マラソン讃歌

ランニング日記を中心に様々な趣味活動を紹介します。

ボストンマラソン大失敗

2017年07月17日 | マラソン大会
第5日目 4月17日(月) ボストンマラソン大失敗

 今日はパトリオットデー(愛国者の日)、独立戦争開戦日に由来する、マサチューセッツ州だけの祭日である。ボストンマラソンは、毎年この日に開催されて、なんと今年で121回になるという。明治30年から続いているというから驚きだ。
この伝統ある大会は、古さだけでなく、参加資格の厳しい、最高速レースとして、
全米にとどまらず、世界中のランナーの目標となっている。そんなマラソンに参加できたのは、視覚障害者枠があるからなのだが、5時間以内という参加申し込み資格タイムは、とてもありがたい。ちなみに、60歳から64歳までの一般男子ランナーは、3時間55分以内。65歳から69歳までは、4時間10分以内。最も厳しい18歳から34歳は、3時間5分以内で、女子は各年代ごとに男子タイム+30分になっている。だが、参加資格の厳しさとは逆に、完走タイムは6時間以内と意外に緩い。
 今年の参加者は、33000人で、9時から11時半ごろまでの毎回15分ごとのウェーブスタートになっていた。

18. 早起きしてポプキントンの丘へ

 やはり時差のためなのか、前日で緊張したのか、2時間程度眠って3時には目が覚めてしまった。この小心者め! いいよ、いいよ、気楽に行こうよ!とはいうもののやる気は十分だ。どんなコースなのか楽しみだなあ。立体コピーの地図が頭に浮かぶ。コの辺りまではずっと下って、心臓破りの坂を一気に登って…、うむ、うむ。
 すべての支度を済ませて5時前に1階の食堂に行くと、すでにティムさんは出かけてしまっていた。のり子さんを迎えに言って、6時前にはここに戻ってくるという。
あれれ、一緒に行くはずじゃなかったの!全員で迎えに行く必要はないということか。
 もう寝るわけにもいかない。メアリーさんと3人は、1階の応接間で待機することになった。初めて入った応接間は、縦横6m四方のゆったりしたものだと、広さに驚いた長さんが教えてくれた。壁には大きな本棚があり、本がぎっしり入っているとのこと。中央には大きな革張りのソファーが置いてあった。また、大きな窓からはきっと美しい湖が見えて、青い空、緑の森、自然の景観がいっぱいに広がっているのだろう。勝手に思い浮かべたイメージだが、いやはや、羨ましい限りである。
 やはり朝から騒然としており早朝の空をヘリコプターが行ったり来たりしている。
メアリーさんが見せてくれたテレビ番組も、現在のコースの状況や参加者の様子など、ボストンマラソン一色だった。ボストンマラソンは、全米第6位の人口を有するボストン広域都市圏800万人の総力を挙げた大イベントなのだ。スタート2時間前の朝七時からは、コース上への一般車両は通行禁止で、ドローンを飛ばして安全確認しているとの話もあり、
2013年の爆弾事件以来、セキュリティは非常に厳しくなっている。
 5時半過ぎには、のり子さんが到着し、しばらくみんなで雑談した後、ティムさんにスタート地点まで送ってもらった。ポプキントンの丘近くに来ると、段々山がちになり、カーブも増えてきた。意外だったのは、鉄道の駅や線路の近くを通り、時には踏切も渡ったことだ。もしかしたらワシントン通りに沿って、中距離鉄道が走っているのではないだろうか。大会コース沿線の様子について、ティムさんたちの話を聞いているうちに、用のない車は通さないという交通規制の効果なのだろうか、予定より大分早い6時半ごろにはスタート地点に到着した。もうすでに車の検問が始まっていて、駐車はさせてもらえない。
そこで許可されたギリギリのところまで入ってもらい、ティムさんには、お礼を言って帰ってもらった。

