言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

旅あれこれ

2016年11月26日 | 新・随想

 ミュンヘン
これまで随分いろいろな国を旅してきた。
 ほとんど一人旅か、夫と二人旅である。
 イギリス(住んでいた)、フランス(3回)、ドイツ(3回)、イタリア(7回)、スイス(2回)、スペイン(4回)、オーストリア、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ハンガリー、スロバキア、チェコ、香港、マカオ、韓国、ベトナム、カンボジア、トルコ、北アフリカ(2回)、

ドイツへ旅した時、途中の駅で激しい頭痛に襲われた。
 頭が割れそうにいたんで動けない。
 リュックを枕に駅のベンチに倒れこんだ。
 次の列車が来るまで4,50分の待ち時間。
 頭痛薬を飲んで所持金を盗まれないように抱きかかえながらこんこんと寝た。
 駅だろうがどこだろうが動けないのだから仕方がない。
 幸い次の列車がくるまでに薬が効いて頭痛は遠のいた。
 旅をしているといろいろなことが起きるものだ。

 ウイーン行きの夜行寝台列車に乗ろうとすると満席だという。
 もう野宿するわけにもいかずとにかく寝台車に乗って車掌にかけあうとな~~~あああんと席はあるという。
 いい加減なことである。
 あれであきらめて乗らなかったなら深夜その辺のホテルを探し回るはめに陥るところだった。

スペインでは若い女性の集団すりに電車の中で囲まれたが、日本語で騒いだら、乗客の注目を浴び、すりの集団は逃げた。
 イタリアの断崖絶壁の村、チンクエテッレでは、歩いていた目の前でがけ崩れがあり、迂回して絶壁を夫と二人で滑落しそうになりながら、ふもとまで下りた時は、本当に死ぬかと思った。
 スペイン・バルセロナでガウディーの世界建築遺産である個人の住宅を見ていたら、その家に住む男性が出てきて、入っていいよと案内され、門外不出の建築遺産の写真を撮らせてもらえた。
 親切にいろいろ話を聞かせてくれて、外国人にも親切にしてくれたその人情にほだされた。良い思い出である。
 ミュンヘンのビアホールで知り合った女性とは、20年以上文通をしている。旅をしてはぐくんだ友情である。

 アルルでゴッホの跳ね橋を見に行こうとしたときのことである。
 ホテルの人に聞くとわずか10分だという。
 行けども行けども見当たらず、とうとう高速道路に出てしまった。
 引き返す途中で出会った人に尋ねると「あっち」だという。
 その「あっち」方面へどんどん行くと川に出た。
 ゴッホの跳ね橋だから川にでるのは当たり前。
 しかし、その川がやたらに小さい。
 小川である。しかも草ぼうぼう。背丈ほど伸びた草むらが広がっている。道なき道に小川がながれているだけだ。
 ひきかえそうにも草ぼうぼう。
 向こう岸になにやら見えるので思い切って小川の中をじゃぶじゃぶわたっていくと大きな川に出た。
 しばらく行くとそこに「跳ね橋」があった。

 日本なら観光バスが列をなしていそうだけれど、人っ子一人いない。
 いないどころか小さな板切れに跳ね橋の説明があっただけだった。
 もっとも、復元されたものなのだったからかもしれない。
 まったく「所変われば品かわる」のことわざどおり。

 外国での旅は失敗やら驚きやらの連続だ。
 国際列車の時刻表を肌身離さず持っての一人旅は面白くてしんどい。
 その肌身離さずの時刻表。
 定刻どおりでないところが外国。
 日本はきっちり時刻表どおりが当たり前なので本当に驚かされたり怒ったり。


(ヴェネチア)
 またリュックを担いでぶらりと旅をしたいなあ。

旅上(萩原朔太郎)

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりにも遠し
せめては新しき背広を着て
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
(萩原朔太郎の有名な「旅上」の詩である)

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