言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

処世術

2017年07月12日 | 日記その1

 幸か不幸か、世間の荒波に、それほどもまれていない私は、だからといってよいわけでもない。
 いい年をして私よりもはるかに年下の人に
 「ろこさんは純粋でいらっしゃるけれど、自分はしたたかに、いろいろな仮面をかぶって生きています」
 などといわれると、なんとも面目(めんぼく)なく年ばかり食って人生のわたり方を知らない私が間抜けな奴にみえて情けなくなる。

 二十代のこの女性がいう「したたかに、いろいろな仮面をかぶって生きている」と年上の私に言った「したたかに」とはいったいどんなことなのだろうかと思う。
「年上の世間知らずのおばさんめ!」とみくびっての発言だろうか?
 いずれにせよ、敬われていないことだけは確かだ。
 私が二十代の女性なら、いくらみくびったにせよ、年長の人に
 「あなたは純粋でいらっしゃるけれど、私はしたたかよ」などと放言することはない。
 いうなれば、これこそ「世間知らず」の言葉。
  したたかでなくただの無礼者!常識はずれの無礼者!!!

 応じるとみせかけて、心の中では「否」の一字をじっと持っていることなど私には到底出来ない芸当である。
 また世渡り上手な人をみるのも嫌いときているので賢いとは言えない性格といえよう。
国会で追及されても、資料はありません、データーは自動的に消去されましたと言いぬけた人が国税庁長官に抜擢。
日本で一番処世術がうまい人であろう。
 
  長年培われて身についた、ものの考え方や処世感、価値観は自分の背骨でもあるので、そう簡単にぶれるものではない。

 人の顔が二つと同じでないように、いろいろな人、色々な思考の人、価値観があるものだと、あらためて若い人の老成した処世術を聞きながら思う今日この頃。
まだ二十代のあどけない顔の下にそんな「したたかな仮面をかぶって生きています」とうそぶく性根がすわっているなどと誰が想像できようか。
 その反対に成人した私には、まだ青い蒙古斑が残っていようとは人生とは奇妙なものだ。
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