るるりらタイム

わたしが、ネット詩の中で見つけた宝の置き場です。

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最終兵器

2013-11-13 08:48:53 | Weblog
ボケという素敵な表現力
ケという素敵な表現力
という素敵な表現力
いう素敵な表現力
う素敵な表現力
素敵な表現力
敵な表現力
な表現力
表現力            わたしをバカにした はかないものどもに告ぐ
                                    猫 パンチ





           
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小原 明季さんの【家と季節 】

2009-11-14 17:16:21 | Weblog
家と季節
小原 明季


玄関は春です
別れと出会いが
毎日
飽きることなく
繰り返されるから
わたしは
いつでも花を飾ります
薄紅色の花が
一番似合うと思います



浴室は梅雨です
温かい雨が降ると
あっという間に浴室は
蒸気で満たされます
流れた雨は
わたしたちの
疲れや悲しみを
連れて海へ向かいます



物干場は夏です
太陽の一番
長く当たる場所です
時々
洗濯物が羨ましくなって
わたしも混ぜてもらいます
ひなたぼっこをしたわたしは
青々と繁る
草花のように
元気になります



トイレは秋です
静かな場所での
読書は
物語を広げてくれます
自分以外は
入室禁止です
ただ、ときおり
金木犀の香りが
覗きに来るだけです



寝室は冬です
一日の終わりに
身体を預ける
大切な場所です
わたしは
熊の冬眠を想います
起きたら春です
準備万端で迎えられるように
大事にしつらえられた
冬なのです





*****************

 この方の書く詩は どうも相対的に いけません。 なにがいけないかというと、この方の詩には温度があり、その温度というのは ちょうど ひとはだ程度の温度なのです。 この詩の佇まい 居住まいの すこやかさがいけません。とても安心できる場所を得た心地がします。

私の玄関も ここちのよい春にしたくなりました。おもわず 玄関にお花を飾りました。そして、写真は そのお花です。今は冬ですが、 私が洗濯を干している場所の夏を思いました。 すこやかな独りの時間のことを思いました。あたたかな ねぐらのことも思いました。一軒の家の中の話のはずなのに、まるで天体の軌道のように おおらかに 家が じっとしたまま動いているのです。

この詩ではないけれど、私は この方の詩を読んだ後に なにやら熱いものがこみあげてきたことがあります。瞳が じゃぶじゃぶと川になったことがあります。おだやかな夜の川に、車のサーチライトや建物の光があたると光の帯ができるのですが、人肌の詩の性で湧いてでてきた水の性で わたしの狭い瞳の中にも光の帯ができ、わたしは煌めきの河になってしまいました。

もし わたしが どの詩で そのようなことになってしまったかを 知りたいという方がおられましたら、是非 この方のほかの詩も読んでみてください。現在詩フォーラム 
 http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=3946&from=myframe2.php%3Fhid%3D951

こちらに掲載されている詩のうち、わたしは この方の詩を忘れたころまた読み返すとしたら、今のところ この【家と季節】を選びます。こんな詩を知っていると 生活まで いままでは ちがってくる気がするのです。

ご本人のブログ

http://kohara-aki.jugem.jp/
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のんやさんの 「此岸の私」という詩

2009-09-21 00:58:15 | Weblog
「此岸の私」


地下鉄を二つ乗り継いで
菩提寺へ向かった
無愛想な風景の中に這い出すと
やはり雨は降り出していた
さんざん迷ったあげく
傘を置いてきたことを後悔しつつ
見覚えのある花屋で
菊と鶏頭の入った花束を買って
暇そうなコンビニで
日本酒とミネラルウォーターと
嫌々ながらビニール傘を買って
小雨の中を歩き出す

大通りを渡って高速道路の下をくぐり
配送センターの裏の小道を
ポタポタと歩いていると
少し前をやはり花束を持った老婆が
フワフワと歩いていて
この前見つけたばかりの
猫道のような小路に
スウっと消えていった
自分だけの近道と思っていたのに

寺は思いのほか込み合っていた
テントの下の線香売り場の淑女に
愛想をふりまいてから
手桶に水を満たし
柄杓とタワシをその中に投げ込んだ
旅行帰りのような賑やかさで
両手をふさがれたまま
角のとれた石段をヨチヨチ降りきると

