言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

日曜日のたわごと

2016年09月18日 | 日記その1

日々「読書し、ブログを書く」生活をブログに綴っていると、まるでお気楽な生活をしている人だと思われるだろう。実際、そう山あり谷ありのことはない。しかし、そんな平凡そうに見える生活にも、時には影を差す。しかし、その影をブログに書くようなことはしない。それは心の中の問題だから。

 小説などはその影の部分を微にいり、細に入り書くものだ。私小説ならば、なおさらのこと、さらけだすように、生活や心の葛藤や、織りなす人々の様子を書くと色鮮やかなものが出来上がる。
 イギリスの作家が「ブリジット・ジョーンズの日記」を出版し、映画化された。
 日々の暮らしも、出版するようなものになり、映画にもなるのだから私もリアルな日記を書いたらましなものができるかもしれない。
 ブログ日記は盛んな昨今、世界中の人が書いている。今ではブログではなく、お手軽な一行もの、「つぶやき」のツイッターなるものが流行ってきた。長々とした文章よりも、一言の「つぶやき」のほうが、読むほうも、書くほうもお手軽なのだ。

 人は他人の心、生活を覗きたいもののようだ。日記文学がすたれないのは、そうした動きのあらわれである。
 このブログも、私の心の動きをリアルに描いたならきっとびっくりするものになるかもしれない。
 なぜなら、私の心の中の世界は多岐にわたっているからだ。
 なにも、私だけの心が複雑なわけはない。みんなどの人の心も書き表してみたら、案外複雑怪奇なものである。
 その中には、嫉妬や怨念や、愚痴や、性欲や、愛欲や、食欲や、金欲や、野望が渦巻いている。しとやかな女性の心が性欲まみれかもしれないし、薄汚いかっこうの男性の心は清らかな泉のようなものかもしれないのである。
 人はそれを書くという手段をとったり、言葉で表現することがない限り、他人には計り知れないのである。

 このブログを通じて知り合った人の中には、メールをくださる方もいる。そのメールの中の人生は想像を絶するほど過酷である。 しかし、一生懸命に生きている人の心がにじんでいて打たれる。そう。世の中には日々の生活と激しく戦って生きていかねばならない人がごまんといるのだ。
 そんな人を明るく前向きにしていくものがあればいい。それは音楽であり、、たった一言の言葉であったりする。
 私のつまらない心の葛藤を書いてみたところで、何も生じない。それよりも、少しでも明るくなれるものが望ましい。
 そんなわけで、今日、私の心の中のあれやこれやを書こうとしたが、思いとどまった。
 そんな日曜日の朝。こんな朝も私にはある。

Never on Sunday
 

 
 
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