マラソン讃歌

ランニング日記を中心に様々な趣味活動を紹介します。

しげじぃのアメリカ旅行記ー3ー

2017年07月11日 | ボランティア
第3日 4月15日(土) ボストン郊外観光とチームビジョン

12. 早朝ランニング

 昨夜も、野球観戦チケットを捜すためにインターネット検索で時間を浪費し、またまた睡眠不足で朝を迎えた。朝5時には目が覚めたが、ジェットラグはまた続いている。
それでも昨夜二人で意気投合し早朝ランニングに行くことになっていたので、さっさと支度を済ませて、6時過ぎには外に出た。と思ったらホテルご自慢の中庭だった。
これも観光と、ちょっと覗いてみてから、今度こそ、あこがれの古都ボストンの市街地に出ることができた。
まだ冷気が残り肌寒かったが、走ればすぐに暖かくなる。途中で朝食を食べるかもしれないので、ゆっくり走って、汗をかかない程度がいい。
ボストンはどんな街なのだろう。チョーさんと狭い石畳の歩道をゆっくり走って行くと、足元に赤レンガが続いているという。もしかしてこれは、ガイドブックにあった、あの有名な「フリーダムトレイル」ではあるまいか?ボストンには、観光客が迷わないように名所を繋ぐ観光コースに、赤い煉瓦が敷設されている。軽いお散歩のつもりが、いきなりボストン市街観光の中心に来てしまっているらしい。きっと、このあたりには、18世紀~19世紀の古い建物が多く残されているのだろう。
などと勝手なイメージを浮かべながら走っていると、まだ車があまり通っていない車道を、ランナーがどんどん走り抜けていく。お仲間さんたちのなかには「どこの国から来たの」とか、「マラソン大会に出るの」とか気軽に声をかけてくる人もいた。やはり世界中から集まってきた人たちも、早朝ランニングを楽しんでいるようだ。
チャールズ通りを20分ぐらいは走っただろうか、市の中心にあるコモン公園とパブリックガーデンの間に出た。ここでは、すでにマラソン大会の準備をしている人もいて、テントの設営や、機材の搬入をしていた。

 二人は早速、アメリカ初の公園であるコモンを1周回ってみようと公園内の歩道を走り始めた。この公園は全体的に斜面になっているらしく、始めのうちは上り坂が多かった。
公園内を反時計回りに走ったので、左側には公園の中心にある樹木や小さな池が、右側には花壇や外周道路があるようだった。チョーさんが道路の向こう側には、由緒ある高級ホテルやおしゃれなお店が並んでいると教えてくれた。ということは札幌の大通り公園に似ているのかもしれない。それとも、ヨーロッパのマルクと広場のような所だろうか。
東側のピークを越えると下り坂になった。しばらく行くとアメリカの国旗(星条旗)が何本か掲げられている古い建物があるという。それは、マサチューセッツ州議会の議事堂ではないか。建物の中央には、金色のドームがあるらしい。ガイドブックによれば、ここに移転してくる前の旧議事堂のバルコニーで、1776年7月にアメリカの独立が宣言されたという。その流れを受け継ぐ場所だ。日本に幕末の志士がいたように、アメリカにも独立の志士がいて、ここで大いに議論していたという。もしそうなら、独立運動の名所である。後で見学するつもりがすでに朝から来てしまった。
2kmも走らないうちに、コモン広場を一周してしまったので、チャールズ通りを渡って隣にあるパブリックガーデンに行くことにした。こちらは長方形の形をしていて、斜面もだいぶなだらかになり、長い直線もある。朝の新鮮な空気の中をゆっくり斜面を駆け下りるなんて、ランナーとしては幸せを感じるひとときだ。ましてここは地球の裏側、あこがれのボストン中心部なのだから、夢のような気分だ。
コモン公園の反対側まで来ると、古い教会があったが、その歴史的な経緯は分らなかった。このほかコモン公園やパブリックガーデンの中には、沢山の偉人の銅像があったが、ワシントン初代大統領ぐらいしか知らなかった。勉強不足で、ちょっと情けない。とほほほ。
ガーデン内には大きな池があり、鴨や白鳥などもいたようだ。池の中央には、高い橋がかかっており、その下をくぐり抜ける遊歩道もある。二人は、色々なコースを走ってほぼ2周した。ガーデン内を走った距離は3kmぐらいはあったろうか。

