とりあえず行けるとこまで〜Ryoji Harada〜

2016年4月5日よりバンコクin、兄のいるセネガルのダカールを目印に、飽きるまで。
只の旅の記録。

【プリーまとめ】持ち物リストに追加したいもの

2016-10-14 16:00:18 | 日記
ヨガのプログラムを終え、その翌日からはコルカタから来るノンカースト(カーストが与えられていない、階級で言うと下の下)の子供達(16〜21歳)のスタディーツアーのガイドをする機会をもらった。

一言で要約すると子供達の圧倒的なパワーに飲み込まれながら、彼らからは「うだうだ言ってねぇでとにかく生きてみろ!」といったメッセージを受け取った気がする。

プリーでの生活もまもなく終わりを迎えようとしている。
ヨガ生活の記憶も薄れ始めているのでその辺も含めて適当にまとめてみようと思う。



1.終わりはいつも呆気ない

数多のいざこざや個人的な悶絶を繰り返したヨガ生活だった。カレンダーを見て、今日の曜日を確認して、プログラムの終わりを目指して日々を消化して、最後には金八先生的な壮大なエンディングが待っているのかな、と思ったりもしたが、実際終わってみれば至極あっさりしたものだった。

だからどうというわけでは無い、
ネパールでアンナプルナのベースキャンプに登ったときもそうだった。
ガクガクの膝で最後の川を渡ったら、タクシーと思われる車が待っていて、一瞬で値段交渉を終えそそくさと車に乗り込んだ。
「この壮絶な5日間のエンディングがこんなにあっさりしていて良いものなのか…」なんてことを思ったりしたが、そうなんだから仕方がない。

終わりが必ずしも盛り上がるわけではない、
笑いあり涙あり爽快感ありといった流行りの映画みたいにはいかないけれども、思えば別に盛り上げなければいけないわけでもない、
僕はよくある「普通はこうなるよね」というイメージにとらわれていた気がする。

最後なんか盛り上げなくたっていいんだ、
やりたいようにやればいいんだ。
なるようになった結果をただただ受け入れればいいんだ。

それでも感じてしまう、若干の後ろめたさと共に、そんなことを思っていた。


2.必ず悩む、そして悩むのは必ず終わる、さもなければくたばっちまえ

軽く上記しているが、ヨガプログラムの途中では何度も何度も悶絶する機会があった。
必要以上に人と関わったり、その反動で人と距離を置いたり、飲みたくもない酒(基本的には酒は好き)を飲んだりしながら、確実に自分が自分で無くなるような感覚を覚えていた。

今思えば「俺はなんであの時あんな行動を取ったのだ」などと思うこともあるのだけれど、その時の僕は超本気で、だからそれでよかったのだと開き直っている。

本気でやっている自分を感じたら、誰がなんと言おうとやらせてあげたい。

本気の自分に世間体や理由や正しさは不要だ。
それで自分の心の位置がズレてしまって、気持ち悪さを感じてしまう時もあるとおもう。

そんな時、僕は薄暗い部屋で1人になって体育座りしながら「Funny Bunny」なんかを5回くらい連発して聞けばある程度自分を取り戻すことができる。

いざとなった時に1人になれる時間や1人になれる空間がすぐに作れる状況に身を置きたい。

逆に言えば、それさえあれば大概の事は解決できるのだと思う。

今、目の前にあるものが全て悲劇だとする。
本当にそうだろうか?
1人になって、好きな歌を歌って、好きな道を歩きながら、今ぶち当たっているモノをもっと引いて(長い目で)見てみると実は類い稀なる喜劇だったりすることもあるんじゃないのか、そんなことを思ったりしていた。

人と関わりを持てば必ずと言っていいほど悩む。
そして、悩むのは必ず終わるのだと思う。

もし、それでも解決できなかったらいっそくたばるしかないとすら思う。

一回くたばって、大切に守ってきた自分を粉々に砕いてもらって、不死鳥みたいに生き返ったほうが気持ちいいかもしれない。

ポーカーでいうところの、カード全とっかえみたいなもので、人間1人の容量なんてたかが知れているのだから、もうそこに未練を抱いても仕方がない。
本当にダメなら1度くたばって、そこにできた隙間へ新しい何かを流し込んでいきたい。

くたばってもいいんだ。
「救ってくれ!」という最後の叫びが届かなかった時は、僕も是非一度くたばってみたい。


3.用意周到という名のワナ

コルカタから学生達が来たのは、ヨガプログラムの翌日であった。
なんだかんだ言って少しドタバタしていた僕は、
そのツアーのガイドを、とてもじゃないが「用意周到」とは言えない状況でスタートさせた。

お客様を迎えてガイドする立場にもかかわらず、
よくわからないことだらけでツアーをスタートさせてしまった僕は、ひとまず「誰よりも『俺』が1番楽しむ」という自己中心的なルールを決めて臨んだ。

事前に用意して頂いたスケジュール表(これがなければ今こんなこと言えないくらい助かった)があったのでスケジュールに沿って進めていく。
しかし、どうしても時間通りにいかない時があったし、あるはずのモノが用意できなかった時もあった。
それでも最後的にはなんとかなった、日本のことわざに「終わりよければ全てよし」というのがある。

僕は「昔の人、本当にそれです、ありがとう」と思っている。

逆にビッシリと予定を立てなかったからこそ良かったというのも沢山あった。
交流会、レクリエーションなど、僕が埋める予定だったスケジュール表を白紙のまま挑んだ時、その余白には子供達が勝手に彼らの楽しみ(とにかく海で遊ぶ、爆弾ゲームをするなど)を詰め込んで楽しんでいた。

僕の中にもあったのだが「何かをするには入念な事前の準備が不可欠なのだ」という空気が溢れている気がする。

しかし、完全な準備など存在しない。
スケジュール表の余白を埋めるために僕らは実行するのであって、事前にスケジュール表を埋めてしまった先にあるのは「ただ、息苦しいだけのプレッシャー」になってしまうような気がする。

サッカーのルールブックや戦術の本をいくら読み込んでも、やってみなければサッカーの本当の面白さはわからないし、インドの面白さを詰め込んだ本をいくら読んでも、実際一回行ってしまう破壊力には敵わない。そんな感じだ。

極端な話、入念な準備なんて必要ないのではないかとすら思う。いろんな事を想定して、保険をかけて、おそるおそる行動に出る、時として準備の段階で恐ろしくて行動に移せなくなる時だってあると思う。
そうなってしまっては本末転倒で、
とにかくぶつかって、それから考える。
目の前にある壁に全力でぶつかったほうが、フットワークも軽いし、充実感もある。

なにより「なぁんだ、なんとかなるもんだな」という事を心と身体の両方で感じることができる。

どんなにたくさんのモノを持っていても、たくさんの金や土地を持っている僕ら日本人は、
精神的な余裕を忘れてしまう時があるのではないか。

ビッシリと詰まったスケジュール表が必ずしも悪いわけではないが、どこに行くにも何をするにも精神的な余裕は持っていって損はないと思う。

いっそのこと持ち物リストに「心の隙間(精神的な余裕)」と書きたいくらいだ。



4.問題を問題とするから問題

スタディーツアーのスケジュールに「ビーチでバーベキュー」というものがあった、準備の段階でわずかなトラブルがあり、やれ網がない、肉がない、値段が高い、遊ぶためのボールがない、コレは問題ではないのか?など、そういう話が出た。

しかし、そんな事でガヤガヤいうのはいつも日本人の方で、彼らはワイワイ言いながらそこにあるご飯をそそくさと平らげ、目の前の海にダイブしていった、彼らは目の前にあるもので楽しむ天才で、僕はいつも学ばさせてもらってばかりだと、そんな事を思っていた。

大前提があるのだ、生きてる事そのものが面白いという大前提を彼らは教えてくれているのだと思った。道具、場所、カネ、etc…ノンカーストの彼らにはその他大勢の人がある程度持っているモノを持っていないかもしれない、でも生きてる事そのものが最高の喜びである事を知っている。それを忘れてしまい束の間の喜びを模索し続ける我々に上も下もない。

問題を問題とするから問題となるのであって、
今あるもので全力で楽しむ姿勢にはどんな道具もかなわない。

身体一つで十分なんだと思う。
喜びを作り出す脳みそはすでに備わっていて、新しくて素晴らしいもの(最近僕はそれを「ワーオ!」と呼んでいる)を目の当たりにする眼だって持っているし、好きな音楽や風の音を聞く耳も持っている。好きな人を抱きしめる手を持っているし、海に向かって走り出す足も持っている、太陽の光を感じる肌もあれば、好きな人に好きと伝える口も持っている。

僕たちに必要なものは既にこの身に全部そろっているんだな。
なんていうか彼らには教えられる事ばかりだな。
そんなことを思っていた。



5.なんとかなるように出来ている

今回のスタディーツアーではとにかく多くの人に助けてもらった。
ベースとなるスケジュールは責任者のS氏に用意してもらっていたし、当日の車の手配はインド人スタッフに全てしてもらったし、バーベキューの準備なんかは泊まっている宿のスタッフに丸投げだったし、交流会では僕らの後に来たプログラムメンバー(わかりやすく言うと僕の後輩となる人達)がいなければ盛り上がりは半減どころではなかっただろうし、「お別れ動画」なんていう、とてもじゃないけれど僕には作れない代物を同志は速攻で作成してくれたし、なにより子供達の「俺が(私が)一番楽しむんだ!」という気持ちが僕たちをも楽しくしてくれた。

スタディーツアーのホストをしながら、
「おれは剣術がつかえねぇんだこの野郎!」
という漫画ONE PIECEのワンシーンを思い出していた。

船長のルフィは料理も出来ないし、航海術もできないし、ウソもつけない、誰かに助けてもらえなければ生きていけない自信がある。

そんな感じの事を言っていた気がする。

「じゃあ、そんな能なしのお前に何ができる?」

相手であるアーロンのそんな問いに対して一言。

「お前に勝てる」

大袈裟だけれど、こんな気分だった。

僕は僕にできる事をやりたいようにやればいい。
きっとどこかでそれに賛同してくれる人が救いの手を差し伸べてくれる。

差し伸べてもらえなかったら、、、
その時は、一回くたばっちまえばいい。

それでもなんとかなるように、きっと上手くいくように世界は出来ているんだと思う。


6.やってみた先にはだいたい「なぁんだ、出来るじゃん!俺」と思える

今回ヨガも、スタディーツアーも初めての体験だった。やる前は怖くなかったのかと言われれば、「そりゃ怖かったっすわ!」と言うと思う。

バスキングというのをしてみた時もそうだったが、普段はやらない事をしたり、少し恐れていた事をやりきった後というのは、「なぁんだ、やれば出来るじゃん」と思っている自分とそれなりに高い確率で出会うことが出来る。

始める前の自信なんて無い、初めてなんだから当たり前だ。やってみて「なぁんだ、やれば出来るじゃん」と思いながら自信というのは出来ていくんだと思う。

自分の中の常識が膨らむ瞬間の中には得体の知れない喜びのようなものが内包している。
少し怖いものの先には「コレに会いたかったんだなぁ」という事が頻繁に待っている。

自分を見くびってはいけない、
世界には自分の知らない世界が大量に転がっているのだと思う。

時にそれは爆弾だったり、毒草だったり、美人局だったりするかもしれない。

そんなものに、「うぐっ…」となりながらも、
不死鳥のように蘇り、悶絶して、砕け散った心をセロハンテープ止めてみたり、剥がれたらガムテープで止めてみたり、それでもダメならアロンアルファでくっつけてみて、「ああっ!くっつける場所間違えた!」となり、戻せないからもう一回ぶっ壊しては作り直す。

そうした先に、他の誰でもない「自分」が出来ていくのだと思う。

特別な事をする必要も特になくって、
僕は基本的にビビリな性格なので少し怖いなんてものは目の前にゴロゴロと転がっている。

それに手を出してみるだけで人生は勝手に充実してくれるのかもしれないな。

と、そんな事を思いました。









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