言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

明治の人の心意気と赤レンガ

2017年03月21日 | 旅(国内)

 明治時代に、大都市をひかえた既存4大ビールメーカーに挑戦した一地方都市のビール会社がありました。
 そのビールとはカブトビール。明治33年のパリ万博で金賞に輝いたビールです。

 今となっては幻のビールとなってしまいましたが、その工場は、半田赤レンガ建物として現存しており、半田の先人たちが、大ビールメーカーに立ち向かった心意気と、豊富な財力と技術力を有していたことを雄弁に物語っています。

名古屋から南に30kmの知多半島の中央部にある半田市を紹介したいと思います。

 愛知県半田市榎下町にはこんな素晴らしい赤レンガの建物が!!!
 明治の建築界の巨匠、妻木頼黄(つまきよりなか)が設計した建物で、国の登録有形文化財。明治33年のパリ万博で金賞に輝いた「カブトビール」の醸造工場です。


 この建て方はイギリスなどでみられるハーフティンバー様式といわれるもの。
 ハーフティンバー様式(木骨様式)とは、木造の骨組みの間を漆喰やレンガ、石などを使って埋めて壁がつくられ、木造の骨組みがそのまま外観デザインのアクセントになっているもの。
 ハーフティンバー棟は、瓶洗・瓶詰・荷造等の出荷作業に使用され、 構造は、木骨煉瓦造の高窓を持つ平屋建てになっています

 旧「カブトビール」工場:
  半田は江戸時代から現代まで続く代表的な産業として食酢や日本酒といった醸造業が盛んなところ。
 この建物は明治時代の人々の喉を潤した「カブトビール」の生産工場として丸三麦酒株式会社が建設したもの。
 レンガづくりの建物は関東大震災以降はほとんど建てられなくなり、幾たびかの災害や建て替えなどにより多くがこわされており、現存しているものは少なくなっている。その希少な中でも東京駅、横浜新埠頭、北海道庁についで、日本第四位といわれ、わが国屈指の重要なレンガ建造物である。






 この建物の北側の建物の外壁には第二次世界大戦時の空襲による機銃掃射の弾痕が生々しくのこっており、歴史の生き証人として残っている貴重なもの。

なぜアメリカの戦闘機が低空飛行してこの建物を機銃掃射で狙ったのかというと、この建物は太平洋戦争末期には、中島飛行機半田製作所の衣糧倉庫として使用されていたからだった。
当時、中島飛行機は有名な「戦闘機王国・中島」として有名な工場を有し、海軍の「天山」「彩雲」を生産するために愛知県半田市に半田製作所を建設。
世界最速の戦闘機を作る優秀な頭脳が結集していたのだった。
その衣糧倉庫としていたこの建物がアメリカ軍に狙われたのだった。

 日本の建築界の巨匠といわれる妻木頼黄(つまきよりなか)の設計したこの美しいレンガ造りの建物が住民運動により保存されたことは喜ばしい。
 
 