 そろそろ朝食の時間になるので、二人はホテルに帰ることにした。ビーコン通りとチャールズ通りの交差点を渡って帰ろうとすると、賑やかな人たちの声がする。もしここがレストランならば、ホテルまで帰らずに、ここで食べてもいいではないか。思い切って店に入ってみると、そこはスターバックスだった。ここならホテルの朝食よりもだいぶ安上がりだ。大会までは、コーヒーは絶っていたので、ココアとクロワッサンと、ベーコンサンドにした。ベーコンサンドは冷蔵されていたらしく、冷たくずっしりとしていたが、トーストしてもらうと、ふんわりマヨネーズ味になり、とてもおいしかった。
コモン公園を見ながら朝食とは、これもいい思い出になる。食べていると、何人かのランナーが来て、話しかけてくれた。やはり日本人は珍しいのかもしれない。彼らの話では、今日、これから5kmの大会があり、その運営を手伝うために来ているという。ランニングの服装をしているだけで、すぐ友達のように声をかけてくれるので、なんとなく有名人になったようなうれしい気分だった。
ホテルへの帰り道、歯ブラシを買うためにドラッグストアーに立ち寄ったが、建物は重厚で古くても中は明るい感じで、ヨーロッパのお店に良く似ていた。歯ブラシはできるだけ小さいものを買おうと、よく選んだつもりだったが、やはり、自分の口にはかなり大きかった。帰りはすぐにホテルに着いてしまったような感じだった。
部屋に戻って休憩し、チョーさんと午前中の観光について相談したが、日程上、遠出ができるのは今日しかないので、市内観光は後にして、郊外から見学することに決めた。そこで午前中の観光は、ハーバード大学とケネディ大統領の成果を見に行くことになった。

13. ハーバード大学見学

 9時前にホテルを出発し、先ずは、地下鉄レッドラインで、チャールズ駅から四つ目のハーバード駅に向かう。すぐに電車は、チャールズ川の鉄橋を渡り、西隣りのケンブリッジ市に入った。最初の駅には、なんと、あの有名なマサチューセッツ工科大学が、今渡ったばかりのチャールズ川の川沿いにあるという。こっちの大学でも良かったかなあ。ハーバードもMITも、成績不良で育ってきた「しげじい」には何のかかわりもない無縁の世界だ。それだけにノーベル賞受賞者や大統領を数多く輩出している世界トップレベルの大学とはどんなところで、どんな人たちが学校生活を送っているのか。これは未知との遭遇、怖いもの見たさだ。あんまりそばに近づくと、彼らの輝く知能と才能で、火傷してしまうかもしれない。そんな妄想と、未知への不安を抱いているうちに、電車はハーバード駅に着いた。
この駅には、お土産屋さんがあって、ハーバード大学のTシャツなどが売られていた。
地価から地上に出ると、大きな交差点と広場があって、ビジターセンターも設置されている。見学ツアーを利用しようと思って聞いてみると、一時間後だということだったので、ガイドブックを頼りに、二人でまわることにした。
教会の建物の横を通って広い歩道をしばらく歩いて行くと、大学の正門らしきところについた。特に警備員のチェックもなく、誰でも自由に出入りしていいようだ。
学内はがらんと広い感じで、入り口近くの銅像に色々な観光ツアーのグループが集まっている。近寄って、ガイドの説明に聞き耳を立てていると、どうやら創設者の銅像らしい。
しかし、よく聞いていると、この銅像には三つの嘘があることで有名とのこと。
ひとつは、創設者ではなく、設立資金提供者であり、二つ目は、その出資者本人でもないらしい。また設置された年代も、史実とは会わないとか。誰のための、何のための銅像かは分からなかったが、足に触ると幸運があるというので、とりあえず触っておいた。少しは物忘れが治るかとも期待したが、浅草寺の煙でもだめだったので期待外れになる可能性が強い。

