邪馬台国はどこ?魏志 倭人伝をGoogleEarthでなぞって卑弥呼の都へ

倭人伝の行程をグーグルアースでなぞってみました。
そこで気づいたこと、考えたことを綴ってみました。

邪馬台国とタミル語。古代「海のシルクロード」①古代インド洋の大航海

2017年11月03日 07時53分52秒 | 読書記録

インドのタミル語が日本語の起源であるという説があります。その説には構造的に欠陥があり、今では

ほぼ否定されています。

日本語とタミル語 (1981年)
大野 晋
新潮社

しかしこのような書物があります。

また現在では田中孝顕氏のタミル語について考察された文章がとても開明的で教えられるところ多いものでした。

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古代南インドの活動領域については我々のイメージは全く追いついていません。

その地球規模の活動範囲を見ると、

南インドのドラビダ人(=これはまさにモヘンジョダロを作った人たちではなかったでしょうか。)が日本に来た可能性を否定しきるのも野暮な気がします。

むしろ海のシルクロードはゴール地点となる日本列島に向かって多くの人々を連れてきたと考えると

ロマンも学説の奥行も広がると思うのです。

奈良時代の平城京にはペルシャ人の名前が彫られた木簡が見つかっています(新聞掲載の事実です)

そしてローマ時代のロンドンから漢民族の骨が見つかっています(これも新聞報道レベルの事実です)

そんなことを想定して自由に想像してみます。

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邪馬台国は3世紀。

倭国王帥升が朝貢したのが107年。志賀島の金印が57年。奴国の時代でしょう。するとたぶん日本神話の歴史的舞台として紀元0年前後、紀元前200年くらいの稲作の水耕勃興のあたりではないかと思うのです。


されこの紀元前2世紀から紀元後3世紀のあたりの500年の時代。中国は漢の時代。西洋ではローマ帝国、その間のペルシャ世界は割合混乱があり3世紀のササン朝ペルシャまでは分裂と滅亡を繰り返していたようです。

世界は古代からつながっていました。

世界規模で一元的にはつながらなくても地域ごとに広域がつながりその広域同士がつながることで、結果として世界には直接間接のネットワークが生まれるのでしょう。

古代海のシルクロードはこんな風なネットワークでした。

紀元0年あたりの頃です。

海のシルクロードを見ると、各地の海路をつなげるとローマ帝国と漢はつながってますね。すると必然として、広州、泉州と長江はつながるから長江と朝鮮半島や日本列島も東アジアネットワークでつながるのです。

つまり日本とローマは海路でつながっていると言えないこともないわけです。


誤解のないように述べますが

もちろんこれをもって現代のように、

ヨーロッパとアジアを自由に行き来していたということではありません。

各地の海路はそこで自己完結していて、

たとえば長江からインドに直接いくこさえなかったとおもいますし、

ローマからインドというのも

地中海の航海者と西インドの航海者ば別であり、

西インド洋と東インド洋も別であり、結果としてしかしつながっているということです。

インターネットのようなものでしょうか。

 

さて注目したいのはインド南半分くらいにあった王朝アーンドラ朝の人々のことです。

この人たちの言葉の一つがタリム語です。

この人たちというのはドラビダ人です(イギリス人がつけた名称。言語グループに分けてドラビダ系ということにした)タリム語というとマイナーに感じますが

この地域で使われていて、なんと7000万人もの人が使うそうです。領域も人口も国レベルです。

世界4大河文明というのがありますね。いまでは12文明とかになっていて4つどころではないとなっていますが、インド代表は

インダス文明です。

これをつくったのがドラヴィダ人です。

Wikipediaより

これは同文明の遺跡から発見された未解読のインダス文字により記された言語が、マヤ文字で有名であるユーリ・クノロゾフらソ連の研究者によってドラヴィダ語族の言語である可能性が高いことが指摘された。ということから推測されています。

(これをきっかけにインダス文字の研究では、Iravatham Mahadevanがドラヴィダ語仮説(Dravidian hypothesis, 南インドのドラヴィダ系の言語)を提唱し、Shikaripura Ranganatha Raoはドラヴィダ語仮説に反対していた。これらの対立にはドラヴィダ運動英語版の政治的な側面からの影響もあった。現在に至るまで多くの研究がなされているが、[1]インダス文明の言語がドラヴィダ語に最も近かったことはほぼ確実である。)

 

さてそれでインド神話によると

北からやってきたアーリア人たちはドラビダ人の神を悪魔の神とよび、

ドラビダ人の地域ではその神は当然正義の神となりますから、インドでは山の向こうとこちらで同じ神が正義だったり悪魔だったりすることがあるようです。

モヘンジョダロはなぜだか都市ごと放棄されます。ドラビダ人たちは南インドに逃げます。

そこでアーンドラ朝がやがてできます。

 

そのアーンドラ朝が邪馬台国前夜の時代、国際交易の国として隆盛を極めます。

有名な話としてローマとの交易です。

 

この海路、NHKでも紹介されていましたし、世界史の教科書に昔から載っています。

なんとインド洋を外洋航海していますね。

陸路伝いではなく一気にアラビア半島からインド半島に航海しています。

これがどれだけすごいことかというと

上の地図のラインの距離は最長3000キロくらいありますし、ちょっと外洋航海するだけで1000キロなのですね。

赤線は長い方が3000キロくらい。短い方が1500キロです。

これを東アジアに当てはめると

この赤線は1000キロから1200キロくらいです。

3000キロというと日本の九州からベトナム近くまで行きますね

いかにスケールの大きいインド洋航海をしていたかがわかります。大航海で中東からインド半島へ航海していた。

 

この時代

漢民族の22人の骨がイギリスで見つかっている。

インドネシアでローマの金貨が見つかっている。

このインド洋航海を制していたドラビダ人の航海術がそれらの出来事を可能にしたのだと思います。

 

続く

 

 

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1 コメント

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Unknown (尾張氏)
2017-11-03 08:54:51
海洋民族倭人の原点はインドにあり。
とまではいかなくてもそういう海洋民の生業の研究は面白いですね。海は広いから可能性も広い。

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