「言葉の泉」

言葉の種が葉を茂らせることを祈って。

レタスが芸術してる!!!!!

2018年01月19日 | ’18年新日記

 この広告ポスターってすごいです!!!!
 野菜が芸術してる!
 富士山はお茄子!
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ひと声のぬくもり

2018年01月19日 | ’18年新日記


数十年前までは今の住んでいる地域は、家がまばらだった。
それがどうだろう。今ではぎっしり今風の家が軒(のき)を連(つら)ねるようになった。
まだ回覧板なるものの存在が健在なこの地域。面倒でもあるけれど、
「となりは何をする人ぞ」のような冷たい関係はない。
町内会長、隣組組長制度もまだある。
廻り番なので、いつかは町内会長も、隣組長もやることになる。
そのおかげで、近隣の住人がどんなふうか、どのような様子か知ることになる。

隣組の軒数が17軒もある。17軒回って歩くと、立ち話や、
お茶までご馳走になって、愚痴やら、健康相談まで する。
人口の流入が激しく、老人家庭があるかと思うと、新婚家庭もある。
 古くから住んでいる人の中には連れ合いが亡くなり、一人住まいも多い。

 道をあるいていたら、通りを隔てた家のSさんに
 「○○さん!」と呼び止められた。
 昨年ご主人を亡くされたSさんは、ひとまわり以上も体が小さくなっていて驚いた。 
 
 長話になった。涙を流し亡きご主人の話をされる。
大工さんだったご主人が建てた家の内部を隅々まで見せてくれた。
 庭の植木も剪定をすべてご主人がやっていたとか。
 在りし日のご主人を思い出すように、庭木までみせてくれた。
 同居していた息子さん夫婦は折り合いが悪く出て行ってしまって、たったひとりぽっち。
 さみしさが骨の髄までしみとおるようで、もらい泣きする。

 家に引き返して、煮物を少しおすそ分けする。
 おまんじゅうをお仏壇のご主人にお供えしてくださいというと、
 泣き笑いの顔がしわくちゃにゆがんだ。
 それをみて私も鼻水と涙でくちゃくちゃになった。

 誰でもいつか同じ境遇になる。
 喜びも悲しみも分け合える人がいるということは、それだけで笑顔になるものだ。
 道であったら、一声かけあいたいものだ。
 少しの会話で人の心が温まるのなら、温め合おう。
  
 
   
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珈琲を詠う

2018年01月18日 | ’18年新日記

一日に数杯のコーヒーを飲む。
 字面(じづら)で言えば「コーヒー」というとアメリカンコーヒーのようなイメージがする。
「珈琲」と書くと豆からゆっくりと挽いてネルでこしたドリップの味。豊かな香りまで文字から漂ってきそうだ。
「コーヒー」「珈琲」どちらにしてもそこから先ず頭に浮かぶのは「苦味」だろう。
この珈琲の「苦味」を絶妙に詠った歌人が二人いる。

・ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし(寺山修司『血と麦』)

・舌を焼く珈琲飲みて子を忘れん苦きを苦きと思わぬ職場(松村由利子『薄荷色の朝に』)

 東北出身の寺山修司にとって訛りは「方言かなし」と詠んだ時もあり、ふるさとの訛りが自分のアイデンティティーの証として愛する一方、都会人との差を感じさせ愛憎をわかつものでもあった。
 それを同郷の友がまるで都会人になりきったように、訛りをわすれてしまったかのような様子はなんとも名状しがたい感情が込み上げてきたのだろう。それを珈琲の「苦味」と重ねたところがこの歌人の才のきらめくところだ。

 一方、松村由利子の歌はといえば
 ・舌を焼く珈琲飲みて子を忘れん苦きを苦きと思わぬ職場(松村由利子『薄荷色の朝に』)

 新聞社勤務と云う熾烈な職場に記者として身をおくシングルマザーの作者。
 子供を置いて働くお母さんというのはつらいものがある。
 子供がたとえ熱があろうと、後追いしようと、子供を置いて働かなければならない身。「おかあた~ん」と泣く子供の声が耳に残ったまま職場に赴く。
 その声もなにもかも忘れようとするように舌を焼くような熱い珈琲を飲む。
 なんともせつない母の気持がひしひしと迫る。
 しかし、その「苦い」珈琲が「苦い」と感じないほど職場は熾烈な戦場のような新聞社という生き馬の目を抜くような職場なのだ。