なんとそこに墓はなくて
墓のあるべき場所には
素っ裸の男が鎮座しているではないか
驚いてあたりを見回したが
誰もが素知らぬふりで
正しい墓参りをしているので
仕方なく手桶を下ろしながら
改めて素っ裸の男の顔を見ると
私と瓜二つだった

「あなたは誰ですか?」 「おまえのご先祖」
「どうしてここにいるんですか?」 「しがんだからだよ」
「ひがんですよね?」 「だからしがんって言ってんだろ」
「はあ・・・」 「とりあえず流してもらおうか」
「でもタワシじゃ痛いんじゃ?」 「いいからとっととやれよ」
「このくらいの強さで?」 「いい塩梅だ」
「どこか痒いところはないですか?」 「耳の裏」

男を洗い終えて
花と線香をセッティングしていると

「おっとそいつは要らねえぞ」「はあ?」
「いいもん持ってんだろ早く出せ」

私がオズオズと日本酒を差し出すと
男は器用にワンカップのフタを剥いて
一気にあおってしまった

「本当は墓石には良くないっていいますけど・・・」
「ふぅーっ五臓六腑に染み渡るねえ」
「あのう・・・拝んでいいですか?」 「勝手にしな」

私はポケットから数珠を取り出し
両手を合わせながら目を閉じて
月並みな言葉を胸の内でつぶやいた

「へへへ」

目を開けると目の前の男は
片方だけ口角を上げて笑っていた

「相変わらず辛気臭いな」 「そんなあ・・・」
「おまえの言葉にはパンチがねえな」 「必要でしょうか?」
「おまえに言っても仕方がねえか・・・」 「えっ?」
「用事が済んだらとっとと帰んな」 「はあ・・・」

空の手桶を下げてスゴスゴと石段を
上り始めた私の背中に
男が言葉を投げた

「また来いよ」

驚いて振り返ると
私と瓜二つの素っ裸の男は
墓のあるべき場所で
墓石になっていた

呆然と立ち尽くす私の顔を
不思議そうにのぞき込みながら
見覚えのある老婆が追い越していった

極めて平静を装いながら
手桶とタワシを定位置に戻して
寺を後にした

ビニール傘をぼんやり差して
自分だけの近道をボタボタ歩きながら
此岸の私は不可解な出来事を
いつまでも咀嚼していた

強まった雨脚が
シャツの裾を冷たく濡らしてはいたが
私の胸の内には
不思議と暖かい空気が充満していた







***************************************
23日が秋分なので、今日は すでに お彼岸に入っています。

この詩は、江戸っ子のご先祖さまと話者とのかけあいが たまらなく 楽しい。「だからしがんって言ってんだろ」なんと生きの良い お亡くなりになっている方なのでしょうか。まるで 気のいい おっちゃんと 銭湯で いっしょになったような 温かさが たまりません。私としてはまた彼岸がきたときに この詩を ふたたび思い出したいのです。

写真は今朝 我が家の近くに咲いていた彼岸花を撮影させて頂きました。三階建ての家よりも高いノリ面の傾斜地に この花は咲いてました。私の住む地の墓地は大抵の場合 高台にあります。人々の暮らしを見下ろすような場所に墓地があるのが普通です。田んぼの畦道の彼岸花ではく高台にあるこの彼岸花を 私は この詩に添えたいと思います。

彼岸花は真っ赤な色をしているのが普通ですが、ここの彼岸花は 白も まぶしかったのです。朝日を受けた白い色は さえざえとしてました。私は 嬉しくなって家にあった封筒を この花に かざしたのです。詩は雨の日の詩ですが、ご先祖さまにとっては かねてから待ちわびたハレの日なのだと思います。
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卯月正也さんの【繭】という詩  

2009-08-29 01:58:43 | Weblog
【繭】
               卯月正也




きっと
体の中の 心の臓と 言われる場所には
純白の 純白の 繭があって

そして
繭の中には 子供の時の私がいて
膝をかかえて  かたかた 震えているんだ

いまも
膝をかかえて  かたかた 震えているんだ

*********
私は この【繭】という詩が好きです。インターネットが普及し さまざまな人が さまざまな人と言葉だけでもしくは映像だけで やすやすと 繋がるようになりました。
ですが、自分以外の人と 繋がりやすくなればなるほど 自分自身と 繋がりにくくなっているような気がしているのは私だけでしょうか。