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18 コメント

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ビール工場 (sum)
2017-03-21 00:45:29
ビール工場と言えば、北九州のビール工場を見学したことがありますが、こういう歴史的な建築物はすてきですね。
プリプリ (ふき)
2017-03-21 03:30:42
昨年末ここに訪れました
おおよその概要は把握していましたが
こうして詳しく説明して頂くと
さらりと立ち去ってしまった事が悔やまれます
年末故そこはクールに閉ざされていました
ここだけではなく
当地の主だった施設はすべてそうでした
12/29の事 尾張人は商売っ気なしの気質なんやろか
名古屋城も閉まっていて 
なんか八つ当たりを今になって
ろこさんにしちゃったりなんかして 
懐かしく (荒川三歩)
2017-03-21 07:25:35
岳父を思い出しました。
半田市には家内の実家があります(亡くなった両親の家という意味で、生まれは小鈴谷ですが、生家は取り壊されてありません)。
岳父は中島飛行機で、爆撃機のエンジンの設計技師をしていました。
同盟国ドイツからもたらされたロケットエンジンの設計図を見せられたとも言っていました。
彼はこの建物に出入りした事があるかも知れないです。
お墓が多磨霊園という事もあり、義父母が亡くなってから随分長い間行っていません。
半田に誰も住んでいない家が残されているので、久し振りに行って、レンガ倉庫で彼を偲びたいと思います。
ありがとうございました。
sumさんへ(歴史的建造物) (ろこ)
2017-03-21 09:03:42
sumさんへ
 おっしゃる通り!!!
 建築界の巨匠、妻木頼黄(つまきよりなか)の設計したこの美しい建物は残しておかなければならないものだと心より思います。
 中に入って驚いたのは、アメリカの低空飛行による機銃掃射にも、びくともしなかったわけがわかりました。
 壁が分厚くできて、機銃掃射の球なんぞ跳ね返すものでした。構造がしっかりしていて、素晴らしいです。
ふきさんへ(時期) (ろこ)
2017-03-21 09:10:18
ふきさんへ
 この赤レンガ内の常設展示場があります。●営業時間/9:00〜17:00
●場所/常設展示室
●休館日/年末年始
●お問い合わせ/半田赤レンガ建物 TEL0569-24-7031
 です。
 ふきさんが、いらっしゃった時は年末だと思いますので、休館していたのだと思います。
 残念でしたね。
荒川三歩さんへ(ご縁) (ろこ)
2017-03-21 09:22:12
荒川三歩さんへ
 「岳父は中島飛行機で、爆撃機のエンジンの設計技師をしていました。」
 に驚きました。
 実は義父も中島飛行機で格納庫を設計していました。
 当時の中島飛行機は日本の頭脳が結集していた場所で、ロケットの糸川博士もいました。
 爆撃機のエンジンの設計技師というのは、最高の頭脳の持ち主ですね。
 この赤レンガを設計した妻木頼黄(つまきよりなか)も、建築界の巨匠です。
 日本の頭脳の結集した中島飛行機の存在を恐れたアメリカは戦後、飛行機を設計することを禁じていました。
 荒川三歩さんとのご縁を感じます。
 
おめでとう! (emarch)
2017-03-21 10:40:56
ろこさん、これ以上遅くなると、もっと言いそびれてしまいそうなので、
遅ればせながら「お誕生日おめでとうございます」

もう記事にしない、とありましたが、おめでとうと言いたいので、いつまでも記事にしてくださいね。

文才があって、その文才を活かせる知識と日々新しい何かをインプットできる環境にある。

私もそのおかげで、ハーフティンバー様式という言葉に接することができました。
ただ、すぐ忘れてしまいそうな予感はしますが・・・。

ろこさんは見習いたいちょっと年下の女性です。
これからも、gooにいてくださいね。



荒川三歩さんへ(知り合い) (ろこ)
2017-03-21 10:41:42
荒川三歩さんへ
 追記です。
 もしかしたら、お義父さまとは旧知の仲かもしれないと思いました。
 義父も今は亡き人になってしまったので聞くすべがありませんが・・・。
 今はどなたも住んでいない家も、ひょっとして我が家の近くのような気がします。
emarchさんへ(嬉しい!) (ろこ)
2017-03-21 11:04:21
emarchさんへ
 わぁ!嬉しい!ありがとうございます。
 今風に言うなら「CU」
 「Chou Ureshii」超嬉しい!!
 時々ブログ「やめたい病」になります。
 emarchさんの「これからも、gooにいてくださいね」
 の言葉を肝に銘じます。
 嬉しいお祝いメッセージをありがとうございます。
 嬉しい嬉しい!
 
