すっかり間延びしてしまいましたが、最終回。下りの記録を一気に書きます。
万が一にも続きを楽しみに読まれていた方がいたら、申し訳ありませんでした。
前回から、時間が開いてしまっているので、7回分を続けてご覧になるには、右側のメニューの「カテゴリー」から「トレッキング、トレラン」を選んでいただくと、連続してご覧いただきやすいと思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
須走口下山道入口までさらにお鉢を巡る
お鉢巡りを始めた以上、当たり前だが、グルッと一周して、ちゃんと登ってきたルートの下山道口まで戻らなくてはならない。
登山図に寄れば、須走口登山道口から剣が峰までが45分。剣が峰から須走口下山道(須走口ルートの場合、登山道と下山道はところどころクロスするが基本的には別になっている)までが40分となっている。
これまた当たり前だが、剣が峰がもちろん一番--そう日本一--高いので、あとはどこまでも下りとなる。お鉢に沿って下りてゆく。
まもなく少し平らな広々とした場所が開ける。すぐ目の前には火口がのぞきこめる。火口の中を覗き込んでいるわけでもないが、その淵に沿って、お弁当を広げたりくつろいでいる登山者を見かけた。
ここまで来ると目の前にいくつかの建物が見える。右手には大きなトイレ。山頂郵便局もここにあったようだが、それと気づかずに素通りした。
実はこの郵便局で売っているという富士山入りのハンコを買ってきてほしいと言われていたのだが、「郵便局で売っている」という部分をすっかり失念していて、このあと土産物屋にもよるのだが、目星のハンコについて店員の若者に聞いてみても「最近よく聞かれるんだけど、知らないんだよねえ。こっちが教えてほしいくらい」などと言う始末。まったく知らない様子なのだ。
※このハンコについては、偶然TV番組で見た情報なので、お探しの方はよく確認してから登ってください。
ほかに浅間大社奥宮、富士館がある。富士宮口ルート、御殿場口ルートの出入口はこのすぐ先にある。
資材なのか、取り壊した後片付けなのか、この日本一高い場所にも建設機械が入って黙々と作業している様は、都会の風景と変わりなくて興ざめな光景だった。
この日は、偶然にも、取りざたされている「世界遺産登録」の調査のためにユネスコから派遣された調査員がやってきているらしかった。今まさに作業中ということは、そのための準備と言うには遅すぎるので、あらかじめ計画されていたものだと思うが、それにしても、もしこの光景を目にしたら、やはりマイナスであるように思うけれど。
富士館の宿泊者用マットだろうか、好天に恵まれた空の下、ちょっとした小山の上にマットが一面に敷き詰められて干されていた。
さらに10分ほど歩くと、またしても取り壊し作業が行われていた。説明書きを読むと気象観測所の閉鎖に伴い不要となった山小屋を取り壊しているようなことが書いてある。
剣が峰にある気象観測所は、現在、基本的には無人施設で、ずいぶん前に観測装置や技術の進歩で測候所としての実質的な役割は終えている。
ただ、さまざまなエピソードを持つこの歴史的な施設を活用しようというNPOが夏季のみ活動しているそうなので、そのあたりの事情と関連して、今頃取り壊しとなったのかもしれない。
時刻はもう9:00。山頂に到着してからすでに1時間半になる。
下から吹き上げるように巨大な雲が立ち上っていた。
そろそろ下山
さらに10分ほど歩くと、チベットに突然現れる集落のごとき建物群が見えてきた。
土産物屋が集合する「山頂商店街」といった風情だ。写真右下が、須走口下山道入口だ。山頂への荷物を運ぶブルドーザーの通路を兼ねている。
われわれはこの「商店街」の先にある登山道の頂上にたどり着き、そのまま時計と逆回りに回ってきたので、この「商店街」を訪れるのは初めてということになる。
これといってほしいものもなく、かといって手ぶらで帰るわけにもいかず。登頂後早々に神社でお守りを購入されたKさんには少し待ってもらって、物色した結果、元々無料の日付刻印に加え名前も刻印してくれるというのでキーホルダーを買う。キーホルダーなんて買うのは一体いつ以来だろう?
