夢追い人の「つぶやきブログ」

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非暴力の闘争

孤独について

2016年04月04日 | 人生
孤独について考えている。
かつて、孤独に苛まれたことがある。もしかしたら、誰しも一度や二度は経験したことがあるのかもしれない。
しかし振り返ってみると、いつの時も誰かが私を支えてくれていた。その時は気づかなかったが。
今、どれだけの人が孤独に苦しんでいるのだろうかと、思いをはせてみる。
私は、「孤独」を思うとき、16年前に訪れた屋久島の宮之浦岳のことを考える。あのとき、私は確かに一人ぼっちだった。一泊目の淀川小屋(よどごうごや)では、寂しさにひしがれていた。しかし、渋谷駅前のスクランブル交差点にいる自分を思った。この山小屋で一人でいるよりも、渋谷の雑踏の中の方が孤独ではなかったかと思った。トイレに行くために小屋の外に出て、用を足した後に見上げた夜の星空は、それまで不気味に思えた悠久の森すらも包み込み、「ああ、みんな仲間だったんだ」と私に気づかせた。その時私は「孤独」ではなかった。
批判するわけではないが、SNSでつながりを求めることが「常識」になっている今、「孤独」が蔓延っていると感じる。希薄な「つながり」に心を傾け、必死に依存しようとしているように思えてならないからだ。
人間は孤独な生き物(それは単体でいる限り、万物に通じる)ではあるが、「孤独」ではないはずだ。なぜなら、全ては「つながっている」と確信しているからだ。夜空に光る星たち、朝光り輝く太陽、ちっぽけな人間にとっては広大な海、世界中の山々、深い森、けなげに咲く野の花、膨大な仕事をしている目に見えない微生物、全ては「つながって」いて、深い意味がある。
人間が「孤独」を感じるのは、自分を見失い、自分の存在に疑いを持つ時。自分など意味のない存在と、虚無的な感情に押し流されている時。
これだけは「絶対に」とつけて言いたい。意味のない人などこの世にはいない。「孤独」を感じた時、周りを探して欲しい。バーチャルなネットの世界ではなく、現実の世界で。必ず、それを払拭してくれる人がいるはず。「世の中捨てたもんじゃない」と思わせてくれる人が。
私は、現実の世界で、そういう人たちの支えになれたらと思う。そして支える側の人たちを増やしたいと思う。貧困やいじめや争いに巻き込まれる人たちの、「悲惨な」現実を少しでも減らしたい。

今いるこの地から始める。



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