浅田真央ちゃんに あいをこめて

真央ちゃんを日々 大好きだぁと つぶやきながら おもに 動画とか ほかもちらぁ
ときどき他の方も      

おくればせながらの真央ちゃん関連 と 15日に かきながら 草稿のまま だったという

2017-04-22 00:57:17 | 日記
おくればせながらの真央ちゃん関連 と 15日に かきながら 草稿のまま だったという
ほんとに ごめんなさいと いう 一言では すまない ことなのだけども

今日 メールを みていて 真央ちゃんの今回発売のなかに どなたのメッセージがと
再確認をしていたら いちまいの 写真を みつけてで あれっ この写真は 

と 画像フォルダーを さがしたら あってで でも 書いての形跡が ないで
さがしていたら 草稿の まま という あほな ことが あってで ごめんなさいです
「これからも笑顔を忘れず、前進を」
浅田真央が私たちに残した“レガシー”。

2017/04/12 15:00 number.web



悔いの残らない最高の演技を、もう何度も見せてくれた。

大方の関係者が予想していたのは、浅田は次の全日本選手権で悔いのない滑りを見せて、
引退をするのではないだろうか、ということだった。

 だが浅田は、もうその段階を超えていた。

彼女はすでに悔いの残らない最高の演技を、これまで何度も私たちに見せてくれていたのである。

「ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。
 その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。
 実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。
 復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。」
(本人のブログより)

「フリーは真央が1位で当然だった」

世界選手権もそうだが、ソチ五輪フリーで彼女が見せたラフマニノフのプログラムを、
誰が忘れることができるだろう。

 フリー翌日にソチで会った元アイスダンス五輪チャンピオンのグエンダル・ペイゼラは
「フリーは真央が1位で当然だった」と憤慨したが、ジャッジはあの演技に相応しいスコアを
与えてくれなかった。だがあれは女子フィギュアに永遠に輝く、1つの記念碑だと思う。

皆に思い出して欲しい演技というものを、彼女はすでに出し切っていた。
その上で、まだ滑りたい、もう少し挑戦してみたいという思いにかられて2015年に
競技に戻ってきて、選手として燃え尽きるまでその生き様を見せてくれたのである。

 復帰は周囲からのプレッシャーではないかという憶測も流れた中で、
本人がこうして復帰していなければ、後悔していたとはっきり表明しているのは、救いである。

浅田真央が私たちに残してくれたレガシー。

浅田真央といえば3アクセルがトレードマークだったものの、選手としての彼女は
ジャンパーというよりも、人の心に食い込んでくる存在感を持つスケーターだった。

どれほど厳しい表情をしても温かみがあり、滑らかなスケーティングと体全体を使った
仕草ひとつひとつがハッとするほど美しい。

十代の頃から多くの戦績を残してきたが、復帰をしてから見せた『蝶々夫人』の優雅さ、
昨年の『火祭りの踊り』の妖艶な美しさは、未だに心に強く刻まれている。

「このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。
 これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。
 この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。
皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。」(本人のブログより)

引退声明は、こう結ばれていた。
多くのファンが涙を流したに違いない。

たおやかで細身の体だったが、浅田真央はフィギュアスケート界の巨人だった。
彼女を見てスケートのファンになった大勢の人々、彼女に憧れてスケートをはじめた選手たち。
三原舞依も、ヘルシンキ世界選手権では浅田真央の映像を見て勇気付けられたと語っている。

それらは、浅田がフィギュアスケート界に残したレガシーである。

彼女が残してくれた多くの偉大なものを、私たちは忘れないだろう。


浅田真央はなぜこんなにも愛されたのか?
04/13 17:00dot.(AERAx週刊朝日)
 

いつか来るとはわかっていた。それも、そんなに遠くないと覚悟はしていたはずだった。
それなのに、いざ直面すると、気持ちが激しく揺さぶられた。

2017年4月10日、浅田真央さんが、現役引退を表明した。

振り返ってみると、印象深い演技やシーンが思いのほかたくさんある。

2002年12月、京都で開催された全日本選手権。小学校6年生だった彼女が
トリプルアクセルを跳び、3連続3回転ジャンプを跳んだフリー
『インカダンス&アンデス』。
今よりも小さくて細かった彼女の快挙に、観客席にいた男子選手たちが
スタンディングオベーションをしていたのも覚えている。

2005年12月のグランプリファイナルのフリー『くるみ割り人形』。
首筋から背筋がきれいに伸びた姿勢で見せる、ワルツに合わせた
リズミカルなスケートと軽いジャンプ。
冒頭のトリプルアクセルとともに圧巻だった、
最後3つのコンビネーションジャンプ。満員の代々木第一体育館が沸き返った。

2007年3月、優勝候補として臨んだ東京での世界選手権。
ショートプログラム5位発進後のフリーでは、こだわってきた
「ステップからのトリプルアクセル」を含むはつらつとした
『チャルダッシュ』を見せ、演技後に涙を見せた。