19. 朝食と長い待機時間

 我々が選手では一番乗りだったが、チームビジョンの会長さんやスタッフが出迎えてくれた。
「カルフォルニアマラソンで会いましたね。(おい、みんな)この人は僕の友達だよ。」なんて言ってくれた。えっへへ、なんか照れますねぇー。
 アンドレアさんやスタッフの人たちもすでに来ていて、待機するビジョンセンターまで案内してくれた。その建物は、この地域の視覚障害者のサポートセンターで、1階には眼鏡屋さんが、2階には眼科診療室がある。ふうーん、そうなんだ。今日一日は、視覚障害ランナーのために開放してくれているらしく、中の部屋やトイレを自由に使わせてもらえた。こりゃあー、大変ありがたい。
 スタッフの人が、2階の一部屋に通してくれて、そこで用意されている朝食を自由にセルフサービスで、食べてくださいとのことだった。ええっ、本当に、いいんですか。温かいオートミールやコーヒー、冷蔵庫には、大きなボトルの牛乳やジュースがあり、テーブルの上には、クリームチーズや各種ジャムの大きな瓶詰めと、大きい食パンが沢山おいてあった。中でも大きなベーグル8個入りの袋詰めがボンボンと置いてあったのが印象的で、
アメリカの日常生活を強く感じさせてくれた。これは日本のパン屋さんには絶対に売っていなあーい!
 まだ他に誰も到着していなかったので、4人は貸し切り状態でゆっくり朝食を食べた。
のり子さんが、アメリカ家庭でのベーグルの典型的な食べ方だと言って、ドーナツ状のものを二つに輪切りにして、クリームチーズをたっぷりつけてから、また元の形に合わせて渡してくれた。
「ベーグルには、なんといってもクリームチーズなのよー!」というわけで、
なかなかおいしかった。
 まだ、7時半にもならない。あと四時間は1階の狭い部屋で待たなければならない。長いなあ。でも、一般のランナーは外で待たなければならないのだから、それを想えば文句は言えない。はいはい、我慢しまぁす。
 しばらくして高橋勇一さんと、奥様のよし子さんが到着したので、2階の朝食場所へ案内した。クリームチーズをつけるとベーグルがおいしいですよ。さっき聞いたばかりで、しげじいは、いつの間にここの住人になったのだろうか。
 その後、待合室で合流して、マラソンの話をしたり、記念撮影を一緒にしてもらったり、
ぎたあさんがくれたチョコレートをみんなで食べたりして、なんとか時間をやり過ごしていた。よし子さんは、眼科に勤めているとのことで、こういう施設には、興味があるに違いない。高橋勇一さんは9時半のウェーブスタートなので、8時半過ぎにはスタート地点に行ってしまった。快速ランナーたちは涼しいうちにスタートできていいなあ。
 その後ひまをもてあましていると、何人かの外国人ランナーが、日本に旅行したことがあるとか、以前、日本に住んでいたとか、懐かしそうに話しかけてくれた。日本食が大好きだとか、日本は安全できれいだとか、日本人は親切だとか、たくさんほめてもらった。てんぷら、すきやき、寿司が大好き。福島の小さな町に1年住んでいた。また日本に行きたい。東京マラソンに出たい。などなど…。とても楽しそうに話しかけてくれるので、いい印象をもってくれていることがうれしかった。日本だって、いいところばかりじゃないけど、話が複雑になるし、ここで愚痴を言っても意味がない。いいよ。いいよ。日本に来たら一緒に走りましょう。大歓迎しますよ。しげじいよ、あなたはなんてお調子者。
 10時半ごろになると、待合室の全員が外に出て、チームビジョンの決起集会が始まった。みなのもの出陣じゃあー!って、英語でなんて言うのかな。元気な会長さんがライトバンの屋根の上に載って激励し、雰囲気を盛り上げている。危ないよぉー。落ちないでねえー。何人かの選手が体験談を話す。世界中から集まった選手たちは、拍手や声援で応じ、楽しく盛り上がっていた。最期におおさわぎで記念撮影をして、各々がスタートラインに向かった。 ぎたあさんとのり子さんも頑張ってねー。
 スタートラインはすぐ近くのはずだが、選手数が多く、移動や整列のための規制もあって、なかなか知被けない。11時のスタートの選手たちを大声援で見送ってから、漸く15分スタート組の一番前の列に並ぶことができた。視覚障害選手と伴走者が、二人横並びで後ろから抜いて行くことは、とても難しい。だから、一番前に並んで、抜いてもらう方がいい。ずるしている訳じゃないですからね。
 スタート地点では、楽しい仲間たちのおかげで、明るく陽気な雰囲気が会場いっぱいにあふれていた。気分は爽やか。さあ、4時間切りを目指して頑張るぞ、オオーっ!
 もう、同じウェーブの人たちは移動しましたよ。えーっ、おいてかないでよー。

