そっけない魚と、まるい葉っぱ。

おしゃべりが、とても下手なのです。

捨てられない、らしい。

2017年03月14日 20時58分54秒 | 日記
昨春、大きい手術の退院後に 母が東京から駆けつけてくれた。
その母も年寄りの域なので、飛行機に乗ったり、
その後に長いバス路線を使わせたりする体力を案じたけれど
最寄り駅に現れた母は、案外元気そうだった。

毎晩のように私の目の前で、缶ビールをひと缶干して、
「へぇぇ」と言いながら
台所や寝室周りを眺めていた。

その 「へぇぇ」は、母にしては珍しい感嘆詞であり
なにが「へぇぇ」なのかが、よくわかっていなかった私だった。


今回、久しぶりに東京の実家に帰り、母の台所を見て眉がひそんだ。

なんだか。ものが増えている。
爪楊枝とか、割りばし。
プラのスプーンに、ビニール袋。

コンロには常に、何かしらの鍋があり
作業台の部分には、和食器が積み重なって
面積を占領していた。

その端っこに母はまな板をのせ、
食材を刻んでいる。

以前はもう少し、さっぱりしていた気がする。

目をあげると、備え付けの食器棚は
奥の壁が見えないほど、ぎっしり皿が
詰まっている。

使うのは、ごく手前の数枚のみ。


なぜ、処分しないのだろう?
と、口を出さずに毎日眺めていた。

よくよく酒器だの、急須だのを見てみると
実は、祖父母の代のものだった。

急須などは、ふたが欠けたために
使わずにつくねたものが
いくつも食器棚の中に鎮座していた。

お茶が飲みたい、と言った私に
母はその急須のひとつを差し出した。
これを使ってくれる? と。

常用している急須は階下の父のいる、
店舗におろしてしまっていたのだった。

わかった、と受け取った急須を
さっとゆすごうとして中を光に照らしたところ

つい 「発掘された土器みたい」 と

言ってしまったほど、何か垢状のものが
内側に幾重にもこびりついていた。

「じゃ、捨てなさいな。」 と母は言った。

やっと、捨ててOKのサインが出た。
私は食器棚の中にあった、ふたの無い急須を
すべてチラシにくるんで、

ゴミ袋の奥の方へ突っ込んだ。


「この巨大な杯とか・・」
まだまだ食器棚の中にあるものを見ながら
処分しないの? と聞いてみた。

もう余力が無いのなら、私の滞在中に
出来る範囲で やるよ、と言うと

いいの。いいの。 と
まるでやる気のない様子。

母が、というより
父が、両親である祖父母の残した物々を
捨てさせようとしないらしいのだ。

それでは、無理だなぁと納得がいった。
父の意は、この家では絶対なのだ。

父が気づかないうちに処分を進めるのは
容易ではないし、

都会の真ん中で
都合よく引き取ってくれるサービスとか
処分系に疎い母には、

埋もれるほどのモノに囲まれて
生活していることになる。

正直、気の毒だった。

もっと余白だの、風通しよくだの出来るのに
それをさせないのは、父なのだから。


私の家の、スッカスカ状態をみて
「 へぇぇ 」 を発した母。

物が無い状態の 気持ち良さを
はじめて知った驚きだったのだ。

しかし。
いよいよの時の、実家の処分を思うと
何日かかるのだろう、と
ぞっとする。

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