9:30。下山開始。約2時間山頂に滞在したことになる。
山頂近くの下山路はこんな感じで、足元は砂ではあるが、踏み固められて比較的歩きやすい。ただし、マスクなり、口と鼻から砂が浸入するのを避けるための手立てはあったほうがいい。
土のところもある。
下山路横にあった唯一の雪の塊。手袋をはずして触ってみた。実際に富士山の雪に触れたのはここだけ。当たり前だが冷たかった。それだけ。
山頂へと荷物を運ぶブルドーザーとすれ違う。
かなり速いスピードで歩いてきて40~50分。8合目を過ぎたあたりだと思うが、犬がうろうろと歩いているのを発見。どこかへ向かって--どうやら目的地があるようだ--いるようだ。
首輪もしているし、健康状態もよさそうだ。
誰かのあとを追うというそぶりでもなく、ときおり、道をそれたりもしていたが、おおむね登山路を我々登山者に交じって下って行った。
7合目で、前日宿泊した大陽館でトイレを借りて一服したのだが、犬は大陽館のベンチの下で日差しを避けて横になっていた。大陽館では元々数頭の犬を放し飼いしていたと聞く(今は放し飼いが禁止となった)。小屋のすぐ上には犬小屋もある。この小屋の飼い犬かもしれない。
ボルト気分。お目当ての砂走り
今回の登山で、ご来光と並んで楽しみにしていたのが砂走りのスラロームだ。
ここまでの下山路も砂の道だったし、傾斜を利用して、けっこうなスピードで、時には砂塵を舞い上げながら走り下りてきた。でも、これは噂の砂走りではなかろうと思っていた。道は平らで踏み固められ、ワイルド感にかけていた。それはどうみても人工的につくられた道で面白みというものがない。
そしてまさしく7合目から5合目まで1時間近くに渡って続く急坂こそが砂走りと呼ばれるワイルドで豪快なランを楽しめる場所なのだった。
ほぼ直滑降に近い道。山肌を滑り落ちるようにかけ下りる。砂礫交じりの部分もあり、脚を何度も取られ何度か転びもした。
転ぶ場所やタイミングを誤ると大けがをしかねないので十分な注意が必要だ。
最初はこわごわと下りていたが、ブレーキングのコツを覚えると、恐怖がやや減退して、走り下りるのが快感になってくる。調子に乗ってグングンとスピードを上げる。
一歩が2、3mとものの本には書いてあったが、まさにそんな感じ。ウサイン・ボルトのストライドが2m77cmだそうなので、まさに「ボルト気分」。
自分の姿を見ることができなくて残念だったが。後ろを下りてくるKさんの姿を見て想像をめぐらした。
前方を行く登山者たち。6合目あたりだろうか。やや、緩斜面となり、砂よりも石ころなどが増えてくる。
11時近く低木帯が目の前に。大陽館に寄ったのが10:20くらい。休憩して砂走りに足を踏み入れたのが10:40頃なので、砂走りの道を滑空するように滑り降りていた時間はわずか20分前後ということになる。
ここをぬけるとまもなく「砂払い五合」の標識が目に入った。
砂交じりの道を通りぬけた先に「砂払い」の地名。名付けた人のユーモアのセンスに思わず「くすっ」と笑った。
無事下山完了
この先、樹林帯を抜けて登山口に戻るのだが、ここが意外と長い時間を要する。疲れもたまってくるし、足元も危ういので木の根や岩に躓いて、意外と転びそうになることも少なくない。もうすぐという安ど感もあり油断しやすいので注意が必要かもしれない。
行きにも通った神社の前を曲がると、登山口の土産物屋に続く整備された道だ。「おつかれさま」と沿道から声がかかる。
11:40ころ。無事に下山完了。思えば、ちょうど丸一日前にここを後にした時刻だ。まさにこれから登ろうとする登山者たちとすれ違った。昨日と同じように、あたりには霧が立ち込めていた。
すっかり失念していたが、ここから駐車場までは坂を登らねばならないのだった。最後の試練ともいうべきこの坂道を黙々と登る。「着いた!」と思った身にはけっこうきつい。
2012年夏。こうして念願の富士登山を果たすことができたことは幸いだった。この山行を計画してくれたKさんに感謝したい。
これからも、そう何度も登りたいという欲は余り持っていないが、いつの日かチャンスをつくって、今度は家内を連れて、もう一度くらいは登ってみてもいいかなと思う。
富士登山は、しっかりした装備で夏場を選び、天候さえよければそんなに難しくはない。体力に合わせて登山スピードを調整しさえすれば、誰にでも登山可能だと思う。
噴火の懸念も取りざたされるなか、「登りおおせた」という事実は自分にとって意味があった。