20.いざスタート

 スタート5分前、ここ標高約130mのポプキントンの丘は、広場となっていて、木々に囲まれて輝いていた。というか、初夏の強い日差しが、じりじりと照りつけている。ご近所のみなさぁーん、今日はとてもいい天気ですねえ。さすがに十一時も過ぎれば、一日の最高気温に近づく。やっぱり暑くなったなあ。とほほほほ。北海道北部と同じ緯度だと聞いていたから、寒さ対策しかしてこなかったのにいー。
 スタート1分前、さっき準備運動をした時、一瞬脹脛が痙攣し、ちょっといやな予感がした。なにっ?いやいや弱気は禁物、大丈夫何とかなるに違いない。どうってことないですよー。わぁっはっはっは。
 声を合わせてスタートのカウントダウンが始まった。5・4・3・2・1・スタート!バーン。さあ、出発だ。4時間切り目指してがんばるぞ。チョーさん、宜しくお願いしまーす。勢い良く飛び出そうと思った瞬間、長さんが
「前に人が詰まっていますので、スピードを落としてください。」
そんなバナナあ。一番前から出たはずなのに。
 少し走るとその理由が分かった。応援の人たちがあまりにも多くて、コースを両側から狭めているみたいだ。道幅はとても狭く、卒業式か結婚式の花道のように、両側から至近距離で声援してくれている。なんだこりゃあー。ものすごい応援だなあ。つまってますよぉー。走れないじゃないか。コースは、緩やかなカーブをかなりの傾斜で降りて行くが、
どこまで行っても応援の人垣は途切れない。始めからあまり遅いペースに慣れてしまうと、4時間切りは難しくなる。何とか隙間を見つけては、追越しを試みたが、疲れる割にあまり効果はなく、5km地点では30分もかかってしまっていた。予定タイムよりも3分近くオーバーだ。
 5km過ぎると、丘を下りきったらしく、幹線道路になって道幅が広くなった。やれやれ、これで少しはマイペースで走れるかな。何とか遅れを取り戻さなければ…、少しペースを上げることにした。幹線道路のワシントン通りは、ポプキントンの丘くだりほどではないが、やはり右に左にとても緩やかにカーブしている。また、高低差も、しばらく緩やかに下って、少しだけ緩やかに上るということを、1~2kmごとに繰り返している。平坦な道が続き同じ筋肉ばかり使うよりは、緩やかな坂の方がいい。単調なコースは、どうも苦手である。上りは下ってきた勢いで一気に駆け上がり、下りで少しずつスピードを上げるように心がけた。
 えへん、「上りで順位を上げて、下りで時間を短縮する」、これぞ必勝の方程式だ。わっはっはっはっ。山あり谷ありで適度に変化があり、飽きの来ないいいコースだ。チョーさんが、時々きれいな池や湖が見える。森を通ったり、町をとおったりを繰り返している。
応援が全く途切れないと教えてくれた。ここは大昔北米大陸氷河の底にあった地域なので、
氷が解けてなくなってしまった後は、僅かに波打つ起伏や湖が残されている。森と泉に囲まれて…、ああ、これはもうやめておこう。つまり、北欧と同じような景観が広がっているわけだ。 また、下り基調の幅広の田舎道は、カルフォルニアマラソンで走ったサクラメント郊外の雰囲気にも似ている。応援と自然がたっぷりあってすっかりこのコースが気に入ってしまった。