 珈琲という飲み物からイメージする「苦味」をこのように絶妙な心模様の喩えとして詠う両歌人の才に感服である。



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支えてくれた人

2018年01月18日 | ’18年新日記

当ブログで「ふしあな」という記事を書いたことがあった。
「ふしあな」←参照
 コメントをたくさんいただいて嬉しかった。
 その後日談がある。
 この事件があってから、2年後に私はこの家の主「Tさん」の家の近くに嫁いできた。
 慣れない土地でホームシックになりながらも、子どもたちを相手に寺子屋のような塾を始めた。
 塾のあいまに翻訳の勉強をして、ついに私の翻訳した童話が出版されることになった。
 出版されてほやほやの童話を持ってTさんのお宅にうかがった。
 Tさんは、
 「おお、知らない間に翻訳の勉強をして、こんな立派な本を出版するまでになったなんてすごいね」
 と喜んでくれた。
 それからしばらくした年の暮れに近くの小学校の校長先生から礼状が届いた。
 「翻訳童話を寄贈してくださってありがとうございました」
 という内容だった。
 Tさんが小学校に私の童話を寄贈したのだった。

 あの時も、黙ってみていたTさん。
 横から手柄をとった女性に恥をかかせることなく、私にはきちんと礼をしたTさん。
 善行は誰にも気が付かないようにすること。
 見返りを期待することなく過ごすことを教えてくれたTさんだった。

 それから数年後、塾は生徒数が増えて、生徒の自転車が駐輪場に入りきらず、道路に列を連ねて続くようになった。
 何とかしないと通行人の迷惑になると思いながらもそのままになっていた。

 ある日、生徒の父兄が、
 「Tさんが、道路に列を作っている自転車を一台ずつ揃えているわよ」
 と教えてくれた。
 強風が吹いて自転車がなぎ倒されているのを起こして整理してくれていた。
私は教えるのに忙しくて、自転車の状態まで把握できていなかった。
 黙々と自転車を起こすTさんに駆け寄った。
 白髪が風になびいて銀色に光って見えた。

 貧乏所帯で、Tさんにもてなすお茶の葉も買えなかった私が、志だけは高く掲げて勉強してきたことをTさんだけは分かってくれていた。
  
 善行は誰にも気が付かないようにすること。
 見返りを期待することなく過ごすことを教えてくれたTさん。

 いつも陰から支えてくれたTさんは、冬のある日、一筋の煙となって天に召された。


※Tさんは、夫の父であった。

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心を伝える言葉

2018年01月17日 | 新・随想


 母は家事を決して手を抜くことはなかった。
 特に食事は手間隙かけていた。
 叔父が訪ねてくるときは、二三日前から叔父の好きな「身欠きにしんの甘露煮」を作るために準備していた。
 二三日前から乾燥した身欠きにしんを水につけてあくを抜いておく。
 翌日は、あくぬきしたにしんを番茶で煮出すのだ。
 何回もゆでこぼしてはやわらかくなるまであくを抜き、煮る。
 そして当日は朝から甘辛く煮るのだ。
 こっくりとやわらかく煮含められたにしんは一口食べると身がほろりととけて、甘辛さの中に寒風にさらされ乾燥したニシンの風味がとけだして絶妙な味になっている。

 叔父は好物をだされて嬉しそうに笑う。
 そして一口食べると、
 「やっぱり姉さんの身欠きにしんの煮物は最高だ。土産に持って帰りたいから少しくれない?」
 と母におねだりをする。
 母は嬉しそうに顔をほころばせてせっせと器に詰める。
「ありがとう、姉さん」
 叔父の言葉は料理を作った者へのねぎらいの言葉としては最高に嬉しいものだ。
 おいしそうな顔。
 おいしいと素直に伝える言葉。
 土産に持って帰りたいほどおいしいとおねだりする様子。
 心からの感謝の言葉。
 嬉しい感情と感謝をすぐに、その場で率直に伝える。
 こんなすがすがしいことはない。

