そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

大前提の中に眠る画期

2008-05-05 22:15:23 | 歴史
会社の宿題で勉強した論理学が「クセ」になって独学を続けてます。

で、論理学の三大原則を列挙しておきますと、

同一律:AはAである A⊃A
     鉛筆は鉛筆である。お皿はお皿である。
矛盾律:「Aであり、かつAでない」ということは成立しない ¬(A∧¬A)
     「これは鉛筆であり、同時にお皿である」なんてことは成立しない。
排中律:「Aである」か、「Aでない」かのどちらかである A∨¬A
     これは鉛筆であるか、鉛筆でないかのどちらかである。

普通に考えれば誰だって
「そりゃそうだろ。常識的に考えて」
と言いたくなることばっかり・・・なんですけれど、これを疑ってかかった人たちがいます。

排中律については、19世紀後半の集合論・数学基礎論を通じて疑義が呈されました。
「桃太郎には虫歯があったか、無かったかのどちらかである」
という命題に対して、「そんな検証不可能な話は命題ではない!」
という直観主義という立場です。で、排中律を拒否すると、背理法という数学の強力なツールが使用不能になるという、とんでもない副作用が付きまといます。
「そんなモン我慢できるか!!」
とぶち切れた当代随一の数学者・ヒルベルトが当代の数学者のドリームチームを組んで数学の体系を構築し直

そうとしましたが、若き天才・ゲーデルが
「そりゃ無理ですぜ、ダンナ」
と、この壮大なプログラムの死亡確認をしました。
そんなわけで、思想信条のレベルで、数学には2つの体系が並立することとなります。ま、中学・高校で習う数学

は「古典的な」、排中律を認める立場のものですけどね。

続いて矛盾律ですが、これは構文論(形式そのもの)ではなく、意味論的に別のモデルが提案されました。それ

が弁証法で、提案したのがヘーゲル。弁証法とは正と反の対立を、合という双方を包含し、かつより高い水準のものに引き上げるシステムです。人間であったイエスは、処刑により死ぬことで神になった。そんなシステム。ヘーゲルの仕事によって、ドイツ観念論は完成を見ます。

最後の同一律はどうか?・・・意外に思われるかもしれませんがこれ、ワタシはダーウィンだと思うんですよ。

文章の分量の関係からダーウィンのお話は次回に回しますが、大前提を疑ってみると案外、時代の画期となりうるぐらいの大発見が眠ってますよ、というお話でした。

最新の画像もっと見る