言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

おみやげ三つ

2016年11月20日 | 新・随想


 「ただいま~ぁ」
 玄関に父の声がしたとたん、姉二人と私はわれ先に玄関に走る。
 「おかえりなさ~い」
三姉妹の声がそろってお出迎え。
 「おかえりなさいませ」
 母の優しい声が父を迎える。
「わあ~、おみやげ、おみやげ!」
 姉二人は父の手からお土産の寿司の折詰を奪うようにとって居間へ向かう。
 母は父の帽子とコートを受け取り、脱いだ靴をそろえる。
 末っ子の私は、中の物が今にも飛び出しそうな父のカバンを重そうに引きずって居間に運ぶ。

 子供たちがお土産を持って居間に走っていく姿を眺めながら父は、
 「な~んだ、僕よりもお土産が目的か」
 と、玄関に取り残されて苦笑いする。

 昭和30年ごろは宴会接待が華やかなりしころだった。
 父は毎日が宴会だった。
 お酒に強くない父にとって宴会は苦行である。
 宴席からやっと解放され家の玄関を開けた時は、まだ父の体には鎧(よろい)や兜がはりついているようだった。
 それがひとたび子供たちに囲まれて土産をわたし、妻の優しいねぎらいの言葉に迎えられたとたん、ふっと心がほどけるのだろうか、よろよろと二、三歩よろけるように後ずさりして玄関の戸に背中をしたたかぶつける。
 「おっととと、酔いがまわった」
 と言うと、母が、
 「まあ、お父様、あまりお飲みになると体に毒ですわよ」
 と言って、父の手をひっぱるようにして玄関に引き入れるのだった。

 飲むのも仕事のうちとはあの時代のはやり言葉だったろうか。
 ところで、毎日の土産は、接待側によっては菓子折りだったり、お寿司だったりバラエティーにとんでいた。
 その日のお土産は寿司折りだった。居間では、姉が待ちかねたように小皿とお箸を用意して、おあずけを命ぜられた犬のようにお座りをしている。食の細かった私はカバンの中身にしか興味がない。

 カバンの中身は新刊本や新聞各紙、雑誌だ。当時活字媒体すべてに目を通す仕事をしていた父は刊行されたばかりの本や雑誌、新聞をカバンに詰めて帰宅するのが常だった。その中には私がおめあての少女雑誌も入っていた。まだ誰にも読まれていない本のページを繰るときの胸の高鳴りは、寿司折りを目の前にしてつばを飲み込んでいる姉たちのそれとは違っていたかもしれない。

 忙しい父は家族とゆっくり団らんする暇はなく、夜更けて帰宅するほんのひと時だけだった。

 私がまだ五歳の時のことだった。病弱な母が寝込むことになって母の母、つまり祖母が手伝いのため長逗留することになった。
 祖母は孫たちの面倒や病人の世話に明け暮れた。三か月ほどして母は元気になり、またもとの生活にもどれるようになった。

 祖母は家事全般を任されていたときは、責任感ではつらつと立ち働いたが、母が元気になると、とたんにすることがなくなった。
 忙しい娘婿が家族と団らんするのは帰宅したほんの少しの時間だけだという現実をまのあたりにして、つかの間のだんらんに年寄りの自分がいるのを遠慮するようになった。
 その結果、夜は早めに寝てしまう祖母。
 父が帰宅しても奥の部屋で寝ていた。実際に寝てしまっていることもあったが、寝たふりをしていることもあった。

 ある日、父は祖母が好きなバッテラ寿司をお土産に持って帰ってきた。幼い私は祖母にも食べてもらいたくて祖母を起こしにいった。
 祖母は起きようとしなかった。とうとう私は祖母のふとんの横で泣き出した。
 祖母はしかたがなく起きて私の手にひかれるように居間にやってきた。

 テーブルの上のお寿司は家族六人で食べるには少ないように見えたが、やはり食卓は家族勢揃いして食べるのが一番おいしい。
 祖母は幼い孫が自分を思いやってくれる心が嬉しくて涙ぐみ、母は、自分の母親が婿である夫に気がねしていることが切なくて胸を詰まらせた。
 かんじんの父はといえば、すっかり酩酊した様子で妻や義母の心模様など知る由もないのだった。

