羚英的随想日記

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■横須賀の海へ 春■

2017-03-08 11:11:06 | 風の吹くまま
先月の22日(水)、海も穏やかなようだったので獅子丸に前から誘われていた横須賀に行ってきました。
時々日が差す曇り空。
まだまだ寒さが残る一日でした。

まずは…







海軍カレーで有名なお店でお昼をご馳走してくれました!
なぜか牛乳が付いています…?


調べてみたところ。

明治初期、海軍ではビタミン不足による脚気で命を落とす兵士が多く、それをどうにかしなければと予防する方法が検討され、軍医の高木兼寛(たかぎかねひろ)が当時イギリス海軍で提供されていたカレー風味のビーフシチューに着目。肉や野菜・多くの香辛料が入り栄養に富み脚気防止に効果的と考え、日本の主食の米に会うように小麦粉でとろみをつけて提供。それ以降は脚気が激減したといいます。
その時高木兼寛は、栄養をさらに摂るようにサラダと牛乳を一緒に出すよう推奨していたそうです。


その慣わしなんですね。

今でも海上自衛隊の金曜日のカレーには副菜としてサラダと牛乳もつくそうな。

当時まだ長期保存する技術が発達していなかったために、イギリス海軍は長い航海の間シチューに不可欠な牛乳を保存することが出来ず、インドで香辛料に防腐効果があることを知り、牛乳が入るシチューの代わりに同じ材料で作れるカレー風味のシチュー(ビーフシチューだとのこと)を提供していたそうです。

そうそう!
肝心なカレーの味は…コクがあって美味しかったですよ





横須賀に到着し、まだ時間があったのでヴェルニー公園を少しだけ散策しました。
陸上自衛隊の横須賀地方総監部に停泊している船が見えます。
艦番号101、護衛艦むらさめが見えます。






ここには多くの石碑が並んでいます。
装飾石が剥がされているものもあったけど…。
もしもイデオロギーの相違でされたことだったら何だかなぁと思いますね。






YOKOSUKA軍港めぐり、の遊覧船。
これから乗船します。
獅子丸の招待です!


米軍の空母ロナルド・レーガンはしばらくすると横須賀から離れるとかで、その前に一緒に見に行かない?と獅子丸が言っていたんですが、そのレーガンを遊覧船から眺めるのだとは知らなかったんです(笑)
てっきり地上から遠くのを見るのだとばかり。
平日でしたがツアー客も含めて多くの人が集っていました。





だから海の様子を気にしていたんだーっ(笑)
荒れていたら乗れないものね、そりゃ。
寒いけど画像が撮れるように2階のデッキを陣取りました。






こちらはアメリカ海軍横須賀基地(正式名:横須賀海軍施設)。
艦番号63、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦ステザム。
イージスシステムを搭載した、いわゆるイージス艦です。


ツアーガイドからイージス艦の見分け方を教わりました。
世界共通で、上部構造物?の窓が並んでいる部分の下に八角形の色の薄い板が付いているのがイージス艦。
この画像だと前面にふたつありますね。
これはフェーズドアレイ・レーダーと呼ばれるレーダーだそうで、船体の4面に配置されているそうです。
世界中のイージス艦にこのレーダーが搭載されているのだとか。





潜水艦。
これは日本の海上自衛隊のものだったと思います。
目に見える大きさよりももっともっと大きいそうです。
(当たり前か…笑)






艦番号56、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦ジョン・エス・マッケイン
艦番号54、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦カーチス・ウィルバー
二隻のイージス艦の向うには…






原子力空母ロナルド・レーガン。
赤と白の大きなクレーンがある空母専用埠頭に停泊しています。
全長333m、東京タワーと一緒の長さだけど、その大きさが実感できない!






正面の方から見るロナルド・レーガン。
6000人を収容出来るそうで、中には郵便局、床屋、銀行ATM、教会、病院、スタバなどあり、もうひとつの町ですね。


6年前、この空母は米韓合同演習に向かう途中だった1300キロ離れた太平洋上から仙台沖に向かいました。
正式命令前の艦長と司令官の独断だったといいます。
そして、この原子力空母と乗組員たちが福島第一の放射線に被爆したことは人々の知るところです。

あのとき東北で人道支援にあたったこの艦を、私は1度しっかりと見てみたいと思っていました。
感慨深いです。
あれからもうすぐ6年になります。


ここ横須賀湾本港地区から航路を進み東京湾に出るあたりになると、帽子が飛ばされそうになるほどの冷たい風が強く吹きつけ、空も暗い雲に覆われ、海上はそれはそれは寒かったです
暗くて画像は諦めましたが、東京湾には行き交う船があちらこちらに。
対岸は千葉の富津です。

そして、後述の吾妻島をぐるりと回り込むように長浦地区へ入りました。





海底観測艦にちなん。






艦番号・船名を塗り潰されて静かに廃船の時を待つ船。
これは機雷除去のための木造の掃海艇です。
水圧や金属(磁気)に反応して爆発する機雷に対応出来るように木造で造られたそうです。
機密が詰まっているこの船を、膨大で厳重なマニュアルに従って解体を担える業者が現れるまで、ここに静かに停泊されるのだそうです…。






新井掘割。
両側の陸地はもともと繋がっていた半島でした。
明治の頃に旧陸軍が開削し近道になる水路を作りました。
現在左側の吾妻島は米軍に属しているので一般人の立ち入りは禁止だそうです。
燃料が貯蓄されているとかいないとか。






8月に来たときは陸地からでしたが今回は海側から。
5隻の海上自衛隊の船が停泊しています。






右から艦番号
423、補給艦ときわ
171、ミサイル護衛艦はたかぜ
107、護衛艦いかづち
116、護衛艦てるづき
101、護衛艦むらさめ

「いかづち」 と 「むらさめ」 は同型の姉妹艦だそうです。



所要時間は45分ぐらい?だったかな…。
寒くて凍えて大変だったけど、久し振りに船に乗って、空母も見られて、日本の防衛を改めて考える機会を得て、とっても有意義な時間でした。


次に獅子丸が私を連れて行ったのは三笠公園。
しばらく横須賀の街を歩いて移動しました。





記念艦みかさ。
日露戦争の勝利に貢献したみかさは大正14年にここ横須賀に記念艦として保存されました。
大戦後にみかさは荒廃し、その惨状に慨嘆したイギリス人の貿易商がジャパンタイムスに投稿。
内外に大きな反響を呼びその3年後に全国的規模の復元運動が始まり、みかさは往時の姿に復元されたそうです。






みかさの船首は皇居の方向を向いているそうです。
船首のすぐ先には米軍基地があります。
バカと煙は高いところが好きといいますが…(笑)
足元がスースーしましたが、気持ちよかったです!






みかさの船内から。
横須賀の海はとても綺麗です。
船内見学も獅子丸の招待で!


みかさは、今から100年以上も前にイギリスで造船されました。
明治35年(1902年)に竣工だそうです。
日本ではサムライの時代が終わってまだほんの数十年、この造船技術の高さに文明の格差を思い知らされます。

近代史をもっとちゃんと教わって勉強していたら良かったと思う、充実した内容の展示物や資料ばかりでした。





帰る頃になって、雲間から夕陽が差し込んできました。






シャトレーゼがあったので、大好きないそべ餅等を買って帰りました。
これ、甘じょっぱくてモチモチで美味しいんです!



この日のことは、とてもいい思い出になりました。
あと少しで巣立つ獅子丸が、私にくれた贈り物です。

連れて行ってくれて、ありがとう!

コメント (2)
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