緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

テレビドラマ「5年目のひとり」を見る

2016-11-20 01:42:44 | 映画
久しぶりにテレビドラマを見た。
テレビドラマなど滅多に見ないが、今日「5年目のひとり」という山田太一原作、渡辺謙主演のドラマがやっていたのでを見てみた。
なかなかいいドラマだったので、ちょっと感想を書いてみたい。

中学校の文化祭で、ダンスをしていた少女が見知らぬ中年男性に声を掛けられ、「君が一番上手かった。君が一番美しかった」と言われる。
少女は警戒しながらも「一番良かった」と言われたことが嬉しく、その後男の勤め先のパン屋を偶然知ってから、何度か会うようになる。
しかし、その男には人には言えない壮絶な過去があった。
少女はパン屋の主人からその男の秘密を聞かされる。
男は福島の出身で、妻と高校生の息子と中学生の娘、多くの親戚を大震災の津波で一度に失っていた。
福島で獣医をしていた男は家族と親戚を失っても、その事実を受け入れることが出来ず、3年間がむしゃらに震災後の後始末のために働きづくめ、心に障害が出るようになって自ら病院に入院、退院後、同郷の知り合いを頼りに東京に出てきたのであった。
男が少女に声を掛けたのは、その少女が死んだ娘に瓜二つだったからだ。

男は震災の痛手から未だ立ち直れないでいた。
喪失したものを受け入れられないでいた。
少女は、男が自分を自分としてではなく、娘の代わりとして接している現実に、とまどいを感じるようになる。
少女の親に、2度と少女に会わないことを誓った男は、パン屋を辞め福島へ帰ることになった。
しかし少女はまた男に会いたいと思うようになり、兄を通してその気持ちを男に伝える。
男は少女に手紙を書き、福島へ帰る日に、少女と初めて会った歩道橋の前に来てくれるよう頼む。

心に深手を負った初老の男と、自分に自信を持てずに葛藤する少女との気持ちのふれあいが、全くの他人でありながらそれが逆に新鮮に映った。
男はパン屋を辞めた日の夜、これまで封印していた悲しみを一気に吐き出すかのように号泣する。
福島へ帰る日、少女と最後に会って手を振った時には、もう少女に自分の娘を重ね合わすことは無くなっていた。

震災で受けた悲しみを今まだに受け入れられずに苦しんでいる人がいるという現実を訴えたかったのだと思う。
昔に比べ、他人どうしの関係が希薄になり、とくに子供は知らない大人を警戒するまでになるようになったが、嫌な時代になりつつあると思う。
経済が豊かになればなるほど、持っている高級品や食べた美味しい物で価値を感じるようになり、うわべだけの人付き合いで表面的には満足しているようで、実は心は孤独で、ふれあいを渇望している人は案外と多いのではないか。
作者は現代の世の中で失ってしまった人への関心や、見返りを期待せず何かしてあげる、という関係を常に意識しているように思える。

このドラマの主人公の男は、震災後、耐えがたい孤独を生き抜いてきたが、その壮絶な苦しみを乗り越え、生きることの意味を少女との出会いを通して見出したようである。
悲しみ、恐怖、孤独感など、つらい感情が限度を超えて起きると、人はそれを本能的に心の奥に封印してしまう。
いわゆる抑圧というやつだ。
しかし封印したつらい感情はいつもでも心の中に残り続け、表に出ることを待っている。
つらい感情を封印すると抑鬱状態となり、生きる意味を失う。
人はつらい感情を表に出すことは大人げないとして我慢する。
あるいは、感じたことを受け入れることが出来ず事実通りに感じられないことがある。

このドラマは、つらい感情を封印してしまって生きる意味を失ってしまっても、人との出会いを通して、それがたとえ少女でもあっても、感情に直面して乗り越えられることを教えてくれているのはないか。
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