言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

初恋の来た道

2017年05月26日 | 新・随想

ご近所の外交官のご子息で東大生だったAさんが家庭教師としてやってきたのは私が高校一年生の時だった。
 「初めまして」と顔をあげたら、背が高く眼が綺麗な青年が立っていた。
 あまりの素敵さにぼーっとなって、耳まで赤くなってしまった。
 シャイなのに、男らしく凛々しい人だった。
 お茶の時間になると、Aさんが選んだレコードを聴きながらおいしいケーキを食べながら本の話や音楽の話でもりあがった。
 高校生と大学生。
 週に二回の授業で近所なのに、Aさんは毎日手紙をくれた。
 切手を貼って投かんされたものだ。
 手紙の中に、「好き」という文字がどこかにありはしないかと何十回も読みなおしてみても、どこにも好きという文面はなく、
 今読んでいる本の話ばかりだった。
 それでも、どこかに私だけにわかる秘密の言葉が隠されていないかずいぶん探した。
 Aさんに馬鹿な女だと思われたくなくて猛勉強した。
受験勉強でなく、Aさんのためだけの勉強だった。
 担任が驚くほど成績が上がった。
 3年があっという間に過ぎて行った。
 
 大学受験に合格した私は大学生に、先生は東大を卒業して社会人になり海外に赴任が決まった。
つまり家庭教師と生徒という繋がりも同時に卒業することになった。
その最後の日に私は生まれて初めて「デート」というものを先生とすることになった。
先生が大学合格祝いをして下さるという名目だった。
何もかもが初めてづくしの日だった。
ヒールのある靴を初めて履いた。
薄化粧も初めてした。
口紅は先生のお母様から頂いたものをつけた。
二人っきりで、しかも大好きな先生とお食事をするなんて考えただけで胸が一杯になる。
おいしい料理もろくろく喉に通らない程うわずってしまった私。それでもどうにかこうにか時が過ぎて帰宅時間になった。

バスに座るとそこへおばあさんが乗ってきた。
先生は自分の席を少しずらして空間をつくり、おばあさんに目で合図して「ここ、ここ」という風に座席を手でとんとんと叩いた。
おばあさんは「どうも」と言って座った。
席を立って譲る方法もあるけれど、私は先生のこの方法は双方にきづまりがなくとても心地よいと思った。
いかにも先生らしい何気ない優しさの方法だった。
最寄りのバス停の一つ前で先生は突然「ここで降りよう」と言った。

そこから私の家まで二人並んでゆっくりと歩いて帰った。
そう。一つ前で降りて歩けば、その分長く一緒にいられるわけだ。
相変わらず二人ともとりとめもない話をしながら歩いたけれど、このままずっと家にたどりつかなければ良いと願った。
そしてついに先生も私も言いたい「肝心の事(好きだ!)」を言えないままわが家に着いてしまった。
門の扉を開けた私はもうこれで先生とお別れだと思うと涙がでてしまった。
先生はじっと私の目を見つめて手に包みを渡した。
「僕が作ったペンダント。僕からのささやかなお祝い」と言った。
それは先生が軽井沢の窯場まで行って焼いた楽焼きだった。四つ葉のクローバーが手描きされていた。

あれから随分長い時が過ぎた。
バス停を一つ前でおりようと言ったあの一言は千語以上の胸の内を語っていたことを今になって知る私。
華やかでなく素朴で慎ましい手作りのペンダントはそれだけに心がこめられていていかにも先生らしかった。

あの日のバス停は淡い初恋の停留所でもあり、そこからどこまでも一緒に歩いていけそうな分岐点でもあった。
  
初 恋

島崎藤村

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ





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6 コメント

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素敵な思い出ですね。 (dingo)
2017-05-26 05:46:28
読んでいてなんだか胸が締め付けられるようでした。あの頃わからなかったけど、今ならわかる相手の気持ち、ありますよね。
あの時気づいていたら、どうなっていたんだろう、と妄想すること、あります。が、気づいていて、お付き合いしたとしても、けれどきっと運命の相手は今と一緒だったのかなぁ、とも思いますが(笑)
おはようございます (ひろ)
2017-05-26 06:07:46
素敵な初恋ですね。
心の内を推し量りながら何気ないふりして
ちゃんと伝わっている。
あからさまな表現がない分心の内に深く残る初恋。
こんな恋に憧れて高校生だった私が一人で
つぶやいていたのが藤村の「初恋」でした・・・
若かった~(笑)
大人になって涙した映画は「初恋の来た道」でした。
おはようございます (tempo1078)
2017-05-26 06:56:06
初恋、
いいものです。

あなたの心の片隅に思い出として何時までも存在し続けるでしょう。

本当は、「好き」と言いたかった。・・・私にも同様の思い出が。青春期の甘酸っぱい思い出、いいものですね。


島崎藤村の「初恋」は名作ですが、そこには言外にプラトニック以上の関係があったことが窺われます。
「初恋」以上のものでしょう。

まぁ、
明治の文人には、色々とあったようでございます。

それで、
島崎藤村の文学的な価値が下がるものではないでしょうけれど、

凡人には理解不能です。
dingoさんへ(同感) (ろこ)
2017-05-26 08:07:56
dingoさんへ
 おはようございます。
 そうそう。その通り!
 今ならこんなにおしゃべりで、言いたいこと300パーセントしゃべるのに、あの時ほとんどしゃべれなかった私。相手の気持ちを確かめられなかった。
 もし、言えたら。いつもそう思っていましたが、dingoさんがおっしゃるように、運命の相手は今の夫(?!)だったのかも。
 だから初恋なんですね。実らないのが初恋。
 え!?dingoさんも同じ?
ひろさんへ(実らないもの) (ろこ)
2017-05-26 08:09:42
ひろさんへ
 おはようございます。
 お互い「若かった!」
 ですね。(笑)
 実らないから「初恋」なのかも。
tempo1078さんへ(藤村) (ろこ)
2017-05-26 08:14:18
tempo1078さんへ
 おはようございます。
 初恋は甘酸っぱくて「カルピスの味」なんてコマーシャルがありました。
 tempo1078さんも、同じような甘酸っぱい恋がおありだったのですね。
 心の片隅に、そんな思い出があるのもよいものですね。
 藤村は、姪っ子と何かあったようで、文学者には倫理なんてものはないのですかね。
 

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