 ちなみにハーバードという大学名は、創立者ではなく、出資者に敬意を払ってその名前をつけたものらしい。1636年の大学のスタートは、キリスト教を広めるために設立した神学校で、今でも、神学に関する学部もあるそうである。その銅像の周辺には、学長室がある古い建物と、ユニバーシティーホールがあり、遠くには、ギリシャ風建築のメモリアルホールが見えるとのことであった。
ただ説明を聞きながら大学内の広い道、あるいは、広場を歩いていてもつまらないので、ホールの建物の中に入ってみることにした。本当は観光客などの部外者の立ち入りは禁止なのかもしれないが、ドアを開けてみると開いたので、二人は中に潜入してみた。中は木造でとても古い感じで、正面には体育館のような集会場や、階段状の大教室、左側に学生さんの話し声がする教室などがあった。
そこに玄関から女学生らしき人が入ってきた。慌ててチョーさんが「中を見てもよろしいでしょうか。」と聞くと、「見たいのならどうぞ見て行けば」と無頓着な答えが返ってきた。我々のような少しずうずうしい観光客が入ってきても、堂々とした寛容な態度に、自由な精神を垣間見たような気がしたといったら大げさだろうか。そこで、教室を覗かせてもらったが、これから授業が始まるところのようだった。申し訳ないので二人は静かに退散した。
その後、中央広場まで歩いて行き、広い階段を2階まで登ってから正面玄関のある大きな図書館に入ったり、ツアーガイドのアルバイト女学生が、元気いっぱいに観光客に説明し、冗談を言って笑わせている光景などを見た。やはり聡明な学生さんたちの大学という先入観があるせいか、みんなはきはきしていて自信に満ちているような印象を受けた。
その後、自然史博物館やサイエンスセンターなども見たかったが、あまりにも広くて疲れてしまったので、広場の青空テラスでお茶を飲んでから、次のケネディー大統領の成果に向かうことにした。まあ、外見から分かることはこんなものだろう。学生さんの声も聴けて、教室も見られたのだから満足である。

14. ケネディ大統領の生家見学

 地下鉄でボストン市内に戻り、チャールズ駅の次のターミナル駅で別の路線のグリーンラインのCに乗り換えた。たまたま居合わせたボストン在住の日本人の方がこのグリーンラインという路線は、途中からBからEまでの四つの路線に枝分かれすると教えてくれた。来た電車がどこ行きか確認しないと大変なことになるらしい。またこのグリーンラインの沿線が、ボストンでも一番高級な住宅街を走っているとのことであった。大統領の生まれ育った家があるぐらいだから、大田区の田園調布か、世田谷区の成城学園前といったところだろうか。
電車が来て驚いたのは、地下鉄のホームから電車に乗るときに、バスのように大きなステップが2段あったことだ。つまり今から乗る地下鉄は、ホーム面の高さよりも電車の床面が50~60cmも高かったのだ。今度は10駅ぐらい乗ることになったが、駅の感覚が短く、次々と止まっていく。途中のアナウンスで、「ヘンウェー球場へはこちらで乗り換えです。」というのがあり、耳に残った。後3駅ぐらいで目的地というところで、電車は突然地上に出た。そして驚いたことに地下鉄は、いつの間にか路面電車になっている。なんじゃこりゃあ。
間もなく最寄り駅のクーリッジという駅で下車したが、そこは紛れもなく路面電車の駅であった。20㎝ぐらいの低いホームから道路を渡って向こう側の歩道に上がった。それから道路を背にして町並みの中に入り、ハーバード通りをしばらく歩いていく。駅のそばには、レストランやお店、事務所なども並んでいたという。銀行らしきものがあったので両替をすることにして中に入った。
チョーさんいわく、ここは大銀行の支店ではなくて、信用金庫のようなところだそうだ。
とにかく懸案の両替が未だにできていないので、できるか聞いてみることにした。信用金庫と聞いて、窓口の店員さんも、どこか親しみやすい感じがする。「銀行よりも少しレートが高いかもしれませんが、宜しいでしょうか」と言うので、具体的な金額を聞いてみたところ、やはり高かったので、またもや両替を躊躇してしまった。