私は この繭という詩をはじめて読んだとき、ほんとうの私を やわらかく包むものを感じました。私が詩の中で うずっている。うごいている音は まぎれもなく ただの読者である私の音だと感じました。 

この詩に出会ってからというもの わたしは心には絹を纏ってしまいました。実際に 山繭の問屋をしてらした人にも出会ったし 繭のクラフトにであったりもしました。この夏、私は 繭をつくる昆虫について 以前よりもよく知ることになりました。その時の写真をひっさげて 作者の方に このプログに載せることをお願いするつもりでした。

ですが、なにかがちがう気がしました。繭の中にいるのは昆虫ではなくて 私自身だと思ったのよということを お伝えしたいのに、実際の繭の写真を添付するのは なにかが間違えていると おもえました。ああでもないこうでもないと ひとりで考えていたわたし自身の態度が また ふたたび 私をこの詩に向かわせるのでした。

**追伸
卯月正也さん、詩の掲載を快諾してくださってありがとうございました。返信をいただいたとき 飛び上がるくらい嬉しかったです。
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深く彫る

2009-05-23 09:58:01 | Weblog
【深く掘る】
    ゆびのおと



鍬を入れる

びっしりと雑草はびこる庭の

縺れに縺れ こんぐらかり絡みつき合った

根と 根と 根と 根 に

土の底から 酸素を送り込む

 ミエナクナッテイタ

 イロンナ ウツクシイモノガ

 シンジタイモノモ シンジタクナイモノモ

 スベテガ

 固い りゅうせんけいの 

 めたりっくな チョウキキオク ノ ヒョウメン ヲ

 とうめいに ナガレオチテイッタ


素手で触れる 掘り返された土は

発熱し 無数のうごめく微生物や虫たちの命を含んでいる


ひと鍬ずつ

深くなれ

深く なれ と 


それは傷ではなく

対話なのだ と。



**********************
土の匂いがしました、生き物の誇らしさを感じました。
忘れていた私自身が ほりおこされた気がしました。

わたしは 深い決心をしました。

まだ 掘るぞと。

対話なのだ ぞと。
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いつかまた この滑空感を 思い出したい。

2009-02-11 01:13:01 | Weblog
鳥瞰図
     nonya 作



東から西へ
クリークのような商店街の上を
滑空する

コンビニの角を南に曲って
コソコソとパチンコ屋へ向かう
八百屋の若旦那を左目で見ながら

西から北へ
生易しい北風を切り裂くように
旋回する

電気屋の角を北に入った
社宅の入口で情報屋のオバサンが
誘導尋問しているのを見送りながら

サクラ公園の
トイプードルの食べ残し目がけて
降下する

ボール投げ禁止の立札の横で
キャッチボールする親子の姿が
妙にハマりすぎていて嫌だったから

東から西へ
食事もソコソコに羽ばたいて
上昇する

たまゆら坂をヨチヨチと上ってきた
白い犬を連れた老婆が繰り出す
長話という必殺技に
立往生している若者に気をとられていたら

下から上へ
頼りなげに放たれた視線と
衝突する

若い女の子はうっすらと涙を溜めて
五丁目の迷路をさまよっている
たぶん大丈夫
次の五叉路はどっちに行っても出口だよ

昨日から今日へ
僕は相変わらず想いを伝え切れないまま
ただ空を飛んでいるよ

今日から明日へ
君はいつもそうやって羨ましそうに
僕を見上げるけれど

何処にも触れていない
誰にも触れられない
そんな自由に
果たして君は耐えられるだろうか




******************************
いつもいつものことなんですが、またまた ひさかたぶりの更新です。
実は、 わたくし るるりらは ごく最近 再就職をしました。
以前は仕事を選ぶときも 家の近所で せまい社会に収まって暮らしていたのですが、通勤に一時間以上もかかる 私にとっては都会に ご出勤する毎日を選びました。

いまの 勤め先に通うようになり やっと三日が経ったところです。通勤経路も どの経路が考えられるかを思考錯誤しながらの出勤です。今朝も 始業の一時間まえに勤務先に到着したので あたりを散策して 感じのよい喫茶店を見つけました。

ガラス張りのビルの二階にその喫茶はあって 道路と店とのアプローチは透明なエスカレーターです。そこで美味しいコーヒーを一杯飲んでいるときの この詩のことを思い出しました。

