いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 米原万里著

2007年11月22日 | その他
昨年5月、56歳の若さで亡くなったロシア語の通訳者としてまたエッセイストとして有名な米原万里さんの代表作です。率直にいい本だと思いました。

 同世代の人はもちろんですが、特に若い人たちに薦めたい本です。

 1959年に日本共産党の代表として米原万里さんの父がチェコスロバキアの首都プラハに赴任したとき、家族も一緒に行きました。そこで万里さんは 9歳から14歳まで少女時代の5年間、現地にあるソ連外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用のソビエト学校に通って、ロシア語で教育を受けました。30年後この時仲が良かったけれど音信の途絶えていた3人の友人たちを捜す旅に出ます。

 万里さんの3人の友人はとても個性的ですが、性格についてだけ言えば多分私たちも学校時代に似たような人に出会ったことがあるかもしれません。最大のポイントは3人の家族の歴史(民族的な背景など)と万里さんがソビエト学校に在籍した時代と1980年代後半以降の東欧の共産主義政権の没落の歴史が背景に散りばめられていることです。 

 一番印象に残ったのは本の題名にもなっているアーニャです。ユダヤ系のルーマニア人で、父親はチャウシェスク政権の党の幹部でした。30年後に再会の喜びをかみしめながらも万里さんは他の二人の場合と違ってやるせない思いにかられます。彼女は特権階級として恩恵を受けていた父親の助けを借りて国を捨てイギリス人と結婚しアーニャ自身がはっきりと「アッパーミドルクラス」だと断言する暮らしをしていました。

 何故私がアーニャにこだわるかというとその点なのです。

 20世紀後半東欧の共産主義諸国は次々に崩壊していきました。私はこれらの国々が崩壊する直前にカナダやオーストラリアで移民となって(本当は亡命だった人もいました。)やってきた人々の何人かと出会いました。亡命者は祖国愛を持ちながらも国の体制を嫌っていましたが、留学など別のルートで来ている人々の中には共産主義社会は資本主義社会より優れた社会だと考えている人もいました。ヨーロッパだけでなくアジアの共産主義国の人々の場合も似ていました。私はその中で何人かの贅沢な暮らしをしている人々に対しては大きな疑問を感じました。

 もちろん、もっと贅沢が出来たかもしれないけど質素に暮らしている人も多かったですが・・。そしてもうひとつの話に登場するボスニア・ヘルツェゴビナの最後の大統領の娘ヤスミンカのような考え方の人にも出会いました。


 本来共産主義とは、言葉上は財産の共有を目指す思想ですが、その前の段階として労働者階級の人々が平等に暮せる社会を目指したものではなかったのでしょうか。産業革命後の資本主義社会の中で出来た貧富の差や新たに出来上がった階級社会で苦しむ労働者階級の人々を救おうとして考えられた思想だったと認識しています。早くから社会に目を向けて勉強し、文系の大学へ進学した友人に比べてその辺の認識はかなりいい加減で甘かったことは確かですが・・・。十代の頃の私は共産主義は理想的な考え方だと単純にも考えていました。

 でも大学を卒業して就職したにもかかわらず、1年で放り出して海外生活を始めてまもなく、多くの疑問に突き当たり始め、私の考えはもろくも崩されていきました。

 大きな原因は2つあって、1つ目はストライキや労働者の労働意欲の問題です。これは後に実際に中国へ行ったときさらに強く感じましたが、今日は棚上げしてまた別の機会があれば書くことにします。2つ目は万里さんがアーニャとその家族を見て感じたように、共産主義国の特権階級の人々が一般の人々とはひどく違った生活をしているのを見たときです。 

 70年代後半から80年代にかけてカナダやオーストラリアで生活していたとき何人かの東欧諸国出身の人々と知り合いになりました。中国やベトナムなどアジアの国ほどではないかもしれませんがまだ多くの東欧諸国の一般民衆が貧しかったと聞いていた時代です。同じ国の出身でありながら必死で亡命してきた人と特権階級の恩恵を受けて贅沢な暮らしをしている人がいるということに気づきました。

 資本主義社会の中では善し悪しは別として貧富の差はあるのが前提だと思っていましたが、現実には共産主義でも時にはもっと激しい格差が存在することを知りました。

 20世紀の社会実験とさえ言われる共産政権は1989年に東欧で次々と崩壊し、ソビエト連邦も1991年に解体しました。

 中国も、毛沢東の時代の文化大革命によって多くの損失が出ました。トウ小平の指導で進められた改革開放は資本主義と共産主義の混合経済と言われています。

 この話は20世紀の人間が作り上げた社会構造の矛盾に対する切ない想いがじっくりとかみしめるような余韻となって残りました。


 最後にちょっと気になったことですが、万里さんはこの本に登場する友人以外に消息の途絶えていた友人を捜して会えなかった人もいたのでしょうか。体制崩壊の中で戦火の激しかった地域もありましたから・・・。


 私が以前海外生活をしていたとき、近所に住んでいて仲良くしていた同世代の東欧出身の友人がいました。彼女はご主人と共に移民ビザを取得し、4人の子供がいて暮らしぶりも質素でした。上の二人がわが子と同い年だったので子供たちもよくいっしょに遊んでいました。学者だったご主人が90年代の始めに病気で亡くなってから消息がわかりません。彼女は英語があまり良く出来なかったのでこの国で一人で4人の子供を育てていくのはたいへんだろうと心配していました。今は4人とも大人になっているはずですが・・・祖国へ帰ったのかなあと思ったりしています。
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資本主義社会 労働者階級 共産主義国 オーストラリア アジアの国 文化大革命 ソビエト連邦 ヘルツェゴビナ ヨーロッパ ルーマニア人
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