言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

『いつか王子駅で』堀江 敏幸著

2017年06月14日 | 書評
いつか王子駅で
堀江 敏幸
新潮社

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 堀江のどの作品をとってもその「文学」の品格に酔わされる。
 品格ある文の運び方、プロットの組み立て方の妙もさることながら、登場人物は下町の市井の人であったり、移民だったりと、登場人物は隣人のような温もりを感じさせ、優しいまなざしの堀江文学に読者は魅了され、いつのまにか虜になっていく。

 さて、この長編「いつか王子駅で」は正吉という昇り龍の刺青がある印章の彫師、正吉が渋い味をだし冒頭から読者の心をとらえる。
 主人公はと言うと、大学講師をしたり、翻訳、家庭教師などをしながら上記の正吉と居酒屋で知り合い、そのうち職人の荷物を預かるが渡そうとするうちに行方不明となってしまう。

 この間に登場する居酒屋のおかみの立ち居振る舞いや米屋の老主人の眼にただならぬ根性の座り方のあやをみせてくれる。
 また古本屋のおやじのパラフィン紙のかけかたや羅紗ばさみの扱い方などを織り込み職人かたぎの妙というものをとっくりとみせる。
 下町の人間やその界隈(都電荒川線の走る「王子」界隈、飛鳥山、滝野川、尾久)の風情を巧みに描いていて渋くて温みのある堀江ワールドの幕開けである。

 また堀江ワールドの別の魅力、本に関する情報が散りばめられていて魅力。
 島村利正『残菊抄』マーク・トウェイン、安岡章太郎『サアカスの馬』、徳田秋声『あらくれ』、『スーホの白い馬』などが素材として扱われていてそれを小説にからませて進んで行くあたりはもう見事と言うほかに言葉がみあたらない。

 随所に競走馬が伏流水のように流れているのもみどころ。
 特に島村利正『残菊抄』では、後にでてくる競馬馬「テンポイント」の生涯とを重ね合わせる表現:例えば
残菊。重陽の節句が過ぎてもなお咲き残っている菊。重い首をもたげてけなげに生き抜いているとも、散るとも、散る時期を逸して輝きそこねたとも言える、酷薄で、しかも美しい言葉だ』『菊の花で飾られた道を駆け抜けることのできなかった馬がべつの機会をとらえて直線を抜け出し、歴史に残る名馬とたたえられたようなぐあいだ。

などの言葉の妙はたくみわざといってよいだろう。

また島村利正『残菊抄』篠吉の胸中をとらえた文、
篠吉の胸の中に子供心に似たほのかな狼狽が走っていくのが感じられた

を引用し人の心の震えに光を照射し、“こうした「子供心に似たほのかな狼狽」を日々、感じ得るか否かに人生のすべてがかかっている”
と言わしめた堀江氏の言は随分含蓄があって「言葉」の深みについて十分咀嚼し反芻するにたる極上の言葉であると痛く感じ入るばかりだ。

また旋盤工の職人の腕前の素晴らしさは「のりしろ」にあるという。
それは他者のため、仲間のため、自分自身のために余白をとっておく気遣いと辛抱強さにも通じると言う。
最後には隠れてしまう部分(のりしろ)に対する敬意。
「王子駅」界隈(本書)に流れる人情の機微、人間の起点なのであろう。
渋い魅力の刺青のある正吉が消えてしまったままになっていて小説が終わっていて、読者は一体彼はどうなったのだろうか?と続編をつい期待したくなる。
品格があって、読ませる筆力、文章の素晴らしさに痺れてしまう。
文学ってこういうものだったのよねなどと思わず独り言がこぼれてしまう作品。
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