言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

七夕や髪濡れしまま

2009年07月07日 | 詩歌に寄せるエッセイ
明日は七夕。

 こんな句がある。
    七夕や髪濡れしまま人に逢ふ
          (橋本多佳子『橋本多佳子句集』(角川文庫)より)

 これは女流俳人の橋本多佳子の作。
 洗い髪が乾かぬまま恋しい人のところへ行くという逢瀬のひと時を歌ったものかと思ったらそうではないらしい。

 七夕は「秋」の季語。 

七夕は陰暦ではすでに8月の半ばに当たり、立秋を過ぎている頃である。
これは夫を亡くして久しい作者が初秋のころ、洗い髪のまま人に逢うくらい平気になった境地を歌ったもの。

橋本多佳子(明治23年~昭和38年)


橋本多佳子、美女の誉れたかい高貴の未亡人.

明治32年、東京本郷に生まれる。祖父は琴の山田流家元、父は役人。
同44年、菊坂女子美術学校日本画科に入学するも病弱のために中退。大正3年、琴の奥許(おうきょ)を受ける。

大正6年、18歳で橋本豊次郎と結婚。豊次郎は大阪船場の商家の次男で若くして渡米し、土木建築学を学んで帰国、財を成した実業家。ロマンチストで、芸術にも深い造詣があった。結婚記念に大分農場(10万坪)を拓(ひら)き経営。
結婚記念に大分農場(十万坪)を拓き経営。九年、小倉市中原(現、北九州市小倉北区)に豊次郎設計の三階建て、和洋折衷の西洋館「櫓山荘」を新築。山荘は小倉の文化サロンとなり、中央から著名な文化人が多く訪れる。
 十一年、高浜虚子を迎えて俳句会を開催。このとき接待役の多佳子が、暖炉の上の花瓶から落ちた椿の花を拾い、焔に投げ入れた。それを目にした虚子はすかさず一句を作って示すのだ。「落椿投げて暖炉の火の上に」。この一事で俳句に興味を覚える。これより同句会に参加していた小倉在住の杉田久女の指導を受けて、やがて「アララギ」他の雑詠に投稿する。
 昭和四年、小倉より大阪帝塚山に移住。終生の師山口誓子に出会い、作句に励む。私生活では理解ある夫との間に四人の娘に恵まれる。まったく絵に描いたような幸せな暮らしぶり。しかし突然夫は他界する不幸が訪れた。

  月光にいのち死にゆくひとと寝る

夫婦仲がよかったものの片割れが亡くなるということは身を引きちがれるようなことだ。

    雪はげし夫の手のほか知らず死ぬ

 狂おしいばかりに夫を恋したう妻の歌だ。

 七夕の夕、橋本多佳子の句

 七夕や髪濡れしまま人に逢ふ

 に思いを馳せてみたが、ここでの七夕は何と陰暦の七夕。すでに立秋を越えた頃のことだったとは・・・。
 しかし、織姫と彦星は一年に一回はあえるけれど、この世とあの世あいだにある三途の川は越えることができない橋本多佳子の思いの壮絶は句によって昇華されて読者の胸を打つのである。

 文藝というものの美しさに感動する。
 短歌の世界では現代短歌のあり方や文化の継承について、また古くからの歌人の歌を賞味期限切れなどと言ってみたり、なにかとかまびすしいようだけれど、こうして実際美しく胸を打つ作品に触れるとそんな論議など無用なことのように思われる。

 世代を超えた丈の高い歌や句を作ることのほうが議論するよりもどれだけ大事か考えてもらいたいものだ。
 美しいもの、すぐれたものは、賞味期限切れなどという言葉は無縁である。
 モーツアルトをみよ!
 ギリシャ神話をみよ!
 ソクラテスを、プラトンを!
 すぐれたものは千年も万年も生き残り、人に愛され、語り継がれ、読み継がれていくのである。
 それが芸術である。
 それこそが芸術であり文藝の素晴らしさにほかならないではないか!

AX





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