まだ どこにも触れていない 未知の場所にいる 私が、この詩に出会ったのも なにか意味のあるような気がして、私の好きな詩を集めているこのブログに記録したいという衝動にかられました。それで、掲載させていただくことにしました。

これから時間が過ぎてゆくことでしょう。未来の私は、この詩をどんな気持ちで 読みかえすのでしょうか。この街で、いつか私は 悲しい経験もするのでしょうか。もし そんな日が来たら は私に この詩を また読んで聞かせてやりたいと思っています。

>若い女の子はうっすらと涙を溜めて
>五丁目の迷路をさまよっている
>たぶん大丈夫
>次の五叉路はどっちに行っても出口だよ



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ひさびさの更新です。

2009-01-07 22:01:15 | Weblog
私がみつけた言葉の宝物にしたい詩が またひとつ増えました。


  崇(すう)
池中茉莉花 作

ヒロ
わたしはあなたを
尊敬します

だって
あなたは
白い

白くて
白くて
白い

わたしの心には
しょうゆみたいな
しみが
いっぱいついていて

ぬぐっても
ぬぐっても
とれない

でも
あなたの心は
真っ白だ

まるで
降りたての
雪ん子だ

だから

ヒロ
わたしはあなたを
尊敬します


*****************

わたしはあなたを尊敬します。この崇高さ。
わたしは この詩に出会えて 母であることが新鮮だったころのことを 鮮やかに思い出すことができました。成長に伴い できわくいろんなことを おもいだすことはあっても そのときどきの心情は なかなか 思い出せないものなんだと思います。

そう、わたしも たしかに あのとき わが子という ちいさな存在を尊敬していた。いまも その尊敬は 芯のところでは揺らいでいないけれど、今のわが子は 色づいてゆく季節にさしかかっていて、まっしろだから 尊敬していたという心情は、この詩に出会うまでは ホコリを かぶっていたのです。 

作者は わたしの心には/しょうゆみたいな/ しみが/いっぱいついていて
と、書かれているのだけど、私には その /しみ/すらも いとおしい気がしました。

だって、おしょうゆの しみですもの。なんとはなし なめてしまいたい。それに これは とても個人的な理由で 私は お醤油が好きなのです。
私の母も祖母も昔は 醤油屋を昔は営んでいて、私が成長するときには その醤油屋ではなかけったけれど、母にも母がいて その母にも母がいるということを 醤油は教えてくれた。わたし、お醤油大好きなんですよ。


わたしの ふかいところにあるものを ひきだしてくれる。これこそがほんとうの詩のたのしみだなあと。わたしにとって この詩は、詩に向き合うことの本当の愉しみも おもいおこしてくれた貴重な詩です。
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こんな詩

2008-08-30 09:16:11 | Weblog
タイトル: こんな詩
Name : リリ

URL   : 恍惚の宿木というサイトに投稿しておられました。
恍惚の宿木への登録時間:2008年8月22日10時37分





心ゆくまで 楽しむがよい

つまらぬことなど考えなくてもよい

子供は勝手に大人になるさ



忘れるがよい 貴方だけのなやみごと

思い出すがよい 自然の美しさ

みな 求めることは同じかもしれない



少しの愛情 大きく伝わるだろう

当たり前のこと 多くの人が救われるだろう



私にできること 

こんな詩を書き続けることである





************************************************************
最近、雷雨が にわかに沸き起こるようなことがよくあります。雷がなると 私は別に怖がりはしないけれど、心はフリーズしてしまいます。
雷って、あれってストロボじゃあないかしら 心の深い奥のほうの印画紙に なにか記憶されている気がします。

この放置 プログですが、放置していたこのプログですが、時間は もうすぐ8月31日は、夏も終わります。今年の八月の末日は新月だそうです。新月の日かせ あたらしいめぐりで 自然は回り始めます。だからこそ、この詩を大切にさせていただきたいと思いました。
記憶に残しておきたいのです。だから、ここを 更新することにしました。


この詩は、大切にしたいので。
この方が私のレスに書いてくださった言葉も 好き。
「ciao_ゆきえさん。コメントどうもありがとう。嬉しいです。
詩は大体思いたった時に無心で書いてます。なのであまり深い意味はありません^^;
読んでくれた人の受け取り方が人それぞれで、詩ってほんと面白いなと思います。
ゆきえさんの詩もUPして下さいね。」


