今日は良く晴れてぽかぽか陽気。
愛知県の知多半島のほぼ中央部に位置する武豊町(たけとよちょう)へドライブにでかけた。
知多半島は長靴のようなかっこうをした半島で、武豊町、半田市は味噌、醤油、酒、酢など醸造品で栄えた地域だ。
気候温暖で良質の水に恵まれ明治19年には武豊線が開通し、明治32年には外国貿易港として製品や原材料の輸送が容易になり、味噌、たまり醤油の一大生産地となったところである。
武豊駅でガイドマップをもらい散策。

黒板塀の味噌蔵が連なる蔵の町である。
この蔵は創業文政年間とある。
このあたりを歩くと味噌と醤油のいい香りが漂ってくる。

古びた黒板塀の蔵を直し直し現在も営々と味噌、醤油を作り続けている。

赤いレンガ造りの煙突が半分で壊されていた。地震を恐れて壊したのかもしれない。
立派なレンガの煙突だった。
この地方の味噌は豆味噌だ。
赤味噌とも言われる。
また味噌からにじみ出た汁が「たまり」とよばれるもの。
一口なめてみるととびあがるほどおいしい。
このこくのあるおいしい「たまり醤油」を刺身につけて食べるとたいそう美味!!
醤油の中の「王様」である。
人間の背たけの倍ほどの桶の呑み口からじかに味見させてくれる蔵元もある。
この味噌と醤油の蔵の町をそぞろ歩いて5分ほどのところに神社を見つけた。
堀田稲荷大明神。
そこにめったなことでは見られない「算額」を発見!!


「算額」とはなにか?
江戸時代に育った日本独自の数学を「和算」と云う。
そのレベルは世界的に興味をもたれる高度のものである。
数学愛好者が解いた数学の問題の数式や解法を寺社に奉納した絵馬を「算額」という。
奉納したものは自分の解いた数式を披露するばかりでなく、次に問題を出すのである。
それを見たものがまた解き明かして「算額」として奉納。
こうして日本の独自の高等な数学の基礎ができあたのである。
この算額は日本に900枚ほどあるらしいが、残っているものは少ない。
この神社に奉納された「算額」は知多半島でこの神社だけの貴重なもの。
めったに見ることが出来ないものだった。
扉越しに覗いているとここの宮司さんがでていらっしゃって鍵をあけて特別に見せてくださった。

と言っても貴重なものなのでここにあるものはレプリカ。
本物は博物館にしまわれているとか。
世界的に貴重なもので、最近ではアメリカの学者が調べてこの神社まで見に来たという。
この写真にあるのは、数学の教授二人が何日もかけて現代数学、πやルートを使ってこの算額にあった問題と解法を解いて見せた数式である。
つまり現代数学ののπや√を使わずに解いた江戸時代の数学の能力はたいしたものであることが証明されたわけである。

それがこの解法である「算額」である。
知多半島にある村「布土」(ふっと)村の稲生(いのう)という人物が解いて奉納した絵馬「算額」である。
今年ノーベル賞を受賞した日本人は4人もいた。化学、物理部門である。
それも全員名古屋大学出身。
名古屋大学の自由な研究の雰囲気は益川さんや小林さんからもうかがい知れるのである。
日本人の頭脳は遡れば江戸時代にその萌芽があったということになる。
「算額」という数学の解法を神社に奉納しそれを見たものたちがそれぞれ学ぶという開かれた学問方法に敬意と驚きをいだくのであった。
偶然この神社を発見したのであるが、和算の神様である関 孝和(せき たかかず)の名まえを私が宮司さんにだすと「お!関さんの名前が出ましたか」といって相好を崩してこれは冷やかしでないとみたのか急に扉の鍵を開けるから「算額」を見るようにと言って下った。
そのとき、関さんの名まえを私が言うと夫が「あ、クリーニング屋の関さん?」と言い出した。慌てた私が「違う、違う」というと「米屋の関君だった?」と言い出した。
とんだところで変なことを言い出されて貴重な「算額」をみそこなうところだった。
※関孝和とは、江戸時代の和算家(数学者)である。
関は和算が中国の模倣を超えて独自の発展を始めるにあたって、重要な役割を果たした。 特に宋金元時代に大きく発展した天元術を深く研究し、根本的な改良を加えた。延宝2年(1674年)、『発微算法』を著し、筆算による代数の計算法(点竄術、てんざんじゅつ)を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎をつくった。行列式や終結式の概念をヨーロッパより早い時期に提案したことはよく知られる。
また、関は正131072角形を使い、円周率を小数第11位まで算出した最初の人物である。