 10km地点では、55分で何とか予定タイムを取り戻した。いいぞいいぞ、この調子だ。しばらくして知らない街を通り貫けた。それから、いくつ丘と谷を超えただろう。チョーさんが給水しますかと聞いたので、それほど暑さも感じていなかったが、取ることにした。やはり給水すると少し楽になる。少しオーバーペースかもしれない。いやいや気のせいでしょう。
 15km、まだまだスピードは維持している。応援も途切れない。道幅も広いし、路面もきれいで荒れていない。まだまだ森と丘、町と湖のコースが続いている。地図の記憶からすると左側を、このワシントン通りに沿って、チャールズ川が、ゆったりと流れていることだろう。
 20km手前で、漸くホームステイ先のグリーンさんの家があるウェズリーという街まで来た。お二人とも応援に来ると言っていたが、この沢山の応援者の中で見つけられるだろうか。 また、ここには全米最古で、最高の学力を誇る、あのヒラリークリントンも卒業生だという女子大学がある。街に入り、さらに応援の人は増えているが、前方に何やらすごい騒ぎの声が聞こえてきた。キャーキャーという叫び声らしいが、すごい人数だ。何か大事件でも起きたのだろうか。ちょっと面白そうだなあ。遠くの方から聞こえてくるが、今まで聞いたことのないような絶叫で恐ろしいような感じさえする。その騒ぎに恐れをなしたわけではないが、少し走るペースが落ちたような気がした。疲れが出てきたのだろうか。チョーさんの走りもどこか重くなったように思えた。なんとかハーフポイントまでは行けるだろう、あとは粘るしかない。
 騒ぎはだんだん知被いてきて、その絶叫の大集団の中に突入することになるらしい。
ちょっと面白そうだなあ。何だか良く分からないから、一気に走り抜けてしまおう。3・2・1・それえーっ!キャァー、キャァー! 突然耳の中まで声が吹き込んで、鼓膜に突き刺さった。おおーこれはすごーい!こんなの初めてだぁー。鼓膜が破れそうだよ。これが世界一強烈な? ウェズリー女子大学の応援に違いない。お嬢様の大学ではなかったのだろうか。後でぎたあさんから聞いた話では、「キスミー!」、「ハグミー!」と叫んでいたらしい。女子大生の意地にかけても男子選手を振り向かせようというのであろうか。こんなじいさんまでその恩恵にあずかるとは、いやはや、かたじけない。どうぞ、お気遣いなぁク。アメリカに来る前に、伴走者のしのまるさんにここでぜひ写真を撮るといいよと聞いていたが、すごい迫力で立ち止まることなどとてもできなかった。先を急ぎますんで、失礼しまぁーす。しかし、声援はさらに大きくなってきた。
 老子様の教えに大器晩成せずという一説がある。とてつもない大きいものは見えない。とてつもない大きな音は聞こえない。とてつもなく偉い人には、いつまでもなれない。これぞ聞こえないほどの大きい音を聞いた初めての経験だ。そんなことはどうでもいいが、この応援体験は良い思い出になった。帰ったら話の種にしいーようぉっと。ああ、耳が痛いとくらくらしていると、ハイタッチの女の子と接触して、転びそうになってしまった。
あれれれれえー。よろよろよろ…。ここは早く抜け出した方がよさそうだ。どうせなら「ハグ」してくれた方が良かったのに!いやいや清きランナーは邪念を抱いてはいけない。メロスよ先を急ぎなさあーい。

