花の好きなじいさんのブログ

毎日の出来事、趣味などとりとめない日記

復帰しました

2017-01-09 08:32:32 | 日記

1月4日以来、休んでいましたが、今日復帰しました。

今回の休みの理由は「かあさんの母親の永眠」でした。
享年86歳の人生でした。

義母は両親のいない私にとって、大恩ある大切な人でした。
かあさんと結婚して、義母の勧めで義母宅の横に家を新築。
共働きの私たち夫婦にかわって、娘二人を育ててくれた人です。
また、他町から来た私を町内に早く馴染むように
何かと心配りとアドバイスをくれました。

この時代の農家の人はみなそうなんですが、農業に全力、
そして現金収入を得るために、過酷な肉体労働と良く働く
人生でした。

そんな中、義母は60代に膝を痛め、それでも働いていたので
とうとう「人工関節の大手術」をし、何とか歩行はしていたのですが
だんだん歩くのも辛くなってきました。

70代にディサービスセンターに通うようになり、5年程前から
特老施設に入所していました。
この間も、運動不足から持病の高血圧、糖尿病の合併症などでの
闘病生活を続けていました。

昨年のお盆すぎに一度入院、その後退院して特老施設に戻ったのですが
昨12月再入院(もう話すことが出来ない状況でした)

年末には呼吸も不規則、荒くなり命が危うくなる状況に陥りました。
年が開けて1月4日、病院からの連絡で息子、娘の夫婦全員が見守る中
永眠をしました。

最後は周りで見守っていた私たちさえ、気づかないほどで眠るような
息の終息でした。

義母には息子と4人の娘がいました。幸いにもみな近くに嫁いでいるので
特老施設、病院へは、時には一緒に、時には交代で良く行っていました。
かあさんがリタイアしてからはほとんど毎日のように病院へいってました。
私の目からみても、母を最後まで大切にした娘たちでした。

かあさんは昨お盆すぎの入院で、今日のことは覚悟を決めていたようです。

年末、義母の孫たちや、ひ孫たちが帰省、みんな義母を見舞にいってくれました。
そして年始で賑わう三ヶ日が過ぎた4日朝7時45分、旅立ちました。
あとで主治医から聞いたのですが、数箇所の脳梗塞も併発していたようです。

6日が「友引」でしたので、義母は帰りたがっていた家で二晩過ごして
6日お通夜、7日お葬式で荼毘にふされました。

お通夜の夜に集まったみんなで話し合ったのですが、
「ばあちゃんは本当にみんなの事を考えて逝ったねぇ。
年末でみんなが集まるのを待ってたし、年明けの三ヶ日を避けて
夜中、早朝でなく、みんなが起きたあとだったし、葬儀等の準備が
ゆっくりできるように友引を挟んでくれたし、その間の天気は
最高だったしね」
また、孫たちは小さい時は
お盆、正月などばあちゃんの家に集まり、わいわい賑やかでしたが、
みんな成人して、家庭を持ったりして、ここ十数年顔を合わすことが
なかったのですが、みんな集まりました。
みんな曰く「ばあちゃん最後のお年玉だね」

今回のお通夜、お葬式には我が家の孫3がママといっしょに、ひ孫代表で
お参りしました。小3の孫3は人の最後の儀式をしっかり認識していて
長いお経の間も静粛に聞き入っており、焼香には小さい手を合わせながら
長い間お参りしてました(じいじ馬鹿ですが、いじらしかった)

その間、メイはホテル住まいで協力してくれました。

葬儀も終り、みんなそれぞれの思いを胸に自宅に帰りました。

我が家はメイも帰宅し、じいじ&ばあば&メイの生活に戻りました。

今日、もう一日ゆっくりして、明日からウォーキングなど日常に
戻ります。

最後に義母の逝去でかあさんと葬儀やお通夜のこと、義母との想い出
などなど、いつもより多くの会話をしました。
今までも決して疎遠ではなかったと思ってますが、義母のおかげで
一段と絆が深まったと思います。

合掌






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