またいつか、山頂からの景色を目にできる機会のあらんことを願いつつ、筆を置く--いやキーを放すことにする。
〈おしまい〉
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万が一にも続きを楽しみに読まれていた方がいたら、申し訳ありませんでした。
前回から、時間が開いてしまっているので、7回分を続けてご覧になるには、右側のメニューの「カテゴリー」から「トレッキング、トレラン」を選んでいただくと、連続してご覧いただきやすいと思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
須走口下山道入口までさらにお鉢を巡る
お鉢巡りを始めた以上、当たり前だが、グルッと一周して、ちゃんと登ってきたルートの下山道口まで戻らなくてはならない。
登山図に寄れば、須走口登山道口から剣が峰までが45分。剣が峰から須走口下山道(須走口ルートの場合、登山道と下山道はところどころクロスするが基本的には別になっている)までが40分となっている。
これまた当たり前だが、剣が峰がもちろん一番--そう日本一--高いので、あとはどこまでも下りとなる。お鉢に沿って下りてゆく。
まもなく少し平らな広々とした場所が開ける。すぐ目の前には火口がのぞきこめる。火口の中を覗き込んでいるわけでもないが、その淵に沿って、お弁当を広げたりくつろいでいる登山者を見かけた。
ここまで来ると目の前にいくつかの建物が見える。右手には大きなトイレ。山頂郵便局もここにあったようだが、それと気づかずに素通りした。
実はこの郵便局で売っているという富士山入りのハンコを買ってきてほしいと言われていたのだが、「郵便局で売っている」という部分をすっかり失念していて、このあと土産物屋にもよるのだが、目星のハンコについて店員の若者に聞いてみても「最近よく聞かれるんだけど、知らないんだよねえ。こっちが教えてほしいくらい」などと言う始末。まったく知らない様子なのだ。
※このハンコについては、偶然TV番組で見た情報なので、お探しの方はよく確認してから登ってください。
ほかに浅間大社奥宮、富士館がある。富士宮口ルート、御殿場口ルートの出入口はこのすぐ先にある。
資材なのか、取り壊した後片付けなのか、この日本一高い場所にも建設機械が入って黙々と作業している様は、都会の風景と変わりなくて興ざめな光景だった。
この日は、偶然にも、取りざたされている「世界遺産登録」の調査のためにユネスコから派遣された調査員がやってきているらしかった。今まさに作業中ということは、そのための準備と言うには遅すぎるので、あらかじめ計画されていたものだと思うが、それにしても、もしこの光景を目にしたら、やはりマイナスであるように思うけれど。
富士館の宿泊者用マットだろうか、好天に恵まれた空の下、ちょっとした小山の上にマットが一面に敷き詰められて干されていた。
さらに10分ほど歩くと、またしても取り壊し作業が行われていた。説明書きを読むと気象観測所の閉鎖に伴い不要となった山小屋を取り壊しているようなことが書いてある。
剣が峰にある気象観測所は、現在、基本的には無人施設で、ずいぶん前に観測装置や技術の進歩で測候所としての実質的な役割は終えている。
ただ、さまざまなエピソードを持つこの歴史的な施設を活用しようというNPOが夏季のみ活動しているそうなので、そのあたりの事情と関連して、今頃取り壊しとなったのかもしれない。
時刻はもう9:00。山頂に到着してからすでに1時間半になる。
下から吹き上げるように巨大な雲が立ち上っていた。
そろそろ下山
さらに10分ほど歩くと、チベットに突然現れる集落のごとき建物群が見えてきた。
土産物屋が集合する「山頂商店街」といった風情だ。写真右下が、須走口下山道入口だ。山頂への荷物を運ぶブルドーザーの通路を兼ねている。
われわれはこの「商店街」の先にある登山道の頂上にたどり着き、そのまま時計と逆回りに回ってきたので、この「商店街」を訪れるのは初めてということになる。
これといってほしいものもなく、かといって手ぶらで帰るわけにもいかず。登頂後早々に神社でお守りを購入されたKさんには少し待ってもらって、物色した結果、元々無料の日付刻印に加え名前も刻印してくれるというのでキーホルダーを買う。キーホルダーなんて買うのは一体いつ以来だろう?
