ヒマヒマノキ~心と言葉をとどけます~

その一言に人はうれしくなります。元気になります。何気ない日常のそんな出会いをお届けします。

エッセー ~ふるさとの母~

2016-10-08 | 日記
母が施設で転びました。大腿骨を骨折してしまいました。施設からの連絡を受け病院へ同行しましたが、そのまま入院。
「大丈夫だから」と声掛けをしたことがかえって裏目になり、「施設に帰る」「入院しない」と母は入院を拒否しました。やっとのことで病室に入ったものの、「帰る」「お前の車があるだろう」「タクシーは呼べばすぐくる」と声を荒げて言い張ります。
診てもらえばよくなるんだからの言葉は見抜かれていました。心の中でごめんねというのが精一杯でした。
手術は体力的に無理です。「安静を保っている」というのは聞こえがいいですが、要は寝たきりの状態。点滴で顔色はよくなりましたが、その代わりますます足は細くなり、いったいどこにそんな元気があるのかと思うほど繰り返すうわごとも、日がたつにつれ、次第に低くかすれ声になっています。

人はいつか衰弱して命が尽きる。そんな言葉は今は不遜のように思えます。目の前の母は生きることに懸命です。神様が決めた日までは生きなければならないのだと言っているようです。記憶や認識がおぼろげになる中で、時に看護師さんにありがとうといいます。ベッドサイドの私に大変だから気を付けて帰りなさいといいます。かけつけた弟には仕事は大変だねといいます。
医学的には違うのでしょうが、人間の尊厳・誇りというのは本能的なもので、最後まで持ち続けるものなのだ、そう思えてしかたがないのです。返事は返ってこなくとも、言葉は頭の中できちんと受け止めているのだ、そう理解して接してあげなければいけないと思うのです。

母が不在にした家の庭には、もうほとんど花を植えていません。しかし、母が懸命に生きようとしているのと同じように、イヌサフランが今年も花を咲かせています。片隅にはヤブランも花をつけています。毎年毎年咲いているのです。





母がいなくなった時、そしてその家がなくなったとき、私は自分のふるさとを失ったことを実感するでしょう。ふるさとは生きるよりどころです。たとえ病室であろうと、介護に疲れ果てようと、親がいるということは生きるよりどころなのです。
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かなしい
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