文系から見た数学の必要性をいくつか取り上げてきたが、もちろんその逆も大切だ。つまり理系から見た国語や社会といった内容も重要だ。数式に強いだけでは、表現力が乏しくもなるだろう。海外での学会などでの会話をみても、専門分野だけでなく、他の分野の内容も精通して、自分の専門も顧みることができている研究者が多い。
どちらにしても、根底にあるのは、数学的論理力であると私は思う。科学などの事柄は、客観的真理であることが必要で、それを伝えるにしても、自分だけがわかっていても、研究の成果は認められないだろう。まずは、論理的思考力によって骨組みを組み立て、その結果の表現の仕方がその分野や教科科目によって違うことになってくる。その表現方法が数式であれば、数学や物理などになるだろうし、それを日本語の論文で表現するなら国語的になり、英語で表現するなら英語になるだろう。いずれにしても、根底には論理的思考力があってこそのものと考える。
奥の深さを伝えるには、時間をかけていかなくてはならないのだが、それを短期間に無理にやるものだから、浅はかで面白くないという評価になりかねない。何を学ぶにしても、絶対時間は必要ではなかろうか。
どちらにしても、根底にあるのは、数学的論理力であると私は思う。科学などの事柄は、客観的真理であることが必要で、それを伝えるにしても、自分だけがわかっていても、研究の成果は認められないだろう。まずは、論理的思考力によって骨組みを組み立て、その結果の表現の仕方がその分野や教科科目によって違うことになってくる。その表現方法が数式であれば、数学や物理などになるだろうし、それを日本語の論文で表現するなら国語的になり、英語で表現するなら英語になるだろう。いずれにしても、根底には論理的思考力があってこそのものと考える。
奥の深さを伝えるには、時間をかけていかなくてはならないのだが、それを短期間に無理にやるものだから、浅はかで面白くないという評価になりかねない。何を学ぶにしても、絶対時間は必要ではなかろうか。









