緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

熊谷賢一作曲「マンドリンオーケストラの為の群炎Ⅵ 樹の詩」を聴く(その2)

2017-05-06 00:12:29 | マンドリン合奏
1か月以上前になるが、学生時代に弾いた、「マンドリンオーケストラの為の群炎Ⅵ 樹の詩」の録音を初演者であるノートルダム清心女子短期大学マンドリンクラブの演奏で聴いて以来、何度も聴くことになった。
30年以上も前(1984年)に実際にこの曲を演奏したものの、その時はこの曲の真価が理解できなかった。
パートの演奏(ギター)に精一杯で、オーケストラ全体の音を聴き分ける余裕がなかったからであろう。
しかし偶然にもこの曲の録音の存在を教えてもらい、30数年経って初めてこの曲の素晴らしさに気付き、強い感動を感じている。
この曲は熊谷作品の最高傑作であるとともに、マンドリンオーケストラ曲の中でも最高の位置を占めるものだと確信する。
熊谷作品はこれまでYoutubeでも殆ど見かけなかっただけに、若い世代にはあまり知られていないが、私が学生時代だった1980年代前半では、プログラムのメイン曲として採用され、私自身4、5曲は演奏したと思う。
その中でも最も好きな熊谷作品だったのが「マンドリンオーケストラの為の群炎Ⅵ 樹の詩」であった。
以前の記事で、この曲を演奏した時のいきさつなどを書いたが、今回はこの曲から感じたものを伝えたい。

この曲はギターパートの重奏から始まる。
多くのマンドリンオーケストラ曲はマンドリンに主役を与え、ギターパートはリズムパートとしての役割しか与えていないが(特にイタリアの曲)、熊谷作品はギターの独特の柔らかい音や、和音の美しさに理解を示し、ギターパートを主役の地位に置いた曲が多い。
この曲もそうであり、ギターとドラが1stを始めとする他の主要パートを牽引するところが異色とも言える。
ニ長調の穏やかな、優しい重奏は、この曲の主題であり、重要なメッセージを含んでいる。
この幸福感に満ちた音楽は平和な時代から生まれたものではない。
負の歴史、負の人生を経て、さまざまな苦難を積み重ねて得た幸福感、平和、穏やかさであると私は感じる。
この穏やかで優しい旋律の裏に、何かさまざまな感情、それは幸福感とは逆の感情が積み重なっているのを感じ取れるのである。
だからこの旋律を30年以上経っても忘れなかったし、これまでの30年の間で何度か思いがけず心に浮かんできたのである。

ノートルダム清心女子短期大学のギターパートの次の部分の音が素晴らしい。



セカンドパートの低音パートの和音であるが、この5弦開放がものすごくいい音なのだ。
「ゴーン」と鋼を打ったような力強い音。
そしてすぐ次のフレーズに移る直前の3弦ラ音のアクセントが素晴らしい音だ。
このような音は昨今のマンドリンオーケストラのギターパートでは聴けなくなった。
いまのギターパートの音は乾いたカサカサした軽い音が増えた。
ノートルダム清心女子短期大学のギターのタッチは昔のタッチだ。
すなわちアポヤンド中心の音。
しかし魅力にあふれた音だ。芯があり力強い。今の女子大のマンドリンクラブで聴くことは皆無だ。

そして途中からドラの旋律が加わる。しかしドラの音に注意が行ってもギターパートの音が常に耳に入ってくる。
次のギターセカンドパートの音の力強さ、その後の和音の低音部の音、このフレーズ最後の和音の響きが凄い。





曲はギターパートをしばらく除き、マンドリン系とベースで主題の変形で進行していくが、この部分のペースの響きがいい。
女子大なのによくこんな力強い音を出せるものだと感心する。
しかし現在の学生マンドリンオーケストラではベースは男よりも女の方が多い。
時代は変わったものだと思う。30年前の学生時代では考えられなかった。

雄大なマンドリン系とベースの合奏が続いた後、突然、ギターの単音の三連符の連続が現れる。



この三連符の入りは苦労した。
この三連符の連続音は何を形容しているのか。
深い森林の中で木漏れ陽の中から聴こえる木霊の音であろうか。
このギターの三連符の力強い芯のある音が素晴らしい。
そしてこのギターの三連符の連続は次第に速度を速め、心の底からエネルギーが湧き出るかのような、躍動したリズミカルな音楽に変遷する。