 路面電車に信用金庫とくれば、なんとなく東京の下町を連想してしまう。まさか、荒川区の町屋か、足立区の北千住なんてことはないとは思うが、こんなところに、あの暗殺された偉大な大統領、ジョン・F・ケネディの生家があるのだろうか?
しばらく歩いてビールズ通りを右折すると、漸く高級住宅地の雰囲気になってきた。そうそう、そうこなくちゃあおかしいよ。まっすぐで両側に並木のある静かな道が続き、どこか田舎のようなのんびりとした印象を受けた。なんだか懐かしい雰囲気もある。
強い日差しの中、10分以上歩いても目的の家が見つからないので不安になってきたころ、庭に囲まれた2階建のケネディ大統領の生家があった。玄関前には何段かのステップもあり、それなりには高級住宅のようだった。チョーさんの話では、家も住宅街も、高級ではあるが、思ったよりも質素で、落ち着いた感じだそうだ。
ここを見学したいと思ったのは、住宅の内部や家具類、生活用品などに触れられるのではないかと思ったからだ。視覚障害者は、触って確かめられるような、狭い範囲の方がイメージを創りやすい。大統領の子供時代は、どんな生活をしていたのだろうか。
ところが残念!土日は休館日と言うことで、入館はできなかった。そりゃあーないよ!とほほほ。それでも、記念撮影をして、周辺の住環境が分かったので、ふーうん、こんなところだったのかあと納得がいった。
さて、引返して少しだけでも両替しておこうと思ったら、土曜日ということで、信用金庫は12時ですでに閉店していた。またまた残念!両替にはどうも縁がない。
それなら昼食をしようと、たまたま駅近くでチョーさんが見つけた有名日本食レストランの入口前に並んでみたものの、期待に反して、ここも大混雑の行列で諦めるしかなかった。またまたまた残念!
それでも二人は気を取り直して、また路面電車のような地下鉄に乗って、フェンウェイ球場に行くことにした。ここに来るときに車内アナウンスで聞いて、近くにあることは知っていたからだ。

15. フエンウェイ球場見学

 レッドソックスの根拠地、フエンウェイ球場の最寄駅を下車して歩道を歩き、高速道路にかかる橋を渡って行くと、レストランやお土産屋さんが増えてきて、人もどんどん増えてきた。競馬の予想新聞ならぬ、野球選手のデータが書かれた新聞を売る人や、通称ダフ屋さんと呼ばれる、入場チケットを個人的に高値で売る人があちこちにいて気さくに声をかけてくる。
ここの印象としては、古くてあまりきれいではなくて、庶民的でどこか懐かしい、そしてちょっと危険な感じもするところだ。昔南千住にあった、大毎球場を思い出してしまった。そんなの昔すぎて誰も知らないか。データが古くて御免。
ダフ屋さんとのスリルのある英会話もいいが、チケットを値切って手に入れるほどの力量はないし、ちょっと危険すぎる。
二人はおなかが減っていたので、そんな誘いにのることもなく、近くのマクドナルドに入った。注文してチョーさんがカードで支払おうとすると、カードの読み取り機械が反応しない。これはピンチだ。仕方なくチョーさんが、残っているコインをすべてかき集めた結果、なんとかハンバーグ1個とコーラが二人分買えた。まあ、ゆっくり座れて、多少おなかが膨らめば、十分だ。気温がだいぶ上がり暑かったので、冷たい飲み物はありがたかった。
その後、球団が経営する公式のお土産屋さんを見て回り、知人に頼まれていたレッドソックス関連のグッズを購入できた。何を買ったかだって!もちろん、赤い靴下だよ。
それから外観だけでも球場を見ておこうかと、メインゲートまで行ってみた。これから地元レッドソックスのゲームがあると言うことで、どんどん人が集まってきていた。こうなるとほんの少しだけでも大リーガーの試合を見ておきたいという気持ちになってきた。
そこで球場のチケット売り場に行くと、なんと明日、日曜日の午後のゲームの外野席が、一人30ドルで残っていたではないか。お土産話にもなるし、一生に一度のチャンスかもしれないので、明日の午後に来れない可能性もあったが、思い切って買うことにした。
インターネット検索では、50ドル以下のチケットはなかったので、とても運が良かった。
というかインターネットは本当にあてにならない。安い正式なチケットが購入できたのだから大満足だった。
そろそろ招待していただいているチームビジョンという障害者ランナーを支援する団体のパーティーに行かなければならない。すでに時間も迫ってきていたので、迷って遅れないように、タクシーで会場まで行くことにした。