岳父は (荒川三歩)
2017-03-21 11:54:10
戦闘機でなく爆撃機担当ですので、そこそこの頭だったと思います。
婿の私に合わせて飲めない酒を付き合ってくれた、経済経営の本とクラシック音楽と妻と子供と機械もの大好き爺でした。
知多半島の田舎町で「パパ・ママ」と呼ばせていた、ちょっと浮世離れした大正一桁生まれの男でした。
返信です。 (荒川三歩)
2017-03-21 12:29:03
亡き義父母の家は、成岩神社の近くの宮本町ですけど、まさかね。
荒川三歩さんへ(知人) (ろこ)
2017-03-21 12:50:05
荒川三歩さんへ
 日本の最高の頭脳の中のお一人だったのですね。
 そうそう。中島飛行機に結集した日本の頭脳の持ち主たちは、インテリでリベラルな人が多かったです。
 その奥方たちも鍋島藩や、由緒正しいところの出自の人が多く、特別インテリ村の体をなしていたとか。
 義父も敵性語であった英語はペラペラでした。
 成岩近辺、乙川、上池の住宅、社宅の設計、都市計画は義父が担当しておりました。武豊線敷設は義父の計画・実施だったそうです。
 やっぱり、お近くだったのですね。
 おそらく、義父同士は旧知の仲だったような気がします。
 義父もお酒は飲めません。息子たちは大酒飲みなのに(笑)
 なんだか荒川三歩さんとは親戚のような気がしてきました!酒席を用意して、義父たちを偲ぶ会でもしないといけませんね(笑)
 大酒飲みの夫とは気が合いそうです。
 ブログのご縁って素敵ですね。
 
へえ! (荒川三歩)
2017-03-21 13:42:09
そうですね。
同時代に同じ所にいたのですからお互いに知っていますよね。
お互いの義父どうしが結ぶ不思議な縁ですね。
偲ぶ会いいですね。
大酒飲み好いですねえ。
赤レンガ倉庫 (Fs)
2017-03-21 14:04:58
横浜の赤レンガ倉庫は、桟橋に設けられた保税倉庫ですが、こちらは工場なのですね。
横浜の赤レンガとほぼ同時期の建築になるようです。不勉強で、設計者はわかりません。
関東大震災で1号倉庫が倒壊。7年後に半分大きさで再建されました。
空襲被害はなかったようですが、戦後米軍に接収されています。
どちらも戦争に翻弄された歴史は同じですね。
レンガ造りというのは風格があって好みの建物です。
富岡製糸場の建物も「木骨レンガ造」ですね。
Fsさんへ(赤レンガ) (ろこ)
2017-03-21 14:20:55
Fsさんへ
 赤レンガというのは年月を経ると風格が出てきますね。
 爆撃を知っている建物ですから、遺したいです。
荒川三歩さんへ(知っているって) (ろこ)
2017-03-21 14:28:28
荒川三歩さんへ
 夫が今、仕事先から帰ってきて話をすると、義父同士は知っていると思うと言っていました。
 爆撃機の設計はすごいもので、アメリカまで往復できるすごい設計だったようです。
 しかし、すでに時遅し。戦争が終わって出番がなかったとか。
 だから世界が驚く爆撃機の設計者だったということです。
 恐れ入りました!!!
 義父が生きていたら、懐かしがることでしょう。
 
  
 
またまた、へえ! (荒川三歩)
2017-03-21 18:01:27
凄い飛行機ですね。
賢い人ではありましたが、そんな凄い人と思わせる雰囲気はありませんでした。
だったら、我が家にいる彼の孫はもっと・・・。
ああ、私似か。
荒川三歩さんへ(きゃ!) (ろこ)
2017-03-21 18:49:17
荒川三歩さんへ
 あははは。
 夫はお逢いしたこともないのに、よく知っていますね。
 実は義父のところへよく新聞社の人が戦前・戦中の中島飛行機を知っている人ということで、インタビューされることが多く、往時のことを語っているのを聴いていたのでしょうね。
 記事もスクラップしてあります。
 お孫さん、うふふ。
 どちらに似ても優秀でしょう!!!
 楽しみですね。

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