愛知県の知多半島のほぼ中央部に位置する武豊町(たけとよちょう)へドライブにでかけた。
知多半島は長靴のようなかっこうをした半島で、武豊町、半田市は味噌、醤油、酒、酢など醸造品で栄えた地域だ。
気候温暖で良質の水に恵まれ明治19年には武豊線が開通し、明治32年には外国貿易港として製品や原材料の輸送が容易になり、味噌、たまり醤油の一大生産地となったところである。
武豊駅でガイドマップをもらい散策。

黒板塀の味噌蔵が連なる蔵の町である。
この蔵は創業文政年間とある。
このあたりを歩くと味噌と醤油のいい香りが漂ってくる。

古びた黒板塀の蔵を直し直し現在も営々と味噌、醤油を作り続けている。

赤いレンガ造りの煙突が半分で壊されていた。地震を恐れて壊したのかもしれない。
立派なレンガの煙突だった。
この地方の味噌は豆味噌だ。
赤味噌とも言われる。
また味噌からにじみ出た汁が「たまり」とよばれるもの。
一口なめてみるととびあがるほどおいしい。
このこくのあるおいしい「たまり醤油」を刺身につけて食べるとたいそう美味!!
醤油の中の「王様」である。
人間の背たけの倍ほどの桶の呑み口からじかに味見させてくれる蔵元もある。
この味噌と醤油の蔵の町をそぞろ歩いて5分ほどのところに神社を見つけた。
堀田稲荷大明神。
そこにめったなことでは見られない「算額」を発見!!


「算額」とはなにか?
江戸時代に育った日本独自の数学を「和算」と云う。
そのレベルは世界的に興味をもたれる高度のものである。
数学愛好者が解いた数学の問題の数式や解法を寺社に奉納した絵馬を「算額」という。
奉納したものは自分の解いた数式を披露するばかりでなく、次に問題を出すのである。
それを見たものがまた解き明かして「算額」として奉納。
こうして日本の独自の高等な数学の基礎ができあたのである。
この算額は日本に900枚ほどあるらしいが、残っているものは少ない。
この神社に奉納された「算額」は知多半島でこの神社だけの貴重なもの。
めったに見ることが出来ないものだった。
扉越しに覗いているとここの宮司さんがでていらっしゃって鍵をあけて特別に見せてくださった。

と言っても貴重なものなのでここにあるものはレプリカ。
本物は博物館にしまわれているとか。
世界的に貴重なもので、最近ではアメリカの学者が調べてこの神社まで見に来たという。
この写真にあるのは、数学の教授二人が何日もかけて現代数学、πやルートを使ってこの算額にあった問題と解法を解いて見せた数式である。
つまり現代数学ののπや√を使わずに解いた江戸時代の数学の能力はたいしたものであることが証明されたわけである。

それがこの解法である「算額」である。
知多半島にある村「布土」(ふっと)村の稲生(いのう)という人物が解いて奉納した絵馬「算額」である。
今年ノーベル賞を受賞した日本人は4人もいた。化学、物理部門である。
それも全員名古屋大学出身。
名古屋大学の自由な研究の雰囲気は益川さんや小林さんからもうかがい知れるのである。
日本人の頭脳は遡れば江戸時代にその萌芽があったということになる。
「算額」という数学の解法を神社に奉納しそれを見たものたちがそれぞれ学ぶという開かれた学問方法に敬意と驚きをいだくのであった。
偶然この神社を発見したのであるが、和算の神様である関 孝和(せき たかかず)の名まえを私が宮司さんにだすと「お!関さんの名前が出ましたか」といって相好を崩してこれは冷やかしでないとみたのか急に扉の鍵を開けるから「算額」を見るようにと言って下った。
そのとき、関さんの名まえを私が言うと夫が「あ、クリーニング屋の関さん?」と言い出した。慌てた私が「違う、違う」というと「米屋の関君だった?」と言い出した。
とんだところで変なことを言い出されて貴重な「算額」をみそこなうところだった。
※関孝和とは、江戸時代の和算家(数学者)である。
関は和算が中国の模倣を超えて独自の発展を始めるにあたって、重要な役割を果たした。 特に宋金元時代に大きく発展した天元術を深く研究し、根本的な改良を加えた。延宝2年(1674年)、『発微算法』を著し、筆算による代数の計算法(点竄術、てんざんじゅつ)を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎をつくった。行列式や終結式の概念をヨーロッパより早い時期に提案したことはよく知られる。
また、関は正131072角形を使い、円周率を小数第11位まで算出した最初の人物である。











和算に関する本がたくさん出ています。最近の本では 冲方 丁著『天地明察』。昔の本だと
『和算の歴史―その本質と発展 (ちくま学芸文庫)』があります。
個人的に言えば、わたしの曽祖父が数学者だったので和算の本を出しましたが、なにせ古い本なので絶版となっていますが、名著でした。