無心に触れて 新鮮になれた気がします。


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フラワーについて

2008-01-12 17:09:08 | Weblog
今日は、鬼夜咲さんという方の書かれた 【一輪の不思議な花】 という詩をご紹介します。



タイトル: 一輪の不思議な花
Name : 鬼夜咲


あるところに一輪の花がありました
その花は見る人にとって色んな形になる花でした
ある人は蒲公英のような小さな花に見え
にっこりと微笑んだり
ある人は大切の人の好きだった鈴蘭に見え
そっと涙を流したり
ある人は昔、家にあったパンジーに見え
ふっと疲れを癒されたり
その花は色んな人に色んな形で何かを与えていました

でも、その花が多くの人に見えなくなってしまいました
花がどんなに形を変えても気づいてくれないのです
それどころか気づかず踏み潰してしまう人もいました
それでも花は多くの人のために形を変えました
誰にも気づかれ無くても頑張って咲きました
でも花は徐々に徐々に萎れていきました

頑張っていた花ももう疲れてしまい枯れてしまいそうになりました
そんなある日、一人の小さな子供が花に気づきました
その子はそっと花に水をあげました
その子は毎日毎日、花に水をあげました
花は徐々に元気を取り戻しました
その子供には花は大きなひまわりに見えていました
大きなひまわりが空に向いて育つのがうれしくて
小さな子供はいつも花に水をあげました
花の見えない、多くの人たちは毎日水をあげる子供を不思議に思い尋ねまし
『どうして水をそんなところにまいてるの?』
子供は逆に不思議な顔をして答えました
『お起きたお花があるのに見えないの?』
それを聞いて花の事を思い出した人がいました
それを聞いて花を懐かしむ人がいました
多くの人たちは花が見えなくなった事を悲しみました

それから誰が作ったかはわかりませんが小さな花壇ができました
そこには一輪だけ花が咲いていました
もちろん、今も多くの人に花は見えません
それでもみんな、花の事は忘れなくなりました

もし、貴方の傍に何も無い花壇があったらそっと見てみてください
きっと、貴方だけの花が咲いているから



****************************

今日の私は少々 へこんでいます。いじけてます。友人に もっと うどんのような腰が あるといいのになあと 忠告されました。わたしは、薄力粉だそうです。強力粉だと、パスタだのパンだの 腰のあるものになりますが、薄力粉は腰がないので 天ぷらだとかに つかられるからだと思われます。

もっと、調べてみると 小麦粉は 英語でフラワーといいますが、花のフラワーと発音も同じだそうで、語源も同じだそうです。フラワーはラテン語で【最高】という意味なんだそうです。

そうなんだ。花とは最高と意味なんだなあと ぼんやりしていたら 心に沁みる詩に出会いました。やさしい気持ちを ありがとう。
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開けましておめでとうございます。

2008-01-06 16:05:18 | Weblog
ひさしぶりに 気に入った詩に出会いました。
リボンをモチーフにしている詩です。のし袋のリボン結びのことを思いました。
のしぶくろに結んでいる結び方が リボンのときは、喜び事のときだという話を思い出しました。なんどもむすびなおせるリボン結びは、喜びごとがなんどもあることを祈って結ばれる。そんな話を思い出したのです。人様の詩だけど、わすれたくないので年頭の日記に書いておこうと思います。





結 ~yui~
桜井月野




リボンだってそうでしょう?

きれいに結ぶためには繰り返しの練習と

ほんのちょっとの工夫が必要なの

人と人の絆もそうよ

出会って話してぶつかりあって

相手を理解してゆくの

そうして絆は結ばれるのよ

あとは独りよがりにならないように

一方通行にならないように させないように

お互いの努力が必要

そしたらきれいな蝶々結びが出来上がるよ

でもそれはとても脆いから

お互いにずっと気をつけないとね

だって結ぶのに苦労したリボンは

一瞬で解けちゃうでしょ?

解き方を間違えちゃったら

ぐちゃぐちゃに絡まっちゃうでしょ?

人間関係だって一緒よ

ほんの些細な一言が

すべてを壊すこともあるのよ

何気ない仕草ひとつで

去ってゆく人もいるのだから


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