言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

戸を開けるとき

2017年05月03日 | 新・随想

病弱な母が40歳の時、私を産んだ。
 母は50歳まで生きる事ができないと50歳満期の保険に入り、受取人を私にした。
 クラスの若いお母さんから見ると、母はおばあさんのような存在。
 母にとっては上二人を育て、余裕のある子育ての時期であった。
 人生の苦難をくぐり抜けて、経済的にもゆとりができたころであった。

 しかし、高齢で私を産んだせいか、病に伏すことが多く、
 母がもうこのまま死んでしまうのではないかといつも私は恐れていた。
 夜中、何回も起きて母の寝息を確かめた。
 母はもうじき別れが近いのではないかと恐れ、私を溺愛した。
 私はただただ母のことが心配でたまらなかった。

 結婚後、姑と横断歩道を渡ろうとして、いつも実家の母にしていたように、姑の手をとって渡ろうとした。
 すると、思いっきり手を跳ね上げられた。
 「手を放しなさい。年寄り扱いしないで!」
 と横断歩道の真ん中で怖い顔で拒絶された。

 え!
 手を跳ね上げられ、手ひどい拒絶に面喰った。
 拒絶の意味が理解できなかった。

 年上の女性はみな母のようにやさしいと思ってきた。
 目上の人には礼をつくし、いたわるものだと思っていたが、
 それは相手によっては、大変失礼なことだと思い知った。

 自分が姑の年齢になって、電車の中で席を譲られた時、ショックだった。
 そうか、姑の拒絶はこれだったのねと納得した。

 人を思いやると言うのは美しいことであるけれど、実は微妙な温度差があるもの。
 もしかしたら、実の娘にやさしく手を取られたら、姑は、ああまで拒絶しなかっただろう。
 嫁だったから、「年寄り扱いして」とおへそを曲げたのかもしれない。
 それに、娘のお婿さんがエスコートしたのなら、大喜びしたかもしれない。

 結婚生活ではやたらとたくさんの対人関係を学ばされた。
 
 お姑さんが亡くなって、私もたががゆるんでしまった。
 壁に掛かっている姑の写真の顔がゆがんで見える。
 もしかしたら、さっき、足で戸を開けたのを見られたかもしれない。
 
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2 コメント

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重ねてわかること (頭の中にあることを)
2017-05-07 01:27:42
こんばんは。sutekidanaseoと申します。

自分の年齢は30代です。
ここから、年を重ねていきます。
今の自分の感覚や考え方が今後どのように変化していくのかが楽しみです。

ブログの内容がとても心に響きました。
今回だけではなく、いつも考えるきっかけになっています。今後もよろしくお願い致します。
sutekidanaseoさんへ (ろこ)
2017-05-07 01:38:36
sutekidanaseoさんへ
 初めまして。
 ハンドル(名前)は「sutekidanaseo」さんですか?それとも「頭の中にあることを」さんですか?
 30代というご紹介。これから人生を歩まれるのに、楽しみな年代ですね。
 さまざまな出会いを重ねて、人生経験も踏まえて、ナイスミドル、ナイスシニアになってくださいませ。
 お役にたてるような記事になっていたなら幸いです。
 こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。
 

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