言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

自然治癒力と意志

2016年10月12日 | 新・随想

よそ様が悩んだりくよくよしていたりすると、時が解決してくれるわよなどとアドヴァイスする。
だけれど、自分が同じ悩みを抱くと、とたんに胃に穴があきそうになるぐらいくよくよする。
人間は悩みを解決しようと防衛本能が働くのか、少しでも自分に良いこと、楽になる方法や、アドヴァイスを得たいと全身を耳にすることがある。
いいと思うことはみんな取り入れるうち、いつのまにか気持ちが治まってきて自分で道が開けてくる瞬間がある。
きっともがいて、あがいて、じたばたすることにより、少しずつストレスが分散してきて、そのもがいている間にも自分の中で考えがまとまってくるのだろうか。
ある日、なんでもない言葉、悩みとは無関係の言葉に目の前が開けたりする。
もがいている間に、他人がしてくれたアドヴァイスや心配してくれている様子がじわじわとしみこんでいるのだろう。
それが患部を包むかさぶたのような働きをして、いろいろなことが作用してぱっと目の前が開けてくるのだ。

子供の頃、怪我をしたり、打ち身をしたり、おなかが痛かったりしたとき、母が痛むところを撫でてくれたり、手をあててくれるとそこだけぽっと暖かくなって痛みが薄らぐことがあった。
「手当て」という言葉があるけれど、人間には不思議な「気」があって、「手」を痛むところに当てて心をこめて撫でたり、軽く叩いてくれただけで、精神的麻酔作用が働くのではないかと思う。
それと同じように、心配してくれる者の心遣いはじわじわと効いてくるものだ。
人間や動物には自浄作用のようなものがあって、自分の傷は自分が治そうとする自然治癒力が備わっている。
ある程度自分で苦しんでもがくことも自然治癒力の一つの作用かもしれない。
そこから浮上したときは苦しみは喜びに変わる。
癒されたいと安直に他人にすがることがかならずしもいいものでもない。
助けは必要だけれど、自分でも道を探すことをしてみないといつでも他力本願の「癒し」を求めすぎると「自然治癒力」がなくなってしまいはしないだろうか?
人は誰かの支えがあると力強い。
その支えと共に、自分でも自分を支えようとする意思をもつべきだとも思う。
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4 コメント

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おはようございます♪ (ハナコ)
2016-10-12 06:55:12
欲尽きないからw
自然治癒力減っちゃいそうで
困ります。
何でも程々にと言うことでしょうね(^-^;
たしかに。 (ゴマメのばーば)
2016-10-12 06:56:44
おはようございます。
幼い頃、転んで擦り傷を拵えたり、風邪で咳が出たりしたとき、母が、
「いたいのいたいの 飛んで行け」
「コンコン咳も 飛んで行け」
と、足や、胸を、さすってくれた手には、たしかに癒しの〈気〉がありました。
ハナコさんへ(ほどほど) (ろこ)
2016-10-12 08:43:02
ハナコさんへ
  おはようございます。
  そうですね。他力本願もほどほど。意志の強さもほどほどというところでしょうか。
 なかなかできないものですね。
ゴマメのばーばさんへ(母の力) (ろこ)
2016-10-12 08:47:13
ゴマメのばーばさんへ
   おはようございます。
   母のおまじないのような文言は不思議な威力がありましたね。
 痛いのが消えていくような感じがしたものです。
 病は気からといいますが、「気」というのは不思議なものですね。

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