言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

始末の良い暮らし

2016年10月29日 | 日記その1

 母が健在だった頃のわが家の週末は大変だった。
 午前中は家族全員で毎週大掃除。
 掃き掃除、拭き掃除、ワックスがけ、からぶき、家具磨き、柱磨き、庭掃除、トイレの掃除、門の外周の掃除と水撒き、ガラス磨き。
 父はドアのとってや銀製品などの金属磨き。
 これらをやらないと朝食がはじまらない。

 私は元来お調子者。
 長い廊下のからぶきは力がいるし大変な労力だ。
 そこで足にかわいた雑巾をひもで縛ってスケートの要領で廊下をすべってからぶき掃除とする。
 柱磨きは上の方は背が届かないこともあるし、面倒なので誰も見ていないことを良い事に省略。

 すると日数が経つに連れて磨き残しの柱の上部と下部では段差がくっきりとついてうかびあがってくる。
 こってり母に叱られて午前中は一人柱磨きをさせられる。

 お腹がぺこぺこで泣きべそかきながら柱に蝉のようにしがみついて磨いたものだ。

 母はきっと継母にちがいないと勝手にうらんで泣いたりした。
 それでも家族総出の掃除なので掃除をし終わって食べる朝食は気持ちの良いものではあった。

 この年になって週末は家中ぴかぴかに磨かないと気が済まないのは三つ子の魂百までの例えの通り。
 怠け者の子供達を追い立てて、夫まで巻き込んで毎週大掃除させる母の操縦術はたいしたものだ。

 腕によりをかけてつくるおいしい手料理はさながら飴と鞭の飴だったのだろう。
 父はどんなに遅く帰宅しても母の料理を食べたがった。
 そして食い意地のはった私は学校から帰るやいなや「お母さん、なにかおいしいものある?」と真っ先に冷蔵庫を覗いた。

 きっとどこの家でも同じ様な光景なのだろう。

 ちなみに雑巾掛けなどの水仕事の水は全て風呂の残り湯でする。
 さいごに残った水は庭の植木にかけておしまいである。
 全く始末の良いことである。
 米のとぎ汁は庭コケにかけると美しいコケが育つ。
 卵の殻は万年青(おもと)の根本において肥料にする。

 無駄は出さない。

 先日姉の家に行ったら姉も同じ様な生活をしていたのでおかしくなった。
 母の教えはいつのまにか娘3人に伝えられていたのだ。

 こうした始末の良い慎ましい生活はこの先何代まで伝えられていくのだろうか?
 きっと生活様式が変わって、馬鹿馬鹿しい、面倒くさいといつのまにか消えていくのだろう。



どちら様もよい週末をお過ごしくださいね。
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