「奇跡の人」で哲学をやるシリーズ。前回の最後は
現実は個物で埋まっているのに、どうして言葉は一般性を獲得しうるのか?
という設問で終わりました。「一般性」って、いったいどこにあるんでしょうか?
少し考えて思いつくのは、「言葉とものたちとを媒介する『観念』とか『イメージ』と呼ばれるものにある」、という解答。
個々のものたちに出会い、そこからそのもの一般の観念を抽出する。その一般観念と言葉を結びつける。
ヘレンとしては、数多くの猫に出会い、猫の本質を引き出し、正しい一般観念を形成し、「cat」という言葉と結びつける、というわけ。前回の例で示した「cat」をタマとミーをだけ指す言葉と考えるなど、一般名詞を固有名詞的な理解しかできない段階のヘレンには、一般観念を形成する能力に欠けていた、と。
・・・どうも観念的な話でわかりにくいですね。
ヽ(´エ`)ノ
じゃあ「観念」とか「イメージ」と呼ばれるものとはいったい何なのか?そして何よりも、その「観念」自体が個別的なものではないのか?
例えば「猫一般の絵」って、どんなのを想像するでしょうか?
とりあえずこんなの貼っときますが・・・
これでシャムネコやペルシャネコを表せているでしょうか?「猫一般の絵」というのは、三毛猫や黒猫やペルシャネコのどれでもなく、かつ三毛猫や黒猫やペルシャネコのどれでもある絵を描かなければなりません。
おそらくそんなことは不可能であり、イメージを思い描くことだって同様に無理でしょう。
一般観念は存在せず、あるのは個別的なイメージのみ。
だったら「一般的猫」が個別の猫ではなく、なおかつ心の中にも存在しないとしたら、意味の持つ一般性にはどうやって到達するんでしょうか?
現実は個物で埋まっているのに、どうして言葉は一般性を獲得しうるのか?
という設問で終わりました。「一般性」って、いったいどこにあるんでしょうか?
少し考えて思いつくのは、「言葉とものたちとを媒介する『観念』とか『イメージ』と呼ばれるものにある」、という解答。
個々のものたちに出会い、そこからそのもの一般の観念を抽出する。その一般観念と言葉を結びつける。
ヘレンとしては、数多くの猫に出会い、猫の本質を引き出し、正しい一般観念を形成し、「cat」という言葉と結びつける、というわけ。前回の例で示した「cat」をタマとミーをだけ指す言葉と考えるなど、一般名詞を固有名詞的な理解しかできない段階のヘレンには、一般観念を形成する能力に欠けていた、と。
・・・どうも観念的な話でわかりにくいですね。
ヽ(´エ`)ノ
じゃあ「観念」とか「イメージ」と呼ばれるものとはいったい何なのか?そして何よりも、その「観念」自体が個別的なものではないのか?
例えば「猫一般の絵」って、どんなのを想像するでしょうか?
とりあえずこんなの貼っときますが・・・
これでシャムネコやペルシャネコを表せているでしょうか?「猫一般の絵」というのは、三毛猫や黒猫やペルシャネコのどれでもなく、かつ三毛猫や黒猫やペルシャネコのどれでもある絵を描かなければなりません。
おそらくそんなことは不可能であり、イメージを思い描くことだって同様に無理でしょう。
一般観念は存在せず、あるのは個別的なイメージのみ。
だったら「一般的猫」が個別の猫ではなく、なおかつ心の中にも存在しないとしたら、意味の持つ一般性にはどうやって到達するんでしょうか?