2008年3月、イエーテボリでの世界選手権。
冒頭のトリプルアクセルを踏み切るところで激しく転倒。
だがその後ジャンプを決め続けて初めて世界チャンピオンになったこと。

2010年2月のバンクーバー五輪。
ショートプログラム『仮面舞踏会』の、これでもかと踏み続ける
ステップシークエンスと、清々しい笑顔。フリーの後のコメントと涙。銀メダル。

スケーティングやジャンプなどを基礎から見直したことで、
試合での成績だけを見ると低迷しているように見えた時間。

3年ぶりに進出した2011年12月のグランプリファイナル。
渡航先で知った母の体調悪化とファイナル棄権、母の逝去。
2週間ほど後の全日本選手権で皆が見守る中で見せた、夢のように美しいフリー『愛の夢』。

スケートをやめようと思った時期。
それを経て、プレ五輪シーズンに強い浅田真央が戻ってきたこと。

2013年3月の世界選手権。ショート6位からのフリー『白鳥の湖』。
プログラムが進むに従って力を増して会場を沸かせ、3年ぶりに表彰台に返り咲いたこと。

ソチ五輪、団体と女子シングルのショートプログラムでの転倒。
16位で迎えた伝説のフリー『ピアノ協奏曲第2番』(ラフマニノフ)。
1つ1つのジャンプに力がみなぎり、最後の最後まで集中しきった姿と、
演技後の涙、そして笑顔。

1カ月後の世界選手権での優勝。

1シーズンの休養を経た復帰後の2016年世界選手権フリー『蝶々夫人』
で見せた、強い女性の荘厳な美しさ。

そして今シーズンの『リチュアルダンス』で、トリプルアクセルに挑んだこと。
スパイラルでの落ち着いた笑顔。無駄はないが含みのある1つ1つの動き。
ちょうどいい重みを持つ心地よい動きが詰まった、ベテランならではのステップ。

振り返ってみると、ショートプログラムでミスをしてフリーに臨むことも
少なくなかった。
そんなときでも彼女は、フリーの最後まで諦めない演技を見せた。
その結果が奇跡のようなものになっても残念なものになっても、
そのまっすぐな姿に、私たちは胸を打たれた。

 私たちが見る彼女は、いつも華やかな舞台で輝いていたけれど、
普段は冷たくて硬い氷の上で、地道に練習を続ける日々。
けがや痛みがない日は、なかったかもしれない。
それでも何があっても言い訳をせず、真摯にスケートに取り組んできた
彼女の強い気持ちや純粋な思いが、私たちの胸を打った。

そして気づけば、こんなにも愛される存在になっていた。

会見の最後の挨拶で2度、目を潤ませて言葉に詰まり、
後ろを向いてこみ上げるものを飲み込んだ。
そして、本当に晴れやかな笑顔で会場を後にした。

フィギュアスケートは「すべてやり切って、もう何も悔いがない」という。
これからの彼女の人生にもたくさんの笑顔があることを、切に祈る。

 
浅田真央という存在が「変えた」もの〈AERA〉
dot. 4/15(土) 8:46配信

ブログで「引退」を発表してから2日。浅田真央は引退会見の会場にいた。
涙を浮かべて言葉に詰まったのは最後の最後だけで、終始すっきりとした笑顔。
おそらく、「最後は笑顔で」と決めていたのだろう。
現役選手の浅田真央に「さようなら」を言う前に、もう一度、
彼女のフィギュア人生を味わいたい。

初めて浅田真央(26)を取材したのは、2005年6月。アイスショーでのことだった。
大きなピンクのリボンを胸にあしらった衣装でピョンピョンと楽しそうに
ジャンプを跳ぶ。姉の舞と共にインタビューに答え、

「来シーズンはシニアの試合にも出るのが楽しみ!」

 と笑った。当時14歳。この少女が何かを変えるかもしれない。そう予感させた。

 あれから12年。浅田がもたらしたものは計り知れない。

●勝ちたければ成長する
その一つは言うまでもなく、フィギュアスケートブームだ。
05年12月のグランプリ(GP)ファイナルでトリプルアクセルを成功させ、世界女王に。
06年2月のトリノ五輪には年齢制限に87日届かず、出場できなかった。
「真央を出場させたい」という世論が高まり報道も過熱したが、本人はどこ吹く風で、

「オリンピックに出られるなら出てみたいけれど。
 でも優勝のご褒美にレゴブロックを買ってもらう予定なのが楽しみです」

浅田が一枚上手だった。

このスケートブームで、子どもたちも変わった。
閑散としていたスケートリンクは芋を洗うような混雑状態になり、
「入会は2年待ち」というリンクも登場。

「目指せ!真央ちゃん」はジュニアの選手たちの合言葉になり、
浅田の演技前にはいつも、「真央ちゃん頑張って~」というかわいい声が響いた。

 17年四大陸選手権で優勝した三原舞依(17)もその一人で、
「6歳だった時に真央ちゃんが楽しそうに演技しているのに魅了されてスケートを始めた」
という。関節が痛む難病で車いす生活になった15年冬、浅田の映像を見て自分を鼓舞し
耐えぬいたことが、今季の復活劇につながった。