21.アクシデントが起こる

 漸くハーフポイント近くにまで来たが、結局グリーンさん夫妻の姿は見つけられなかった。確か19Kmの保養センターあたりにいると言っていたはずなのだが、もう通り過ぎてしまった。
急に体が重くなって、呼吸も苦しくなってきた。あれあれ、なんかおかしいぞ。邪念を持った者へのたたりだろうか。冷や汗も出て来たし、右足の脹脛がひくひくしてきた。これはまずいことになるかもしれない。多少スピードダウンしても問題ないが、足が痙攣して走れなくなるのは困る。頼む何とか最後までもってくれ。
 そんな淡い期待もむなしく、夕立のようにぽつぽつ降り始めてから、土砂降りになるまでには、5分もかからなかった。突然右足が激しくぎゅーっと痙攣した。左足もピクピク怪しい。こうなったら覚悟を決めて一刻も早く対処するしかない。
 とりあえず立ち止まって、参加賞でもらっていた痙攣止めの薬を飲んでみよう。チョーさんが、薬を捜してポシェットから出すのにかなり時間がかかってしまったが、何とか飲むことが出来た。しかし、症状は悪化するばかりで効果のほどは分からない。塩だ!塩を飲めば治る。一番近いエイドに行ったが塩は置いてなかった。ああ痙攣なら、塩か芍薬甘草湯があれば一発で治るはずなのに。
 しかたなく最寄りのメディカルセンター(救護所)に行くことにした。急患ですよぉー。両足がつっぱってまぁーす。足を引きずりながら何とかメディカルセンターにたどり着くと、暑いお湯に溶かした薬をくれた。多少は塩分があるのだろうか。そうこうしているうちに、今度は、チョーさんの足も痙攣したという。やはり前半無理をしすぎていたのだろうか。いやいやチョーさんにとってはこの程度のスピードは、全く問題ないはずだ。暑さと水分不足が原因なのだろうか。
 メディカルセンターの方々なのか、それとも追い付いてきたぎたあさんとのり子さんなのか、とにかく3から4人の人が駆け寄ってきてくれた。その中に、予備の伴走者がいたらしい。チョーさんがどうして伴走(GUIDE RUNNER)のビブスをつけているのかとのかと聞くと万が一の事態に備えて走っているのだと言ったそうだ。我々のような事態を想定していたということか、なんてすばらしい運営体制なんだ!
 来てくれたのはデイビッドさんという背の高いがっしりとした若者だった。ボストンの北方にあるニューハンプシャー州近くの出身で、ボストンマラソンはすでに4回も出場しているという。当然、サブスリーランナーだ。伴走経験も5回あるという。彼は、とても気遣いながら慎重に伴走してくれた。
 しばらく歩いて行くことにしたが、なかなか痙攣がなおらない。仕方なくまた次のメディカルセンターで休むことにした。もう一杯、同じ熱いお湯に溶かされた薬を無理やり飲んだ。まずぅーい。さらに彼の持っていたパンやエイドで見つけて来てくれたバナナを食べてエネルギー切れにも対処した。これで何とか回復してくれれば良いのだが…。ここでは、脹脛のマッサージもしてもらうことができた。いくらかマッサージの効果があり、痙攣が和らいだので、ゆっくりなら走れるようになった。さあ、遅れを取り戻すぞ。
 ところが残念。走り出すとすぐに痙攣し、ゆっくり歩くように進んでも、しばらく行くと痙攣してしまう。あいててててっ。そういえば、以前にもこういう経験をしたことがある。あの頃は、塩の効果も知らなかったので、27㎞から42㎞までずっと歩くしかなく、6時間近く掛かってゴールした。
 まさか、そこまでは掛からないと思うが、なかなか厳しくなりそうだ。

