言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

決断と選択

2016年10月08日 | 日記その1
 
人生山あり谷あり。
 そんな人生の中で、決断や選択を迫られることがある。
 即座に決断出来ることなら良いけれど、一つを決めると一つが困る状態になるとしたら、はたしてどうすればよいか迷う。
 例えば、子供たちが独立して夫婦二人きりの老人家庭で、一方が認知症になった場合、老いた一方が伴侶の介護をすることになる。
 つまり老老介護である。70代80代の夫婦がどちらか一方の介護をする場合、体力的にも限界が来る。
 時には過労で共倒れとなる。
 独立した子供たちが面倒を見ることになるが、それぞれ家庭があり、遠距離に住まいしている場合は、どうだろう。
 遠距離にいる者が現職を辞め、郷里に帰り老親の世話をすることになる。
 一家の大黒柱として働いていた主がいきなり職をやめ郷里で親の介護をするということは経済的にその日から困ることになる。
 そこで子ども家族は決断を迫られる。郷里に帰れば職を失い家族の生活がこまる。帰らなければ、老いた親が共倒れになる。
 介護されるのを待っている親の状態は刻々と悪くなる。さてどうするか。
 
 友人の場合は、子供たちも独立してこれから自分の自由な時間が取れると喜んでいたら、親が認知症になり、介護が自分ひとりにふりかかってきた。逃げようがない現実が彼女を苦しめる。

 私の場合は、舅が認知症になり嫁の私が仕事をしながら介護。
 さらに実家の親が病気で倒れ、名古屋から東京まで新幹線の回数券を買って介護しに行くという過酷な日々が続いた。
 私の場合は夫が三男。長男次男妹は他県にいるため、三男の嫁の私がひとりで獅子奮迅の介護生活に明け暮れることになった。

 どの場合も言えることだけれど、兄弟がいる場合はなるべく助け合うことが必須となる。
 遠距離で物理的に無理な場合は、資金面で協力するなどが必要となる。

 そして公の機関の介護制度を利用することだ。
 また老人ホームなどのお世話になることも視野に入れることだろう。

 長い介護生活で綺麗事や、他人の余計な干渉は邪魔なだけである。手を貸さない親戚が口だけ出すという例は最悪。
 大切な親である。人間として悔いのないよう、家族みんなで考えて、一人だけで負担を背負わないで、施設の利用も十分活用して、前向きな介護をすることが介護者にも、介護される人にも大切なことであると思う。

 自分の親が日々刻々と変容していく様を見ることはつらいことだ。目を背けて逃げたくなることもある。
 そんなときは、介護仲間をつくり、息を抜くとも覚えて欲しい。
 介護者への心のケアも必要であることを忘れてはいけない。
今、介護をしている方々、迷わず、いろいろな人や施設の助けを借りましょう!
 辛くて心が苦しい時、愚痴を言える人を見つけましょう。仲間作りをしましょう。

 
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