影響を受けたのは子どもたちばかりではない。
トリノ五輪を控えていた荒川静香(35)も、スランプから脱し切れずにいた自分を
浅田が変えてくれたと話す。

「出口の見えないトンネルにいたとき、ただただスケートが好きという気持ちで戦う
 真央を見て、楽しんで正面から向き合うことの大切さを思い出した」

荒川は高得点を得られるがゆえに誰もが注力するジャンプではなく、イナバウアーを
独自の魅力にすると、五輪そのものを楽しむ精神でトリノ五輪の女王に輝いた。

06年からはキム・ヨナとのライバル対決がクローズアップされたが、「ライバル」
の概念を変えたのもまた、浅田だった。

「ヨナは、同じ身長で同じ年で、同じように上手な子。表現力もあって、連続ジャンプがすごくきれい。
真央が違うことで頑張れるとしたら、トリプルアクセルかな。
トリプルアクセルは自分自身の自信につながるもので、皆にアピールできるものだから」

当時16歳だった浅田の言葉だ。嫉妬はしない。
勝ちたければ自分を成長させる。美しい戦い方が、そこにはあった。

浅田が最もドラスティックに変えたものが、女子選手とトリプルアクセルのあり方だろう。
バンクーバー五輪ではトリプルアクセルを計3本成功させてなお、銀メダル。
審判を務めた藤森美恵子は試合後の審判会議で、こう提案したという。

「女子にとってのトリプルアクセルは、伊藤みどりと浅田とわずかな選手だけが成功している大技。
 男子とは違う、高い得点を与えるべきだ」

まだ実現には至っていないが、国際スケート連盟では規定変更のたびに話題になっている。

引退会見で浅田が、

「私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいとずっとやってきた」

 と名前を挙げた伊藤は言う。

「私の代名詞だったトリプルアクセルを、真央ちゃんが受け継いでくれたおかげで
 再びスポットライトが当たった。
 難しいけれど女性でも挑戦していいんだ、と後輩たちの意識を変えてくれたんです」

そして競技人生の最後に、浅田は自分自身を変えた。

●一言で言うと人生かな

1年間の休養を経て、15-16年シーズンに復帰、その後「平昌五輪を目指したい」と宣言。
しかし長い競技生活で、トリプルアクセルの踏み切りに使う左膝は限界に達しており、
16年世界選手権は7位、16-17年シーズンはGPシリーズ初戦のスケートアメリカでも
6位に沈んだ。苦しむ浅田に伊藤はこうエールを送った。

「年齢を重ねると、今までできたことができなくなる。
 折り合いをつけて自分の目指すスケートの形をシフトすることで、違う幸せがある。
 いまは、100%の力だけが美学ではないという、新しい真央に変わっていくプロセスにいるのでしょう」

この言葉が、最後の決断を後押しするものになった。

12月の全日本選手権で12位に終わったあと、2月までの2カ月間、引退を決意できずにいた。

「平昌五輪に出るという目標をやめてしまう自分が許せるのか、許せないのか、と思って過ごしてきました。
 自分が言ってしまったことをいままでは最後までやり通してきたので、やらなきゃいけないんじゃないか
 という思いが強くて、決断が延びてしまいました」

有言実行は、浅田のスケート人生の原体験だ。

「11歳のとき、絶対にトリプルアクセルを降りると決めて夏合宿に行って、初めて降りました。
 そのときに、目標を達成するとこんなにうれしいんだな、と思えたんです」

以来、掲げた目標を貫き続けたが、10代の頃と同じ夢の追いかけ方はもうできないのだと悟ったのだろうか。
「引退」を決めて初めて、目標は達成されずに残ることになった。

引退会見で浅田は言った。

「フィギュアスケートは、一言で言うとやはり人生かな」

選手卒業おめでとう。私たちも涙を拭いて、浅田の人生の第2章を追いかけたい。(文中敬称略)

(ライター・野口美恵)


やっぱり ぬけて だよね 書いてかなぁ いや やっぱり 草稿のまま に
なってるから なぁ すでに ご覧に なられて だったら ごめんなさいです

また あほ やったんだねと おゆるしいただけるとぉ です 
べつな 記事のと 一緒に かいたって ことは ないよなぁ 

自分でも
なぜというのが おもいだせないという あほな やつで ごめんなさいです

ほかのと 一緒に かいたって ことは ??? でも 草稿のままだったし 
ううん 大事な 真央ちゃんのこと なのに こんなで あやふやに なってで
ほんとに  ごめんなさいです 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 浅田真央(mao asada) JO 2013... | トップ | 浅田真央 ソチオリンピックF... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。