 子どものころ母が台所で煮物をコトコトと煮ていた。
 朝から準備していたものだ。
 食卓で家族そろって夕飯を食べた。
 私は母の煮物が大好きでおいしくてしかたがないとおもった。
 「おいしい!こんなおいしいもの食べたことがない!」
 と大声で言った。
 姉が「おおげさなんだから!」と言って、またみんなで黙々と食べた。
 私はおおげさなんかでない!おいしいという感情をこんな言葉でしか母に伝えられないことが残念で残念でお茶碗を持ったまま泣いた。
 
 言葉というものは心の表れである。
 どんなに幼く言葉足らずでも口に出さない限り相手には伝わらない。
 母は私に「あなたは、お母さんの宝物よ」とよく言った。
 この言葉がどれだけ私を励まし、支えてきたかしれない。
 私の宝物は母のこの言葉だ。

 ランドセルをかたかたと鳴らしながら一目散で家にかけて帰る私は玄関をあけるとそこに母の真っ白な割烹着姿があれば、それだけで幸せだった。
 姉たちが帰る前の数時間は、母と私の蜜月だった。
 母が作ったものを、もっとしっかりと伝える言葉が欲しいと思った幼児の頃の思いは、今も尚私を言葉に向かわせているのだ。
 
 
 


 
 
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「ちゃんとこんないい暖い手袋」

2018年01月17日 | ’18年新日記


読者の皆さんは、やさしいなあとしみじみ思う。
「手ぶくろを買いに」の童話をプリントして、寝床で読んでくださった「くーばあちゃん)さん。
 子ぎつねに「よく頑張ったで賞」をあげることにした(くーばあちゃん)さん。
  
 こんな情け深い人たちがいるって、母狐に教えてあげたくなる。
 そして私自身も、コメント欄で久しぶりに多くの人と、ゆっくりと心の交流ができて嬉しかった。
 長い間ブログをやっていると、いろいろなトラブルが起こる。
 そのたびに、もうやめよう、もうやめようと思う。
 でもそれはほんの一握り。

 『手ぶくろを買いに』の中で人間不信の母狐が言う言葉がある。
人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴(つかまえ)て檻(おり)の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐(こわ)いものなんだよ


 でも子ぎつねは手ぶくろを買いに行って、優しいおじさんに出会って:
「母ちゃん、人間ってちっとも恐(こわ)かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴(つかま)えやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」

と答える。
読者の一人、つわぶきさんの感想に;
 「新美南吉の お話。心が、ホッコリしますね。人を信じることが、美しいですね!」
 とあった。

 子ぎつねに「よく頑張ったで賞」をあげることにした(くーばあちゃん)さん。
 私からは読者の皆さんに「みんなやさしいで賞」を差し上げたい。

 「人を信じることが、美しいですね!」
 と言ったつわぶきさん。
 
 台所の床板を二三枚はずしてぬか漬けのたるをかき回した記事を読んで懐かしく思ってくださったフランス在住の読者さん。

 つたない記事を読んで、それぞれが思い出をたどり、感性の糸をかき鳴らしてくださっている事を知ったコメント欄だった。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐こわかないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴(つかま)えやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」

 みなさんは、わたしにとって「ちゃんとこんないい暖い手袋」の存在です。
 ありがとうございました。

 皆さんから頂いた「ちゃんとこんないい暖い手袋」を大切にします。


  

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感謝

2018年01月17日 | 日記その1


ブログを再開して一夜明けた。
 こんなにも、多くの皆さんに支えていただいて、応援していていただいて、ありがたくて、涙が出ます。
 顔が見えなくとも、確かにつながっている人の情け。
 どうやって恩返しできるだろうか?
 丁寧に暮らしていこう。
 その中からきっと見えてくるものがある。
 みなさん、本当にありがとうございます。
 
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心機一転

2018年01月16日 | ’18年新日記


いろいろあった新しい年の幕開けでした。
 ここで心機一転。
 新しい「言葉の泉」を出発させたいと思います。
 今まで読者でいてくださった方々、ありがとうございました。
 できそこないの私ですが、また一からやり直したいと思います。
また「言葉の泉」を読んでやろうという方がいらっしゃいましたら、また仲良くしてくださいますように。

 どうぞよろしくお願いします。


 
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『手ぶくろを買いに』

2018年01月16日 | ’18年新日記



ご心配いただきました皆様、ありがとうございました。
 心機一転、新しく出直しました。
休眠から覚めてこんなお話を 皆様にお読みいただきたくなりました。
 何かを感じ取ってくださるとうれしいです。

