現在先進国の中で『死刑』があるのは、アメリカと日本だけである。
若しあなたの大切な人が、理不尽な理由で無残に殺されてしまったとしたら。
そしてその犯人が捕まったら。
大抵の人は、『死刑』を望むだろう。
然しもし私がその立場に置かれたのなら、私は決して死刑を望まない。
寧ろ、仮釈でも何でも良い、取り敢えずまずはシャバに出てきて欲しい。
そして、私自身で、その人に"何故"その人の命を奪うに至ったのか質問する。
そして、そして――きっと私は、相手がなんと答えたにせよ、その人を考えうる限りで一番残酷な殺し方で、あの世に送り込むに違いない。
”国”に代理で殺して欲しいとは思わないと思う。
きっと、現在でも此処で例に挙げたような人は沢山いるだろう。
そしてその人たちに「死刑と、自分の手で殺す、どちらがいい?」と尋ねたら、恐らくほとんどの人が私と同じ様な答えを出すと思う。
扨、『死刑』それは一体何だろう?
――重い罪を犯した人に与える、最も重い罰。
その位なら、小学生でも答えられる。
然し、"法律"が、"国"が、人の命を思いのままにすることができるというのは、余りにもおかしいのではないだろうか?
余りにも烏滸がましいのではないだろうか。
国は、そこまでの権利をもっていいのだろうか。
私たちは、国に、法律に、そこまでの権力を与えていいのだろうか?
答えは否だ。
私はそう信じている。
人の命を弄ぶなど、人は神に近づいた気にでもなっているのだろうか?
余りにも愚かなことではないだろうか。
人の命は、失われてからでは決して取り戻せない。
若しも死んだあとに冤罪などが分かりでもしたら?
これまでに、無期懲役判決が下った人で後に無罪が判明した人々がいたではないか。
扨、ひとつ考えてみよう。
最も重い罰。
それは果たして本当に『死刑』なのだろうか?
これは人にもよるかもしれない。
だが、死刑という結末は、抱えきれないほど大きな罪を投げ出して楽になることではないだろうか?
死ねば、人は楽になる。
死ねば、人は無になる。
生前どんなに辛い目にあっていたとしても、どんなに苦しい死にかたをしたとしても、死ねば全てなくなる。
然し、例えば無期懲役。
刑務所という環境の中で生き続け、自分の犯した罪と重い十字架を背負って、そのまま何十年も。
どちらが果たして重い罪なのだろうか?
『死刑』は、今後どうされるべきなのだろうか?





