邪馬台国はどこ?魏志 倭人伝をGoogleEarthでなぞって卑弥呼の都へ

倭人伝の行程をグーグルアースでなぞってみました。
そこで気づいたこと、考えたことを綴ってみました。

やすいゆたか氏説「聖徳太子による皇祖神差替説を考える」

2017年03月21日 09時49分31秒 | 読書記録

第一回


guzekannonzou2

一身で神差し替えの罪を贖い、日本国誕生

聖徳太子が神話の神様を差し替えたことで日本という国が誕生した

「神差し替え」とはなんでしょうか?

  実は物騒な問題提起なんです。

  本当の日本の皇祖神はアマテラスではなく

  本当の主神はアマテラスではなかった。

  別の神様だったというのが

  やすいさんの説です。


そこらへんの当時の事情です 

  • 『憲法十七條』の意義で話し合いのルールを示したのは、主神や大王家の祖先神を差し替えるという大問題で紛糾していたからということだったけれど、
  • それはあくまでも聖徳太子がいたから出来たのか、それともたとえ聖徳太子が架空であってもできたことなのかが問題です。
  • 厩戸皇子がこの差し替えの議論を何とかまとめて、天照大神を主神・皇祖神にできたから「聖徳太子」と呼ばれるようになったのです。
  • 大山誠一さんなどは厩戸皇子は聖徳太子と呼ばれるようなことを何一つしていないのに、後世になって「冠位十二階制」「憲法十七条」などを制定し、難しい仏典の講話などをしたことにして聖徳太子だったことにされたというのです。
  • それらが『日本書紀』には書かれていても、同時代の史料に出てこないという理由をあげていますが、当時の文字史料はほとんどありません。
  • だから、同時代の文字史料で実証しろというのは無理難題なのです。でも神道大改革がなされたとしたら、そのプロセス(過程)で「冠位十二階制」「憲法十七条」、仏典の講話など必要だったと考えられるから、あった可能性はあると言えるのです。

農耕民族は太陽を拝み海洋民族は北極星や月を拝んだはずだ


大和政権の中心地は摂津・河内・大和・山背などで、

農耕中心の国家だったので、

太陽神・水や大地の神々を祀るのが相応しいはずなのに、

月や北極星などを祀っていたのです。

   ⇒ もともと海洋民だったので航海のために月と北極星を

     祀っていたという話です

それに対して前王朝の祖先神は天照大神で、

これは祟り神として恐れられ、

帝の娘を御杖代として差し出して、

伊勢でお祀りしていたのです。

  ⇒アマテラスは祟の神様!知らなかったですね~

   明治天皇までずーっと天皇は伊勢神宮に行ったことがありません。

   単純に変ですよね。京都とか奈良とかに住んでいて

   1000年以上に渡って=つまりはなから行く気がなかったのです

前王朝

         ⇒ヤマトの前ですね

の饒速日神は

      ⇒ニギハヤヒって神武天皇が東征して奈良に来たとき

         すでにその前にやってきていて奈良地方を治めていた神様です。

磐余彦大王に臣従して

朝廷とは別に太陽神信仰を引き継いでいたのです。

      ⇒つまり朝廷は太陽神を信仰していなかった。北極星なんかを信仰してたんです

ところがやはり農業国家だから夜中に月や星の祭祀では不安なので、

太陽神中心に主神祖先神を差し替えようということなってきたのです。

   ⇒主神と祖先神の違いは何でしょう?

    微妙にニュアンスかぶりますが別なんですよ

そのきっかけは、

第一回遣隋使の夜の祭祀を帝に批判されたこと以外にも

   ⇒隋の皇帝から夜政治するなんて変な真似はよせよ

    と言われたんです

    余計なことをいう方も言うほうだけど

       なんといっても世界帝国隋の皇帝ですから

       言われた方は気になるから夜の祭紀はやめんといかんかなーと

       考え込んでしまいますね

何かあったのでしょうか?


以下次号

 

千四百年の封印 聖徳太子の謎に迫る (SQ選書06)

やすい ゆたか
社会評論社
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