遊煩悩林

住職のつぶやき

流れ

2016年12月27日 | ブログ

 

わずかな時間でしたが、おかげさまで親子でテレビ出演させていただきました。

なるほど、こういう「流れ」でお寺の門を叩いて来られたのかということが、放送をみてやっとわかりました。

この流れが、あらかじめわかっていたら「もうちょっとうまいこといった(言った)」のになと。

来るなら来ると言ってくれれば「もうちょっとうまいことやった」のになと。

いずれにしても、ちょっとうまいこといった(やった)くらいではたすからんもんだ、と。

 

それにしても年間にどれだけの方がお寺を訪ねてくださるでしょう。

そのおひとりおひとりに、お訪ねになってくださる「流れ」、理由や動機、経緯があるわけです。

テレビの取材はイレギュラーですが、普段お寺には法要の参詣や、葬式・法事に参られる方、掃除に来られる方、会費を納めに来られる方、悩みを相談に来られる方などなど、さまざまな方がおいでになってお寺をお寺として機能させてくださっている。

なかには、「今日は雨が降って足元が悪いから寺参りはやめておいて」と家族に言われて喧嘩して出てこられた方とか・・・。

寺に来たというだけじゃなくて、そこに来るまでの「流れ」。

その「流れ」ということは、なかなか寺の中からは把握できない。

逆に、来ていただくこちらにもさまざまなタイミング、流れ、リズムがあるわけです。

いつ、だれが、どうして、寺の門を叩いてくれようとも、ちゃんと対応できればよいのですが。

放送をご覧になっていただいたとおり、です。

住職が「ちゃんとして」いるかどうかはとにかく、ほとけさまの智慧と慈悲は「いつでも、どこでも、だれにでも」ちゃんとはたらいておってくださる。

「救い摂って捨てない」のがほとけさまだということは、私たちは「選びとって捨てる」存在だということです。

テレビの編集などもそうでしょう。選んで切って捨てる。

選ぶだけじゃなく、切って捨てる私という存在。そうでないと生きられない闇を抱えているのだ。

だから、闇だからそこに智慧の光が差してくるんだ。

だけど自分が闇にいることにはなかなか気づけない。

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