの。普通は、30年くらいで、床は替えるそうですが、床(とこ)の下の床(ゆか)があまりにも良くできているためか、100年持ったということになります。ゆかは、檜。

備後(広島)の新しいイ草の香りが満ち満ちて、とっても幸せ。畳の縁(へり)は、綿を使っていただきましたが、今時は、綿の縁を作る会社は、京都の一社のみになってしまったそうです。

お茶亀屋さんで8日に発売になった八十八夜の新茶を買って来て、新しい畳の上でいただきました。極楽極楽。




ユラーナ
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Long-long-ago in Kawagoe No.26アップとなりました

2017年05月01日 | 川越今昔ものかたり
小江戸川越観光協会の英語版HPに掲載しているLong-long-ago in Kawagoeの26号がアップとなりました。(事情により、4月はお休みになってしまいました。)

今回は明和4年(1767)以来、七代約百年間、川越城の城主であった松平大和守家の後、川越城主となった松平周防守康英について書きました。

周防守家は、関ヶ原の戦い以前から徳川家康の家臣でありました。初代は、松井左近忠次といいましたが、家康から「松平」の姓と一字をもらい「松平康親」を名乗りました。

時を経て、時代は、幕末。周防守家の13代当主は、康英。康英は、幕府から遣欧使節の副使として、フランス、イギリス、オランダ、プロシア、ポルトガル、ロシアを一年かけて訪れました。帰国して間もなく、康英は、慶應元年(1865)に、老中職につきました。

その翌年、康英は、棚倉から川越への移封を命じられ、川越城主となりました。幕末の動乱期にあって、康英が、川越城に入ることが出来たのは、明治になる直前でした。

今も、周防守の家臣であった方の子孫は、川越に住んでいらっしゃる方も多いです。

動乱期を生き抜いたお殿様の立派なお墓は、小仙波町の光西寺にあります。合掌。




ユラーナ
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Long-long-ago in Kawagoe No.25アップとなりました

2017年03月02日 | 川越今昔ものかたり
小江戸川越観光協会の英文のHPに掲載中のLong-long-ago in Kawagoeの25号がアップとなりました。

今回は、幕末に来航した黒船に乗り込んで、アメリカ人と身振り手振りで会話した川越藩の武士、内池武者右衛門について書きました。

ペリーの黒船がやって来たのは、嘉永6年(1853)。それより、7年も前に、アメリカからコロンブス号とヴィンセンス号がやって来ました。川越藩は、相模領に分領を有していたために沿岸警備の命を受けていました。内池武者右衛門は、そのヴィンセンス号の鎖をよじ登り、船首に黒船一番乗りの御船印を立てた人物です。

川越市立中央図書館には「先登禄」と題する紙数25枚の写本があります。筆者は、内池武者右衛門です。「異人」とのやり取りが、とてもユーモラスに描かれています。

開国前に、前線であった川越藩士とアメリカ人との間でのやり取り。貴重な史料です。


弘化三年相州野比沖渡来軍艦図(川越市立博物館蔵)

ユラーナ
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Long-long-ago in Kawagoe No. 24アップとなりました。

2017年02月01日 | 川越今昔ものかたり
小江戸川越観光協会の英語版のHPに掲載させていただいているLong-long-ago in Kawagoe の第24章がアップとなりました。

幕末の川越藩主は、松平大和守斉典(なりつね)でした。幕末の日本は、諸外国の船が日本の沿海を航行し、幕府は、江戸湾の警備に本格的に取り組む必要がありました。川越藩も、文政3年(1820)会津藩に代わって浦賀奉行を助けることを命じられました。

ひっぱくする藩の財政に追い打ちをかけるかのように、川越城は、弘化3年(1846)に炎上しましたが、火災からわずか2年半で完成しました。現在残っている本丸御殿は、そのときに建てられたものです。

斉典は、藩校を開設したり、大手門前に目安箱を置いて、民の声を聞こうとしたと言います。

松平大和守家の廟所は、喜多院の潮音殿裏にあります。現在は、修理中で、見ることができませんが、川越で約100年続いた大和守家の偉大さをうかがい知ることができます。






ユラーナ
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Long-long-ago in Kawagoe No.23アップとなりました。

2017年01月14日 | 川越今昔ものかたり
小江戸川越観光協会の英文のHPに掲載させていただいているLong-long-ago in Kawagoeの第23号がアップとなりました。

今回は、8年前に98歳でお亡くなりになられた棟梁の数野友次郎さんのことを書きました。数野さんにインタビューさせていただいたのは、2003年。92歳のときでしたが、昔のことをとてもよく覚えていらして、びっくりしました。

19歳のときに、親方の家にあった図面を模写。それが後に、川越氷川神社の本殿の図面であることを、第21代宮司でいらした山田勝利さんが認め、とてもお喜びになったとのことでした。というのも、天保13年(1842)に起工された本殿の図面はすでに見つからなくなっていたためです。

模写とは言え、大変貴重な図面です。文化財指定になればいいなと思います。



ユラーナ

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