 「手ぶくろを買いに」新美南吉著

 寒い冬が北方から、狐(きつね)の親子の棲すんでいる森へもやって来ました。
 或朝あるあさ洞穴ほらあなから子供の狐が出ようとしましたが、
「あっ」と叫んで眼めを抑おさえながら母さん狐のところへころげて来ました。
「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴(ちょうだい)早く早く」と言いました。
 母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解わかりました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽ひさまがキラキラと照てらしていたので、雪は眩(まぶ)しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。
 子供の狐は遊びに行きました。真綿(まわた)のように柔やわらかい雪の上を駈かけ廻まわると、雪の粉こが、しぶきのように飛び散って小さい虹にじがすっと映るのでした。
 すると突然、うしろで、
「どたどた、ざーっ」と物凄ものすごい音がして、パン粉のような粉雪こなゆきが、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十米メートルも向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅(もみ)の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹糸のように雪がこぼれていました。
 間もなく洞穴へ帰って来た子狐は、
「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」と言って、濡(ぬれ)て牡丹色(ぼたんいろ)になった両手を母さん狐の前にさしだしました。母さん狐は、その手に、は――っと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖(あたた)かくなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」といいましたが、かあいい坊やの手に霜焼(しもやけ)ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊ぼうやのお手々にあうような毛糸の手袋を買ってやろうと思いました。
 暗い暗い夜が風呂敷(ふろしき)のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮びあがっていました。
 親子の銀狐は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお腹なかの下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。
 やがて、行手(ゆくて)にぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて、
「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。
「あれはお星さまじゃないのよ」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。
「あれは町の灯(ひ)なんだよ」
 その町の灯を見た時、母さん狐は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思出(おもいだ)しました。およしなさいっていうのもきかないで、お友達の狐が、或ある家の家鴨(あひる)を盗もうとしたので、お百姓(ひゃくしょう)に見つかって、さんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
「母ちゃん何してんの、早く行こうよ」と子供の狐がお腹の下から言うのでしたが、母さん狐はどうしても足がすすまないのでした。そこで、しかたがないので、坊(ぼう)やだけを一人で町まで行かせることになりました。
「坊やお手々を片方お出し」とお母さん狐がいいました。その手を、母さん狐はしばらく握っている間に、可愛いい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの狐はその手をひろげたり握ったり、抓(つね)って見たり、嗅(か)いで見たりしました。
「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、またその、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に円(まる)いシャッポの看板のかかっている家を探さがすんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩(たた)いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間(すきま)から、こっちの手、ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目だめよ」と母さん狐は言いきかせました。
「どうして?」と坊やの狐はききかえしました。
「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴つかまえて檻(おり)の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐(こわ)いものなんだよ」
「ふーん」
「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ」と言って、母さんの狐は、持って来た二つの白銅貨(はくどうか)を、人間の手の方へ握らせてやりました。
 子供の狐は、町の灯(ひ)を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十にもふえました。狐の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を閉しめてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。
 けれど表の看板の上には大てい小さな電燈がともっていましたので、狐の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡(めがね)の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで画かかれ、或あるものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分らないのでした。
 とうとう帽子屋がみつかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電燈に照てらされてかかっていました。
 子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は」
 すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
 子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手をすきまからさしこんでしまいました。
「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
 すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木(この)葉はで買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指ひとさしゆびのさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚たなから子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有おっしゃったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの」と思いました。けれど子狐はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
 ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何と言うおっとりした声なんでしょう。

「ねむれ ねむれ
母の胸に、
ねむれ ねむれ
母の手に――」

 子狐はその唄声(うたごえ)は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。
 するとこんどは、子供の声がしました。
「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼(な)いてるでしょうね」
 すると母さんの声が、
「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴(ほらあな)の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」
 それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳とんで行きました。
 お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖あたたかい胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。
 二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐こわかないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴つかまえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。

 底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店
   1996(平成8)年7月16日第1刷発行
   1997(平成9)年7月15日第2刷発行
入力:大野晋
校正:伊藤祥
1999年3月2日公開
2011年4月27日修正
青空文庫作成ファイル:

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休憩

2018年01月13日 | ’18年新日記


 しばらく休みます。
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