9:30。下山開始。約2時間山頂に滞在したことになる。
山頂近くの下山路はこんな感じで、足元は砂ではあるが、踏み固められて比較的歩きやすい。ただし、マスクなり、口と鼻から砂が浸入するのを避けるための手立てはあったほうがいい。
土のところもある。
下山路横にあった唯一の雪の塊。手袋をはずして触ってみた。実際に富士山の雪に触れたのはここだけ。当たり前だが冷たかった。それだけ。
山頂へと荷物を運ぶブルドーザーとすれ違う。
かなり速いスピードで歩いてきて40~50分。8合目を過ぎたあたりだと思うが、犬がうろうろと歩いているのを発見。どこかへ向かって--どうやら目的地があるようだ--いるようだ。
首輪もしているし、健康状態もよさそうだ。
誰かのあとを追うというそぶりでもなく、ときおり、道をそれたりもしていたが、おおむね登山路を我々登山者に交じって下って行った。
7合目で、前日宿泊した大陽館でトイレを借りて一服したのだが、犬は大陽館のベンチの下で日差しを避けて横になっていた。大陽館では元々数頭の犬を放し飼いしていたと聞く(今は放し飼いが禁止となった)。小屋のすぐ上には犬小屋もある。この小屋の飼い犬かもしれない。
ボルト気分。お目当ての砂走り
今回の登山で、ご来光と並んで楽しみにしていたのが砂走りのスラロームだ。
ここまでの下山路も砂の道だったし、傾斜を利用して、けっこうなスピードで、時には砂塵を舞い上げながら走り下りてきた。でも、これは噂の砂走りではなかろうと思っていた。道は平らで踏み固められ、ワイルド感にかけていた。それはどうみても人工的につくられた道で面白みというものがない。
そしてまさしく7合目から5合目まで1時間近くに渡って続く急坂こそが砂走りと呼ばれるワイルドで豪快なランを楽しめる場所なのだった。
ほぼ直滑降に近い道。山肌を滑り落ちるようにかけ下りる。砂礫交じりの部分もあり、脚を何度も取られ何度か転びもした。
転ぶ場所やタイミングを誤ると大けがをしかねないので十分な注意が必要だ。
最初はこわごわと下りていたが、ブレーキングのコツを覚えると、恐怖がやや減退して、走り下りるのが快感になってくる。調子に乗ってグングンとスピードを上げる。
一歩が2、3mとものの本には書いてあったが、まさにそんな感じ。ウサイン・ボルトのストライドが2m77cmだそうなので、まさに「ボルト気分」。
自分の姿を見ることができなくて残念だったが。後ろを下りてくるKさんの姿を見て想像をめぐらした。
前方を行く登山者たち。6合目あたりだろうか。やや、緩斜面となり、砂よりも石ころなどが増えてくる。
11時近く低木帯が目の前に。大陽館に寄ったのが10:20くらい。休憩して砂走りに足を踏み入れたのが10:40頃なので、砂走りの道を滑空するように滑り降りていた時間はわずか20分前後ということになる。
ここをぬけるとまもなく「砂払い五合」の標識が目に入った。
砂交じりの道を通りぬけた先に「砂払い」の地名。名付けた人のユーモアのセンスに思わず「くすっ」と笑った。
無事下山完了
この先、樹林帯を抜けて登山口に戻るのだが、ここが意外と長い時間を要する。疲れもたまってくるし、足元も危ういので木の根や岩に躓いて、意外と転びそうになることも少なくない。もうすぐという安ど感もあり油断しやすいので注意が必要かもしれない。
行きにも通った神社の前を曲がると、登山口の土産物屋に続く整備された道だ。「おつかれさま」と沿道から声がかかる。
11:40ころ。無事に下山完了。思えば、ちょうど丸一日前にここを後にした時刻だ。まさにこれから登ろうとする登山者たちとすれ違った。昨日と同じように、あたりには霧が立ち込めていた。
すっかり失念していたが、ここから駐車場までは坂を登らねばならないのだった。最後の試練ともいうべきこの坂道を黙々と登る。「着いた!」と思った身にはけっこうきつい。
2012年夏。こうして念願の富士登山を果たすことができたことは幸いだった。この山行を計画してくれたKさんに感謝したい。
これからも、そう何度も登りたいという欲は余り持っていないが、いつの日かチャンスをつくって、今度は家内を連れて、もう一度くらいは登ってみてもいいかなと思う。
富士登山は、しっかりした装備で夏場を選び、天候さえよければそんなに難しくはない。体力に合わせて登山スピードを調整しさえすれば、誰にでも登山可能だと思う。
噴火の懸念も取りざたされるなか、「登りおおせた」という事実は自分にとって意味があった。
またいつか、山頂からの景色を目にできる機会のあらんことを願いつつ、筆を置く--いやキーを放すことにする。
〈おしまい〉
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