16.チームビジョンの前前夜祭のパーティー

 なんだか方向的には、ケネディの生家に逆戻りしているような気がするが、順調にタクシーは走行し、予定よりもかなり早く、会場の地域障害者総合センターのような施設に到着した。
すぐに建物の中から、ローラと言う若い女性が駆けつけてくれて、手馴れた介助でにこやかに二人を館内に誘導してくれた。
館内のパーティー会場は、まだ準備中で、テーブルを並べたり、食べ物や飲み物を搬入したり、飾り付けをしたりと忙しそうだった。
早く着いてしまった二人に、スタッフの方々が気を効かせて、椅子と飲み物を用意してくれた。
時間があったので、チョーさんが、掲示物の紹介をしてくれて、参加者などを教えてくれた。
しばらくして、色々と連絡調整をしたり、ホームステイ先の手配をしたりして尽力してくださった事務局長のアンドレアさんが挨拶に来てくれた。「しげじい」は、英語が分からずに亀になっていたが、チョーさんが上手に取り持ってくれて何とかコミュニケーションをとることができた。
パーティーが始まると、会長さんを始め、役員の人たちが次々にスピーチをして、これまでの活動に貢献した人たちへの謝辞が続いた。その後食事のパスタなどをみんなが取りに言って、会場は、立ち歩く人と話し声で大賑わいになった。何人かは話しかけに来てくれたが、会話が長続きせず、のんびり座って、おいしいピザやスパゲッティーなどを黙々と食べていると、周囲の様子を見てチョーさんが教えてくれた。今は交流タイムで、積極的に話題の輪の中に入って、一人でも多くの人とおしゃべりし、沢山の人と交流するのがパーティーの儀礼になっているという。さすがは元外交官、今はそういう時間設定だったのか。
そりゃ大変だ。遅れをとるまいと慌てて立ち上がった。交流もせず食べているだけでは、招待してくれた方に顔向けできない。だめな英語でも、何でもかんでも、思い切って話しかけてみるしかない。二人で、あちこちの集団に話しかけに行くことにした。カナダから来た人、クロアチアから来た人、コロラドから来た人、カルフォルニアから来た人などと、にこやかに話をしたが、どうしても単純な挨拶だけになってしまい、周囲の人たちのように、意気投合して盛り上がるところまでは行かなかった。ランニングの話題なのだから、片言の英語でも、もう少し何とかなると思ったが、うーむ、外交はなかなか難しい。まあ、会話の実力がないのだから仕方ないと観念して席に戻ったが、いやはや情けない! 同じタイミングで笑えないのは寂しい。
その後、特に挨拶のスピーチを求められることもなく、19時にはパーティーは終了した。

 間に合えばいいなあと期待していたギターさんとのり子さんもまだ来ていない。飛行機が遅れているのだろうか。チームビジョンのスタッフの方々が慌ただしく片づけをするのを見ながら、チョーさんと二人でぽつんと待っていたが、頼りにしている日本人の援軍は、まだ来ない。ちょっともてあまして暇そうにしていると、時々役員の方が来てくれて、話しかけてくれた。ここの建物はどんな用途に使用されているのかと聞いてみると、知的障害者の作業所や、視覚・聴覚・肢体不自由など各障害の団体の援護活動や交流の場を提供しているという。障害者トイレが完備されていることからも、ここは日本の地域B型センターによく似ていると思った。B型センターとは、大都市の区部や地方都市に設置されている中規模の障害者支援拠点である。確かに日本とアメリカでは言葉も習慣も違うのだが、基本的な交通システムや電気システム、議会や社会制度、学校や福祉制度などについて、良く似ていると感じるところが多い。戦後ずっとアメリカを手本としてきたのだから当然とはいうものの、かなり根本的なところまでアメリカナイズされているように感じた。
19時半ごろに漸くギターさんとのり子さんが到着し、急に賑やかになった。ニューヨーク在住ののり子さんが来てくれたおかげで、アンドレアさんをはじめチームビジョンの方々との話も和み、気軽な雰囲気で色々なことを聞くことができた。
これから5泊6日間お世話になるグリーンさんという方の家は、どんなところだろうか。
ここから西へ20kmも郊外に行ったところにあるそうだが、全く見当がつかない。マラソンコースの中間点付近にある家には、自家用車以外には、行く手段はないのだろうか。だいぶ夜も更けてきた。20時過ぎてもグリーンさんが現れないので少し不安になってきた。もし来てくれなければ、今夜は泊まるところがない。やっと20時30分頃ティム・グリーンさんが、車で迎えに来てくれた。よかった。これで今夜から泊まる所がはっきりした。

