もういちどサブスリー!

走らない日々のブランクと年齢増加を乗り越え、もう一度サブスリーを達成するのが目標!心拍数トレーニングの練習日誌です

11月も終わり

2008-11-30 05:29:06 | 野球
気がつけば11月も終わり。
毎週土日は愚息の野球につきあうという日々が続いている。
しかし、そういう生活サイクルもあと2ヶ月くらいで終わりか、
と思うと少しさみしいやら、何か心残りを感じるやら。
毎週、毎週、朝から晩まで、たかが息子の野球のために、
貴重な休みの時間をよくぞこれだけも費やしてきたものだなと、
我ながら関心したり。
それどころか、最近はプレーしている本人よりも、
次の試合の勝利や息子の活躍を強く望んでしまっているようである。
「なぜ俺がこんなにもお前たちのチームが勝つためにいろいろと考えているのに、
お前という奴はゲームしたりテレビ見ている時間があったら素振りでもしていろ」と、
顔を合わすたびに口に出てきてしまう。
いや、これは私だけでなく、チームの親父たちのほとんどが同じような態度で息子たちに接しているらしい。
毎週、反省会と称して、駅前の居酒屋の小部屋で焼酎のウーロン茶割を飲みながら、そういう愚痴をこぼしあっているのである。
これを母たちは、夜のこの集まりこそが親父たちの一番の目的であり、
野球はそのための肴にすぎないと勘違いしているようである。
各家庭では、子どもたちはそのように母たちから聞かされているらしい。
だからこそ、親父たちの熱い思いが子どもたちになかなか伝わらない、
そう解釈することができる。

さて、愚息のことに話を戻すと、
運動音痴で逆上がりも跳び箱も縄跳びもブランコの立ち漕ぎも25メートル完泳も何もできなかった奴なのに、
6年生になってからは一応6年生らしくチームの足をそれほどひっぱることもなく、
2ヶ月に一度くらいは、スポーツ誌の一面トップを写真付きで飾るような活躍もしてくれるようになっている。
7月頃から6番バッターにほぼ定着してからは、時折目が覚めるような長打を打ってくれるようになった。
小学校の校庭での練習がほとんどであるが、打球が民家に飛び越えないように高く張られたネットの上段までぶち当てたり、校舎の屋上のプールに打ち込んだりと、狭い小学校の校庭では広さが足りないようなありさまである。
私自身は試合のときにはほとんどの日が審判をやらされているのであるが、
息子がバッターボックスに入って、いかにも打ちそうな雰囲気の時などは大変である。
テレビでラミレスや小笠原を見ていても、ピッチャーにタイミングがぴったりあっていて、
いかにも打ちそう、そういう予感がするときがあるように、
一番好きなインコース低めにきたら間違いなく外野の後方まではじき返すなと、
マスク越しに感じたときなどは、心臓がドキドキ・バクバクしてしまい、ストライク・ボールのコールもうわずってしまう。
この緊張感は誰にも見抜かれてはいけない。見方チームにも相手チームにも。
さりげなくゲームを淡々と進めていくないことが審判の責務であるのだが、
どうもその緊張感は私以上に本人の方が強く感じているらしいことが最近になってわかった。
ランナーがスコアリングポジションにいるとき、特にツーアウトからチャンスに打席が回ってきたときには、
緊張感からうまくバットが出なくなってしまうようである。意外と小心者なのである。
「俺にチャンスを回せ、俺が返してやる」と思えるようにならないと、
チームの勝利に貢献するような打者にはなれない。
それができなければお前のせいでチームは負けてしまうことになるのだと、
言い聞かせているのであるが・・・。

残す大会もあとふたつだけ。
春には区で準優勝したのに、それからは低迷を続けているわがチーム。
なんとかひとつくらいは優勝旗をつかんで欲しいものである。