 こうして五人家族と過ごした祖母との暮らしも終わりを告げる日が来た。
 家族みんながひきとめるのもきかず、やがて祖母は祖父の遺影が見守るだけの、がらんとした自分の家に帰って行った。
 おばあちゃんっ子だった私はお別れが名残惜しくて、角までという約束で見送って行った。
 「もうここで帰りなさいね」
 という祖母の言葉に、私は  
 「♪おみやげみっつ、たこみっつ」
 と言って、祖母の背中をそっと叩いた。
 当時、東京の子供たちは別れ際にこう歌いながら、相手の背中をたたいて逃げて帰るのが常だった。
 叩かれたほうはおみやげのお返しをしようと追いかけたり、次の日までとっておいて、またたたき返したりしたものだ。

お土産というと思い出す。あの夜更けのだんらんと、明るく照らされた居間。
 ふすまの向こうの暗闇に敷かれた祖母のふとん。
 「おみげみっつ」と歌いながら叩いた祖母のうすべったい背中の感触が今でもよみがえってくる。

※おみやげ三つ(おもやげみっつ)の歌は昭和6年に発表の作品。
  作詞 西条八十  作曲 中山晋平
   曲(メロディー)は1番目だけ。


1、おみやげ 三つに たこ三つ おみやげ 三つ だれにやろ
  さようなら いう子に わけてやろ せなかを たたいて ぽんぽんぽん

2、おみやげ 三つに たこ三つ たこは たこでも いたいたこ
  せなかに しょわせる いたいたこ そらそら あげるよ ぽんぽんぽん

3、おみやげ 三つに たこ三つ もらって にっこり さようなら
  夕焼け 小焼けの よつ辻で あの子も この子も ぽんぽんぽん

 
 
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4 コメント

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忘れてた …… (鳶助)
2016-11-20 09:59:52
なぜか知らないけど、節まで知ってる!
『 おみやげみっつ~♪ たこみっつ~♪ 』って、子供の頃 口ずさんでた様な ……
でも、そういうのとは知らなかった。
懐かしい~♪ (みいやん)
2016-11-20 10:29:02
ろこさん~おはようございます。

ろこさんの思い出のお話を読んでいますとまるで映画のワンシーンの様に私の頭の中では映像になって出て来ます。
それも~カラーですよっ♪
楽しい~♪♪

お父様の様子。お上品なお母様の様子~そしてろこさん姉妹の楽しい様子~♪
お土産も美味しそう~!

やっぱりろこさんはちいさい時から違っていたのですね。お寿司より読み物~
いまのろこさんに繋がっていたんですね。

おばぁ様のこと...その立場になったらそうなんだと思います。
気を遣われるのは当然なのかもしれないですね。

気を遣う~という事がうまくいく方法だと私も同居して一番感じた事です。

お互いの気遣い....
学んだことでもあります。

おみやげみっつ~今家族三人でyoutubeで聴きました~♪
パパさんは唄っていましたよ(笑)
私はそんなに覚えはいなかったのですがおみやげ三つという言葉は聞いた記憶はありますよ。
パパさんは六個上なので覚えているのかしら?
作詞作曲家さんは有名ですものね。こちらはしっかり分かっております。(笑)

ろこさん~今日も楽しい時間ありがとうございます。

現実に戻ってホットカーペットを買いに出かけます。(笑)
鳶助サンヘ(無意識に覚えている) (ろこ)
2016-11-20 11:10:09
鳶助さんへ
 おはようございます。
 そうですよね。幼児のころのわらべうたって、無意識におぼえているもんですよね。
 ひょいと思い出すのがいいもんです(笑)
みいやんさんへ(わらべうた) (ろこ)
2016-11-20 11:20:44
みいやんさんへ
 おはようございます。
 「私」も「みいやんさん」も、「鳶助さん」も若いですが、なぜかこの歌覚えていますね(笑)。
 そうそう。同居する家族というのは「気遣い」がよくできていると、いないとでは、天国と地獄の差です。
 祖母は昔気質の人なので、婿である私の父に気を使っていました。
 母も終生父に敬語で接していた人だったので、我が家は白黒映画のような一家でした。
 でも今思うと、日本の善き家族の風景だったようにも思えます。
 歴史に名を連ねる華族の出自の母に下町の寅さんのような父。ちょうちんにツリガネのような夫婦でしたが、母は父を立てて、全生涯を父と家族に尽くしきって終えました。
 白黒映画もいいもんです。

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