17. ホームステイ先のグリーンさんの家

ティムさんは、我々と関係者に簡単に挨拶してから、荷物を載せて、早速、彼の自宅に向かって出発した。近くの地下鉄の駅でのり子さんを降ろしてからは、高速道路に入り、かなりのスピードで走っている。運転に集中しているのか、必要なことだけに答えて、あとは黙って運転している。無口な人なのかもしれない。まああの、バンザーイ!の、ナイヤガラのタクシー運転手さんのようにはいかないだろう。
30分ぐらいで高速道路を降りて、しばらく幹線道路を行くと、このあたりがウェズリーという町で、もうすぐ着くという。脇道に左折して3分ぐらいで彼の家に着いた。チョーさんの話では、大きくてバルコニーのついた立派な2階建ての家だという。突然のお願いにもかかわらず、協力要請に応じて、宿泊させてくれるのだから、それなりに広いお屋敷に違いない。家から奥さんのメアリーさんが出てきて、優しく迎えてくれた。そしてステップの一段一段をとても丁寧に誘導してくれた。
閉館のためケネディ大統領の生家には入れなかったが、いよいよアメリカの一般の個人宅に入れてもらうことができた。わくわく。ティムさんは、1階の食堂を通って2階に案内し、突き当りの広い部屋に通してくれた。ティムさんは、2階には3部屋あり、どのように使ってくれてもいいという。
チョーさんが、日本には男性3人が一緒に大きなベットに寝る習慣はないと言ってくれたので、3人は別々の部屋に分散して寝ることになった。
その結果、「しげじい」がこの広い部屋を使わせてもらうことになったが、この部屋には専用の二人が同時に使えるシャワー室があった。もちろんトイレもあり、洗面台はワンタッチでお湯が出る。また、バルコニーに出るための広いスペースがあり、ここにもベッドや机が置けそうだ。それに、斜めの壁面やくぼんだコーナーもあって、とても複雑な形をしていた。
ベッドの位置とトイレや洗面の場所はなんとか分かったが、夜中に何度も方向を間違えて迷子になった。全体の形や大きさが分かって迷わずに使えるようになるのに、2~3日ぐらいはかかったと思う。部屋にはベビーベッドや一人用のソファー、帽子やガウン、それに沢山の思い出の品と思われるものが壁に掛けられていたり、机や家具の上に置かれていた。きっとこの部屋は、乳幼児期の子供を育てるために造られた夫婦と子供が一緒に暮らせる部屋に違いない。子供たちは今は大人になって独立してしまったのだろうが、この部屋には、家族で過ごした一番楽しい日々が詰まっているのだろう。
そんな家族の聖域に侵入してしまった「しげじい」は、広すぎる部屋と沢山の家族の思い出に囲まれて、なんだか過去の幻影が出てくるようで怖くなってしまった。

 3人は、1階の食堂に呼ばれて、みんなでお茶を飲みながら、自己紹介をしたり、明日の予定を話したり、マラソン大会について話したりした。ギターさんがまだ夕食を食べていないということで、1人だけパンやサラダを出してもらった。
グリーンさん夫妻は、こちらの要望を出来るだけかなえようと、食事の支度など、要望に沿って忠実に実行してくれている。また、送迎についてもこちらのスケジュールの概略を承知しているようで、送り迎えを考えてくれているらしい。まったくありがたい限りだが、あまり負担をかけては申し訳ないという気がした。
グリーンさん夫妻は、今は退職してボランティア活動をしているそうだ。
お子さんたちは既に独立しているようなので、時々孫を連れて帰ってくるのを楽しみにしているのかもしれない。
明日の朝は、マラソンコースを見てみたいというと、車で心臓破りの坂まで連れて行ってくれるというので、車で行っても道路の状況は分らないので歩いてみたいと言うと、
そういうことなら約2km先のマラソンコースで一番近いところまで、帰り道の案内を兼ねて、車で連れて行ってくれるという。
時間も大分遅くなってしまったので、宜しくお願いしますと頼んで、就寝することにした。こうして寝室に戻り、シャワーを浴びて寝ることになった。給湯設備や暖房設備はしっかり完備されているし、バスタオルから手ふきタオル、タオル地のガウンまで用意されていた。至れり尽くせりで、なんだか申し訳ない気もした。荷ほどきもそこそこでダブルベッドに1人で入ったが、この部屋の思い出について、色々と連想してしまい、なかなか寝付けなかった。ここで暮らす人たちの生活、アメリカの人たちの人生は、どのようなものなのだろうか。興味は尽きない。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 会議―RUN-SWIM-会議 | トップ | 新方式の伴走ロープ »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL