大橋むつおのブログ

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・66『マン・オブ・スティール』

2016-10-18 06:56:03 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・66
『マン・オブ・スティール』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ

これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が、個人的に仲間内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


 製作/C・ノーラン、監督/Z(300) スナイダーは、やはり とんでもない“スーパーマン”を作り上げてしまった。
 
 もしかすると、賛否 四分五裂するかもしれない。

“スーパーマン”の初出は1938年、それから75年間に渡り、途切れる事無く新作が発表され続け、様々な“スーパーマン”が描かれて来た。

 ある時は、足下で水爆が破裂しても平気であり、その飛行速度は光速を超え、時間の壁を破る。如何なる理屈か次元の枠さえ凌駕してパラレルワールドにすら到達する(本作に登場のゾッドはこのエピソードで別次元の地球を破壊している)。人類にしてみれば、それは“GOD”のパワーであり、だから次のシリーズでは、彼の能力は大幅に減殺されたりもした。
 いかな漫画読みの私とはいえ全作品に触れてはいないが。各時代のエポックになるような物は読んでいるつもり……なんですがぁ。
 子供の頃にやっていたテレビドラマを皮切りに、再度の映画化、スーパーマンの地球到着からメトロポリスに出てくるまでを描いたドラマ、新旧数多のアニメーション~この辺りは割とコンプリートしていると思います。
 DCコミックのヒーロー達は、あるいは自らのアイデンティティ、またはレーゾンデートル。自分の超越性、他者とのエネルギーギャップに懊悩する者が多く、そのあたりが“マーベル系ヒーロー”の脳天気と一線を画しています(後年、マーベルヒーローも悩み始めますけど)。
 本作のクラーク・ケント/カル・エル(カルもエルも、ある種の“GOD”を指す言葉)は存在に多重の意味が託されており、その数だけ彼のアイデンティティは切り裂かれている。
 スーパーヒーローの草分けですから、その悩みも超絶規模って訳です。敵役ゾッド将軍にしても、何もかも相対化する現代の悪役に相応しく、その存在と行動原理には正当性が有ります。内面が引き裂かれたヒーローと使命感に凝り固まった敵役の決闘の果てに、勝者であるカル・エルが上げる悲鳴には、高揚など一切無く、深い悲しみが込められている。

 本作143分の中に、一体幾つのスーパーマン設定が込められているか……途中まで勘定していましたが、訳が解らなくなってしまいました。後、1~2回見ないと整理できません。製作陣は、その会議上で納得いく設定になったのでしょうが、映画初見の人間には複雑に成りすぎて飲み込みにくい側面があります。
 C・ノーランの旧作のいずれもが、なかなか一筋縄には行かない設定になっていますが、その複雑さは、登場人物の関係性に現れるので、人物相関に留意していると世界観が見えてくるのですが。本作の複雑さの大半は、殆どスーパーマンの内面に起因するので、極論するとカル・エルが、同じシーンながら二人や三人に分裂してしまいます。
 スーパーマンが抱える自己矛盾が作品そのものの矛盾に繋がるようにも見えてしまうのは、そのせいなんでしょう。 だから、スーパーマンとゾッド達の戦いにしても、そのエネルギー衝突によるカタルシス以前に「あ~あ、こんなビル街で傍迷惑な乱闘しとるなぁ」なんてな“ハンコック”みたいな感想が先に立ちます。
 映像が良く出来ていて、スピード感もエネルギー感も十二分以上に伝わって来ますから、ここに乗り遅れるとスペクタクルを満喫する前に余計な感慨にくるまれてしまいます。
 徐々にスーパーマンの潜在能力が発揮され、最終的には地球を改造しょうとするエネルギーにすら打ち勝ちます。その彼と互角以上の戦いを繰り広げるゾッドもそれなりのエネルギーのはずで、そんな二人が組み合ったら、その足元から地球なんか真っ二つに割れるんじゃないんですかねぇ。
 さて、なんだか否定的な感想に見えるんですが、さにあらず。過去に見た“スーパーマン映画”の中では最高傑作だと言えます。 ただ、一見しただけで、映画の総てを即座に飲み込めないのが口惜しいのであります。
 超絶世界のお話は、なぁ~んも考えずに見通す事が肝要なのですが、なにせ、人間クラーク・ケントの苦悩があっちこっちに出てくるので……しかもリアルに表現されるので、SFを見ている視点が各所ではずされます。これって、やっぱり製作意図なんでしょうねぇ。
 旧作群との違いは、まだ他にもあって、スーパーマンの正体の明かされ方が独特であり、それに絡んで、デイリープラネット記者のロイス・レインとカル・エルの関係も今までとは全く違っています。
 大体が、今までの“スーパーマン”シリーズで何がイラつくかってぇと、お間抜けクラークと全然 敏腕記者に見えないロイス(今回、ジミー・オルセンは登場しません)の関係ほどイラつく設定は無かったんですが、本作のエイミー・アダムスのロイス・レインは最高でおました。
 今作、エイミーを筆頭に、R・クロウ/K・コスナー/D・レイン/L・フィッシュバーン……なんてな人々がリアルに存在していました。殊に、特筆すべきは、ゾッドを演じたM・シャノンで、この人無しに本作の成功は語れません。
 ちょっと、考え過ぎて十全に楽しめたとはいえないので、また、見落としが相当有りそうなので、なんとか時間を作ってもう一回見たいと思っています。どうもディスクの発売まで待てそうに有馬線。

ジャンル:
小説
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