言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

そぞろ秋を歩きて

2016年10月15日 | 新・随想


 郵便局に小包を持って出かけた。
 遠からず、近からずの距離だ。
 散歩がてら歩くにはもってこいの距離。

 朝晩寒くなってストーブを出した。
 木々はもう紅葉している。
 家の中に引きこもってばかりいたので、季節の律義さにきづかなかった。

 「あっ、桜の花が咲いている!」

 紅葉の中、薄紙をまとったような花。
十月桜、四季桜とよばれるものだろうか。
胸を妖しくする春の桜とは異なって、深まる秋に咲く桜は振袖を着たまま老いていく名家の老嬢のようだ。
 
 しばらく木立と民家が続く道を歩いていくと、ひときわ威容を放つ黒々とした屋根の甍(いらか)が見えた。
 近くまで行くと、朽(く)ちかけた庭に木造の門があった。
 門にかけてあった門標をみると「○○寺」とあった。
 「ああ、ここはお寺だったのだ」
 だから屋根の甍(いらか)が普通の家とは違って威容を放っていたのだと納得した。
 しかし、屋根ばかり立派で、庭も外まわりも、すっかり荒れ果てて、朽ちるばかりとなっている。
 門だけ、毅然として美しい。
 まるで「われここにあり!」と主張しているかのようだ。
 
 屋根瓦と門だけがかつての威厳をとどめており、あとはそれらを裏切るように荒れ果てたようすは何かに似ている。
 お能の「景清」(かげきよ)を思い出した。
 平家の勇猛な武将、平(たいらの)景清(かげきよ)である。
 物語のあらすじをかいつまんで言うと:

 源平の戦が、源氏方の勝利で終わった後のこと。
 平家方の武将で、勇名を馳せた悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は、盲目となり、日向国(ひゅがのくに)へ流されてた。
 景清はかつて、尾張国熱田の遊女との間に一人娘、人丸をもうけた。
 彼女は鎌倉に住んでいたのだけれど、風の便りに景清が存命していることを知り、お供と共に日向国宮崎へ景清を訪ねる。

 ちょうど景清が、落ちぶれた身の上を嘆いているところに、人丸たちがやってくる。
 従者は「景清を知りませんか」と声をかけるが、景清は悟られまいと、盲目でそんな人は見たこともありませんと他人のふりを押し通す。

 人丸はその後、里人に事情を聞き、彼の仲介でようやく対面することができた。
 景清は、人丸の求めに応じ、八島の合戦の様子を聞かせる。
 語り終えた景清は、もう長くは生きられないだろうからと、人丸に帰って自分の跡を弔うように頼み、親子は別れていく。


 盲目となり、乞食のように落ちぶれた景清(かげきよ)は、娘の前では「われここにあり!」
 とばかりにかつての勇猛な武将の自分を印象付けようとする。
 
 散歩の途中で見た朽ち果てた寺の門と屋根の甍(いらか)は、落ちぶれたとはいえ「われここにあり」と主張している景清を思い出させるのだった。

 栄耀栄華(えいようえいが)の時よりも、朽(く)ちていくものに惹かれてしまう。
 侘びしいばかりの荒涼。森閑(しんかん)としたさみしさが胸を刺す。

 ハッと気が付くと、見知らぬ場所にでてしまった。
 朽ちた寺に思考を停止させられてしまったのか、郵便局からだいぶ遠くまで来てしまったようだ。
 また戻ることになった。

 ちょっとした旅をしたような気がしてきた。
 たかだか近くの郵便局までであるけれど、平家の時代にまでさかのぼり、景清のさみしさの泉にまで旅してしまった。
 
 そぞろ歩き
 ウオーキングと言ってしまっては味もそっけもない。
 そぞろ歩きもまた旅である。

 

 
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2 コメント

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景清 (FUSA)
2016-10-15 12:33:19
景清はまだ観ていない能の演目の中でも最も観てみたい一つです )^o^(
FUSAさんへ(重習い) (ろこ)
2016-10-15 12:43:22
FUSAさんへ
 こんにちは。
 「景清」は能(仕舞い、謡い)をやっている人にとっても大変重要な演目で重習いといって、長年稽古している最古参の人が習うもっとも難曲の一つです。 勇猛な若かりし日を演じるかと思うと、老いさらばえて、盲目になった悲哀を演じ分けるので、観るほうも涙して、趣深い演目ですね。
 ぜひご覧くださいますように。
 その観能記を拝読したいです。
 

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