邪馬台国はどこ?魏志 倭人伝をGoogleEarthでなぞって卑弥呼の都へ

倭人伝の行程をグーグルアースでなぞってみました。
そこで気づいたこと、考えたことを綴ってみました。

邪馬台国は稲作のクニ だと思うので四方山話。

2017年04月20日 08時12分47秒 | 読書記録

水稲は食料革命なのか?主要食物の追加だったのか? 
小麦文化ではそれは食料革命であり、そこではじめて定住生活が可能になったとされています。

そしてその定住場所に遊牧民が交易にやってきて、

農作民と遊牧民という形がはじまったとなっています。 
→米作の揚子江文明は違う構造と言われていますが。 

さて日本の場合は縄文時代から定住生活がはじまっています。つ

まり穀物抜きで定住が可能になったのです。

それは日本列島のあまりの豊穣さから、

動物、淡水魚、海水魚、海産物、湖産物、どんぐり、くるみ、クリ、果物、そのへんの草、

それにすべてが細流の急流である毛細血管のような川。 

そこですでに定住生活をしている縄文時代の人々は新たな米というものを、

他の文化圏の人々とはまるで違う受け入れをしたのではないかと思ったのです。 

そして黒曜石。

 http://www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/urashima.htmlより 

「丹後半島の東側,日本海や若狭湾に面した,伊根,朝妻,本庄,筒川の4つの村が合併して昭和29年11月3日に伊根町となりました。 

伊根は舟屋といって全国でも珍しく下に船のガレージ,上に住居がある建物が並んでいます。 
 
これはやがて瀬戸内海の広島の島にも伝わり、その後その島の一派がわたしの故郷に江戸期に来て、わたしの九州の故郷は戦前までこうでした。 


満潮時はまるで海に浮かんで見え,観光名所ともなっているところです。この近くには新井崎神社があります。 

蓬莱国にあると言われる不老不死の薬草を求めて中国から日本にやってきた徐福を祭神とする神社で,真東の海上には常世(とこよ)島とも呼ばれる冠島が浮かんでいます。」 
冠島はたしかホアカリノミコトが天孫降臨したとされる島ですね。

すぐそばに例の赤坂今井古墳もありますし、丹後半島は古来より、海人たちの根拠地の一つだったのでしょう。 
浦島伝説というのもイノックアーデンやロビンソンクルーソーのように、船乗りが難破して、故郷に帰ってくるのが遅くなり、その間に、町ごと滅びていた逸話だったかもしれません。あるいは、この海人たちが尾張や近江や伊勢に移住してしまし、戻ったときには蛻の殻だったという逸話の物語化だったかもしれません。 

丹後は近江の稲部や伊勢遺跡へのベースキャンプのようなもので、出雲→丹後→内陸部というルートの象徴の一つですね。 

そしてこれが瀬戸内海とどうからんだかが、倭国大乱なのかもしれません。



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