言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

養護施設で

2017年06月14日 | 日記その1

 長年塾の教師をしてきて、さまざまな環境の子供達とふれあってきた。
 母親が焼身自殺したという悲惨なまでに悲しい出来事を抱えている子や、DVの親、離婚を重ねる親のこどもなど。
 勉強を教えるだけで何もできない自分が悔しく哀しかった。塾へ来ている時だけでも楽しくお腹のそこから笑えるように、授業に工夫を凝らしてみたりした。その結果、みんなからもらった私への感想は「おもしろい先生」だった。
 英語の授業では歌をとりいれて輪唱した。歌うなんて嫌だと言いながら、みんな競うように大声で歌いだしたときは私のほうが嬉しくなった。
 そんな教師生活にピリオドを打った今、新聞やテレビで報じられる虐待やネグレクト(子育て放棄)、生活能力のないまま出産し,子供を育てられないから施設に預ける若い親。そんな様子を見るに付け、私に何かできないだろうかとの思いが積み重なる。
 そこで今日は地域の養護施設に出かけてみることにした。カウンセラーとして役立てることが何かないだろうか?子供たちの勉強のお手伝いができるのではないかとのおもいからだ。

 養護施設は虐待や片親だけの環境で育てられない子ども、誰も面倒を見る人がいないで放置されたままの子供が30人も施設で生活していた。施設は大変立派な建物で、内部は明るく、清潔で、訪問者の靴箱は一回ごとに消毒がなされ子供たちに雑菌が蔓延しないよう神経を使っていて驚いた。
 子供たちが自立できるよう、生活態度、世の中の仕組み、言葉遣いまできめ細かな配慮がほどこされていた。

 3時過ぎに施設を見学に行ったときは、ちょうど園児たちのお帰り時間で賑わっていた。
 みんな誰がきたのか、自分の親なのか?興味ありげに近寄ってくる園児もいた。
 
 カウンセラーの需要はあるのかないのか代表に伺うと、心理面よりも、先ずは日々密接に生活を共にしながら「家族、親子」のような関係を施設の中で構築して行くことが先決だとの回答だった。
 私も幼い子どもが親から離れて暮らす心細さや、悲しさや、虐待された心の傷を抱えながら生きていく上には、「生活」する大切さ、皮膚感覚、血肉が通った日々を確保することのほうが先決だと痛感した。
 幼い子供、小学生ばかりが30人も、親から離れて心細く暮らしている現実の厳しさに芯からさびしく哀しい気持ちになった。今後、私の課題として虐待の原因、精神的なアプローチを私なりに模索してみようと思っている。
 幼い子供の泣き声を耳にしながら帰路についた。
 
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2 コメント

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おはようございます (港町のカフェテリア・Chochin)
2017-06-15 06:08:37
おはようございます。
『言葉の泉』は毎日欠かさず必ず拝見させていただいております。
政治や社会問題などの記事には同調することばかりです。
頭の中に『サマータイム』の曲が流れる中、こちらの記事を読ませていただき
胸が締め付けられる思いです。
私にはどうすることもできませんが、政府は馬鹿げた法律を作るより
弱者の身になった行政をきめ細かく行なわれんことを望むばかりです。
港町のカフェテリア・Chochinさんへ(サマータイム) (ろこ)
2017-06-15 08:44:57
港町のカフェテリア・Chochinさんへ
 おはようございます。
 ありがとうございます。
 この記事を書いてすぐ港町のカフェテリア・Chochinさんのブログを訪問させていただきました。
 タイムリーなことに、「サマータイム」が流れていて、歌詞が養護施設の子供たちと重なりました。
 黒人が「父ちゃんは金持ち、母ちゃんは美人・・」自分を慰めるように夢を言い聞かせる歌詞に胸がいっぱいになりました。
 いつも選曲が素敵で心が潤います。
 共謀罪が強行可決しました。
 政治がどんどん悪くなって一強独裁になり、ものが言えない時代になりつつあります。
 時はまさに「サマータイム」
 嘆きのブルースが国民の歌にならなければよいのですが。
 コメントをありがとうございました。



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