22. 心臓破りの坂へ

 23㎞の直角に右折するポイントから、坂道が始まった。ここからは今までの下り基調ではなく、ニュートンの丘を越えることになる。今までは大陸氷河の底にできた地形だったが、これからは、大陸氷河の周りにできた地形で、岩石や瓦礫が堆積した丘になるのだ。
氷河地形では、これをエンドモレーント呼ぶらしい。ボストンもニュートンも海岸に隣接している丘は、この地形のようだ。以上、しげじいの役に立たないワンポイント講座でした。
 というわけで、ニュートンの丘の4つの坂の最後には、あの心臓破りの坂が待っている。
2月と3月には階段昇降を毎日してきたから、普通ならこの程度の坂は苦にはならないが、
今はだまし、だまし行くしかない。
そういえば、宮古島のウルトラマラソンでは、前半の50㎞を5時間で走り、そこで暑さから脱水症状起こして痙攣してしまい、後半の50㎞を10時間で歩いたことがある。あの時も、座ろうとするだけで全身が痙攣してしまうので、歩き続けるしかなかった。ここでも時間さえあれば、完走はできると思うが、何時間後にゴールできるのだろうか。
 最初の坂はかなり傾斜があったが、そんなに長くはなかった。歩幅を小さくして、何とか登り切った。丘の上に登ってしまうと、何となく平坦な面に出た。ここで漸く25㎞になった。やれやれ…。このまま1㎞10分のスローペースなら行けるのではないか。新しい状況に少しずつ慣れてきた。
 いくつ目の坂だったろうか。デイビットさんが「坂を登りきったところに消防署があって、その横に女神の像があるんですよ。」と教えてくれた。
 しげじいは「ふうん、こんな所にも自由の女神像があるのか。」と勝手にイメージを膨らませて、いわば心の目で見ていた。自由の女神なら、東京の お台場にだってあるぞ。小さいけど…。女神さまには子どもが沢山いるのかもしれない。いつのまにか追い付いてきたチョーさんが、その女神像はどこにあるのか捜したのだが、見つからなかったと言っていた。どうやら違う方向にあったらしい。見えない人に見えて、見える人に見えない、神秘的な女神さまである。ライン川の裸の美女ローレライでもあるまいし、見た人は完走できないとか何とか…。そんなことないよねえ。しげじいは全盲ですから、決して見ていませぇーん。ただ、ちょっと妄想しただけでぇーす!
 暑い暑い、すると台地の上にもなんと大きな滝があるのか、水しぶきの雨を降らせていた。こんなところに滝はナイヤガラ。チョーさんが、「あれは暑さに苦しむランナーのために、高い水圧の消火栓を開放して、霧状の水しぶきを飛ばしていたんですよ。」と後で教えてくれた。それは何と、いきな計らいでござる。もっと浴びればよかった。
 また、ニュートンの丘の上には、大きな池や草原もあるらしい。池に飛び込みたい。草原に寝ころびたい。牛に乗ってゴールまで行きたい。獅子舞に頭を噛んでもらいたい?
 しばらくして、あの有名な心臓破りの坂に差しかかった。少し長いが、傾斜が緩いので、思ったほどのきつい坂ではないと感じた。だが少しでもスピードを上げようとすると両足に痙攣が来る。おうっとっとっとと、無理は禁物、だましだまし行こう。
 聞くところによると、この場所には、「心臓破りの坂」という名のスポーツ用品店があるという。何処の国も商魂たくましいですな。絶対、芍薬甘草湯は売ってないだろうけど…。
塩のタブレットぐらいはあるかもしれない。
 またデイビットさんが、「いいことがありますよ。」、ええっ、どんなこと…、「おめでとうございマース。30㎞でぇース。あと10㎞ちょっとですよー。」と励ましてくれた。彼は、今まで経験した伴走者の中で、一番紳士的な伴走者である。というのは、「少し右に寄ってください。サンキュー ベイリー マッチ」、「左に曲がります。ありがとうございます。」、
「給水に寄りましょうか。ありがとうございます。」と、とても丁寧な言葉遣いと態度なのだ。こちらが申し訳ないくらいである。