一瞬ハチャトゥリアンの「剣の舞」を連想するが、もっと別の感じが伝わってくる。
何かみんなで一つのこと、しかも困難なことに集中する前に起きる躍動感、気持ちの高揚感。
何か難事を成し遂げる前に自らを鼓舞するエネルギー。
心の底から強く湧き出てくる前向きの精神的エネルギーである。
タンバリンとギターのラスゲアードのリズムに刻まれ、「さあ、やるぞ!」という気持ちが湧き起ってくる。
敗北の人生から、生きる意義を掴み取り、どん底から這い上がって、逆転する際に感じる感情だ。
1960年代、70年代の日本の高度経済成長期に感じた感情だ。日本を廃墟から世界第二位の経済大国までのし上がらせた凄まじいほどのエネルギー。
この時代は朝起きるのが待ち遠しく感じた。1日1日が楽しかった。今ではこのようなことは決して無い。

ティンパニも加わり、クライマックスに達した後、曲は昔の日本の郷愁を感じさせる繊細な音楽に移り変わる。
ノートルダム清心女子短期大学の演奏だと、7分25秒から始まるが、ここからしばらく(17分50秒くらいまで)が物凄く感情が吐き出される。この曲の最も素晴らしい部分
昔の日本人が感じていたであろう、日本人しか理解できないものだと思う。
8分3秒から始まる部分などでより強く感じるに違いない。
ギターパートの分散和音を伴奏にドラの寂しい旋律が奏でられる。



何を連想するか。
夏の静かな深夜に瞑想し、浮かんでくる過去の悲しい出来事であろうか。
静かな風の音、涼しい冷気。何かを思い出しているときに感じるものだ。
しかしこのような旋律、音楽は純クラシック、ポピュラー音楽でも聴くことはできない。
とても独自性が高い。マンドリンオーケストラだから出来ると言わざる得ない。
このような音楽があるから、マンドリンオーケストラの魅力を知ったらなかなか抜け出せない。
この寂しい旋律は次第に大きく高まり、11分21秒から何か大きな無念、絶望、悔恨のような苦痛を感じさせるものとなる。
この曲の最大の山場となる部分である。この部分は何を想起させるのか。



12分2秒あたりからの感情の高まりは凄い。この曲で最も強く感情が湧き起る部分だ。
ノートルダム清心女子短期大学はよくこの部分を演奏したと思う。
完全にこの曲を掴んでいる演奏だ。奏者全員の強い感情が痛いほどに伝わってくる。

曲は次第に落ち着きを見せ、穏やかな気持ちに移り変わっていく。しかもゆっくりと、ゆっくりと次第にである。
この移り変わりの表現の仕方は見事という他はない。
そして最初の幸福感に満ちたギターの主題が再現される。
この幸福感に至る長い道程を感じさせる。
この長く苦しい道程から得た幸福感の表れは14分57秒あたりで聴くことができる。

そして曲は全パートで主題を繰り返す。
ギターのアルペジオ、和音の響きがいい。



最後は速度を速め(♩=152)、付点音符と三連符の組み合わせからなる軽快なリズムに乗り、激しいティンパニの打ち鳴らしと全パートのかき鳴らしで曲を終える。


この曲は演奏時間20分以上にもなる大曲であるが、曲の変化が多く、感情の移り変わりも激しい。
しかし根底に流れているのは、美しい森の景色ではなく、絶望、どん底から這い上がろうとする人間の生まれ備わった強いエネルギーと、そのような力の集合体、そして絶望や困難から抜け出した後の幸福感、心の平安、穏やかさである。少なくても私にはそのようにしか感じられない。
主題の幸福感溢れる音楽は平和から生まれた音楽ではない。
そこに至る道程の積み重ねを音楽を通して感じさせてくれているのではないかと思う。
人間の生きる力、再生、蘇生といった生命力の逞しさ、何か生きる手立てを得た後の無心の努力、先行きの希望に向けた力みなぎる躍動感を感じさせる類稀な曲だと思う。

初演者のノートルダム清心女子短期大学マンドリンクラブは現在は無くなったという。
残念なことであるが、この演奏は間違いなく素晴らしい。上手いとか下手とか、アマチュアとかプロとかを通り越している。
そのような評価が入り込む余地はないと思っている。
この1983年に初演された時のこの大学の演奏の姿を見てみたいと思った。
演奏している姿はとても素晴らしいものであったに違いない。




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