備前国夢物語

光あふれる備前の国での一期一会、記録に記します。

お城に白と黒があるのはどうして?

2008年02月05日 | 備前の歴史話
譜代は白、外様は黒?

岡山城は烏城と呼ばれるように黒、姫路城は白鷺城と呼ばれるように白。

子どもの時に、姫路みたいにかっこいい真っ白な城だったらいいのにとうらやましく思った。

そうして、学校の先生に「岡山は外様大名だから白を許されなかったんだ、関ヶ原で敵対した罰に黒くされたんだ」(関ヶ原以前に建ってるし、その後の池田家は敵対してない)なんて全くのでたらめを吹き込まれて、変に引け目を感じてたりした。

本当のことが知りたいとずっと思っていた。先日からお城研究を長くしている人の文化講演会に出たり、図書館で本を読んだりしているうちに謎がとけてきた。


時代の差

おおざっぱに言うと時代の差。

黒いのは「下見板張り」といい、板に柿渋と墨を混ぜたものをぬって、雨風にそなえたもの。(大阪城、岡山城、広島城は黒漆塗下見板張り)

江戸の世になった頃「塗籠」と呼ばれる石灰に麻を混ぜ込んだもので白くする城が登場した。
漆喰の技術が進んだため外壁に使うことができるようになったらしい。
そういえば関ヶ原以前の城は黒いなあ。

外壁としての機能の高さは黒い下見板張りの方が優秀らしい。白い塗籠は10年と少ししか持たなくて修理が必要になるとか。

江戸城も10年で白壁が落ちたので、その後は銅板張りにしてしまったらしい。家光の時大火で失い、それ以降江戸城は天守をもっていない。赤穂浪士の映画とかで、江戸城に登城!と言いながら天守閣が映ったらそれは時代考証の不備。もちろん大奥ものでも同じです。


それでも白が多いのは?

秀吉の大阪城が黒い漆で仕上げられ絢爛豪華でした。家康は大阪方をしずめると満を持して江戸城を築きあげます。

その大きさは大阪城を遙かにしのぐ大きさ。そして黒い漆塗りに対して、全面真っ白な漆喰で仕上げた。人々はその清潔感あふれる白い天守を見上げて、徳川の政権になったことに好感を抱いたらしい。

それいらい、白いお城の持つ、シンボルとしての役割の大きさから、費用がかかっても白を保つ藩が続出した。

豊臣政権に対しての白なら、それなら、外様は黒という説もあながち嘘では無いのかもしれない。


最新の画像もっと見る