23. 遠いゴール

 30㎞を過ぎると、広々と見渡せそうな長い下り坂になった。ボストン市街地の遠望が頭に浮かぶ。これはありがたい。だいぶ楽だ。漸くニュートン(ニュータウンが変化したとも言われている)の丘を越えたのだ。これからはボストンの市街地に向けてまっしぐらだ。
人間は、どうして高いところが好きなのだろう。丘の上にはお金のある人たちが集まってくる。そして高級住宅が建てられ、山手地区のようになることが多い。ニュートンは全米一の安全な街だそうだ。デイビットさんが、何度も「あなたは、とてもシリアスだ。」というのだが、その意味が良く分からない。余裕がなくて不愛想に走り続けているので、なんでそんなに悲壮なまでに頑張るのかとでも、言っているのだろうか。何と言われようとも、ここまで来て、完走もせずに帰ることはできない。メダルだよぉー、メダルが欲しいよぉー!
グリーンさんにはお世話になっているし、昨日は、総領事に感謝状までいただいたというのに、予想もしなかった残念な結果で、面目ない限りである。ああ、しげじいょ。君の行く道は果てしなく続く。なのになぜ君は行くのか走るのか。いやいや、走ってませぇーん。殆ど歩いています。申し訳ない。合わせる顔がない。何でこんなことに…。
 国破れて山河あり、城春にして草木深し…。左遷せられて欄干に至り、チャールズ川を見る。なんかおかしいかなあ。とうとうしげじいも、完全におかしくなった。いやいや、元々おかしかったから、何の心配もない。
 下り坂でゴールに近づいていると思えば、気も楽になってきた。この辺りは、ボストン大学があり、学生の応援がすごい。でも、男子の学生もいるので、「キスミー、ハグミー」とは言ってくれないだろう。いや行ってほしくないだろう。もう、それどころではない。願いは一つ、完走あるのみ。ふくらはぎさまのご機嫌次第だ。ふく ふく ふく ふく ふくらはぎぃー。頑張れぇー、がんばれぇー、ふくらはぎぃー。
 ボストンには、沢山の大学があり、ボストンマラソンを盛り上げているだけでなく、
ボストン市の経済にも大きく貢献している。なんと人口の約3分の1は学生だという。これからは、しげじいさん、改め、しげにいさんにしようかな。若返り玉手箱!ドラえもん、頼むよぉー!
 これまでも応援が途切れたことはないが、市街地に入ってきて、ますます人垣が多くなってきた。チームビジョン! チームビジョン!と一生懸命叫んでいる。それって、もしかしてしげじいのこと。情けない有様なので、そんなに応援しないでくださぁーい。
もちろん、精一杯頑張ってまぁーす。
 長い坂を下り終わると、35㎞地点になった。ここでまたチャールズ川と合流するはずだ。
しばらく行くと、路面電車の踏切を立て続けに何本も横断した。街の雰囲気は、ケネディー大統領の生家があるブルックラインに似ていた。またまたデイビットさんが「踏切です。線路をまたぎまぁーす。ありがとうございました。」と丁寧に誘導してくれた。この辺りで枝分かれしていたグリーンラインが一つにまとまるのだろうか。応援もなんだか下町の雰囲気を感じる。段々賑やかな繁華街にやってきた。どこかで見たようなところだぞ。あれあれ今度は昨日来たフェンウエー球場の横を通っている。やっぱり野球観戦で、運を使い果たしてしまったのだろうか。グリーンモンスターが恨めしい。いやいやグリーンさんにはお世話になっている。グリーンラインはどこへ行く。
 ここまでくると毎回エイドによって、水を飲んだりかぶったり、水も滴るいい男。
汗も滴る臭い男。くさーい。あっちに行けぇー!
 また、しばらく行くと今度はパブリックガーデンやコモン公園に通じるビーコン通りに入った。もうここは、間違いなくボストンの中心街である。高層ビルや歴史的建造物が立ち並んでいるはずだ。早朝のランニングは気持ちよかったなあ。デイビッドさんがまたまた、「おめでとうございまーす。40㎞でぇーす。ありがとうございます。」と、励ましてくれた。
 ビーコン通りから分かれて、さらにチャールズ川沿いに行くと、今度は、地下鉄レッドラインのハーバード橋のガード下をくぐり抜けたここはボストンに到着した夜に空港から地下鉄で着いた場所だ。あの監獄を改築したリバティーホテルも近くにあるのだろうか。
一晩、留置されただけで、釈放されてよかった。
 ゴールまではあと1㎞と少しだという。その言葉を何千年も待っていました。しげじいよ。あなたはランプの妖精なの。ココで直角に右折し、300~400ぐらいで、また左折した。
ゴールするフィニッシャー(完走者)を祝福するアナウンスも聞こえて来た。このまままっすぐに行けばゴールらしい。あとほんの少しである。きっとそのはずである。公園内の道なのか両側ともすごい声援なので、かっこよく最後だけでもラストスパートをしようかとも思ったが、全く足が動かなかった。やっぱり無理か、だめなのか。
 しかも意外に距離があって、なかなかゴールにならない。おお最期まで神様は意地悪をするのだろうか。これは試練なのだろうか。疲れているためか足を引きずって走っていると、約1㎞がとても長く感じた。早く楽になりたいという気持と、最後ぐらいは楽しもうという気持ちがあった。気分を変えて周囲の様子を観察すると、どこかとても懐かしい感じがした。初めての場所なのに、うんと昔に来たことがあるような気がする。今まで出場したどの大会とも違う、とても懐かしい感じなのだが、なぜそう思えるのかは分らない。
早朝にパブリックガーデンを走ったからか、ボストンという町がそう思わせるのか、チームビジョンのみなさんや、グリーンさん夫妻、伴走のデイビットさんと親しくなれたからなのか…。
 ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、というゴールタイムの計測器の音がだんだん大きくなってきた。いよいよゴールの瞬間だ。デイビットさんとチョーさんに挟まれて、三人で手をつなぎ「バンザーイ!」をしてその瞬間だけ何とか笑顔でゴールすることができた。
完走だぁー!チョーさん、ありがとう。デイビットさん、ありがとう。
デイビットさんが、健闘をたたえてハグをしてくれた。お疲れさまぁー!
二人とも塩が吹いてざらざらだった。いまごろ塩があっても遅い。お世話になってばかりの日米友好だったが、本当に良い人にあえて、良い思い出になったと思う。ありがとうございました。お礼の言葉を言おうとしたが、サンキューを繰り返すだけで、他には何も言えなかった。

24.うるさい夕食

 ゴール前も、ゴール後も、疲れとしては何の変りもないが、これからは回復させるだけでよいと思うだけで、安堵感がある。若い女の子が完走メダルをかけてくれた。高校生だろうか。それからビニールのガウンを手慣れた手つきでかけてくれた。17時近くなっていたので、だんだん寒くなってきている。
 こうして長かったフルマラソンがようやく終わった。いやはや参った、参った。少なくとも3カ月は休まずに練習し、体重を8キロ減量し、体脂肪率を17%から11%に落として臨んだボストンマラソンだったが、不本意ながら、その厳粛な結果がこんな形で出てしまった。やれやれ。
チョーさんが、時計を見て、5時間27分40秒(公式記録は5時間27分10秒)と教えてくれた。ガーン!な、なんと5時間以上かかっていたとは…。とほほほほ。せめて5時間は切っているだろうと期待していたのだが、予想以上に遅かったなあ。がっくり。練習は裏切らない。なんて誰が言ったの。やり過ぎで疲れが残っていたのかもしれない。というか、所詮にわか作り。数字上で帳尻を合わせても、数字の評価ほどは体がついてきていなかったのだろう。もう終ってしまったものは、取り返しがつかない。早くシャワーを浴びて、ギターさんや高橋勇一さんの所に行こう。
 ところで、最終ウェーブからのスタートで、5時間半もかかってゴールしたにもかかわらず、まだまだ選手たちが続々とゴールしている。参加資格は厳しくても、ゴールタイムは緩いようだ。
 今回のしげじいの挑戦は、大失敗だったが、その分、次に参加する人には、ハードルが下がったのではないだろうか。5時間の参加資格タイムさえクリアできれば、誰でもボストンマラソンを楽しむことができる。きっと、皆さんはもっといいタイムが出ますから、安心して挑戦してください。ボストンマラソンは、世界一走り易くて素晴らしい大会。23㎞までの森と湖、23㎞から33㎞までのニュートンの丘33㎞からゴールまでの市街地というように、3つの変化があって面白い。もし興味のある人がいたら、是非ともお勧めしまぁーす。
 しばらくデイビットさんがついてきてくれていたが、彼の仲間のテントがあったらしく、ここで卒業です。「グラディエーション」と言って去って行った。さわやかな若者だった。
 その後、しげじいとチョーさんは、チームビジョンのテントを捜したが、どこにもなかった。おかしいなあ。ないぞ…。荷物がないとどうにもならない。荷物さんは、どこへ行ってしまったの。あまりにも遅かったので撤収してしまったようだ。
 仕方なくシャワールームのあるパークプラザホテルに行くことにした。パークホテルに着いたのは、ゴールしてから30分ぐらいもかかっていた。シャワールームは、チームビジョンで一部屋借り切ってあり、選手たちはどんどん交代で使わせてもらっていた。そこに着替えの荷物も持ってきてくれていたので、これは助かった。荷物よ、おまえは、こんなところにいたのか。
 しかし、もう最後の利用者だったため、シャワールームの中には水浸しのタオルがいっぱい置き去りにされていた。スタッフのみなさんが、献身的に後片付けや清掃をしていたので、頭が下がる、いろいろすみません。お世話になりました。
 その後、高橋勇一さんの部屋を捜したが、なんと同じホテルの1階上の階であった。
疲れていたので、これはラッキーだった!
 高橋勇一さんの部屋に着くと、もうとっくに酒盛りが始まっていて、先にゴールしたみなさんが、楽しそうに話していた。遅くなりましたアー。
 チームビジョン主催の夕食会に行きませんか。無料みたいですよ。それはいい。 6人は、早速、その会場に行くことにした。フェンウェー球場そばの居酒屋へは、近いというので歩いて行くことになったが、元気な四人は、どんどん歩いて行ってしまう。
しげじいとチョーさんは、すぐに遅れてしまい、とうとう姿が見えないほど離されてしまった。自覚症状はないのだが、やはり疲れていて大変歩きが遅いらしい。もしもし亀よ、亀さんよ。のり子さんが、心配して二人を待っていてくれたので、なんとか迷子にならずに済んだ。
 30分ぐらいは歩いたような気がする。漸く夕食会場に辿り着けた。夕食会場の居酒屋さんは、すでに大騒ぎになっていた。うるさくて会話がほとんど聞こえない。のり子さんが気を効かせて沢山の料理を注文してくれたが、ご自身は殆ど食べないうちに、時間だということで先にニューヨークに帰ってしまった。ありがとう。のり子さん、お世話になりました。
 その後、続々と料理が出てきたが、疲れのためか、あまり食べられずに、眠くなってしまった。何とか頑張って食べてはいたが、三人は欠伸パクパク、空気ばかりを食べていた。
あまりにもおしゃべりの声がうるさいため、早々に切り上げて帰ることにした。
 スタッフの人にタクシーを頼んで、店の前で待っていると、外で警備と案内役をしていたローラさんが、いろいろと気を使ってくれた。彼女は、飲み食いもせずに、お店の外で、
このような役割を果たしてくれているのだった。ありがとう、ローラさん。お世話になりました。
 漸くタクシーが来て乗り込むと夢心地でグリーンさん宅に帰った。さすがは車社会。料金は高いが、早く着くし本当に便利だ。優しいグリーンさん夫妻は、出迎えてくれたが、三人の眠そうな表情を見て、「疲れているでしょうから、早くお休みなさい。」と言ってくれた。
こうして、この旅行のメインイベントの一日は終わった。しげじいは疲れ過ぎたのか、不がいない結果のためか。うなされて、なかなか眠れなかった。ああ、こんなはずじゃあなかったのに…。帰国後、チョーさんにマラソンのことを聞いたら、「あれは悪夢だった。」の一言だった。

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