その日のウルグアイ、プンタ・デル・エステの朝の太陽は
どんよりとした日々が続くなかめずらしく清清しくサンサンとして力強かった。
ウルグアイを代表する現代芸術家 カルロス パエス ビラロ(90歳)が他界した。
どんよりとした日々が続くなかめずらしく清清しくサンサンとして力強かった。
ウルグアイを代表する現代芸術家 カルロス パエス ビラロ(90歳)が他界した。
移民国家、白人国ウルグアイに生まれ、ペドロ・フィガリを尊敬しそのアイデンティティ―を
求めて、欧州、アフリカを放浪。白人では初めてとされるモンテヴィデオのコンベンティ―ジョ(黒人長屋)に足を
踏み入れ、暗闇かつマイノリティの黒人のカンドンベ文化に陶酔。そこにウルグアイを再発見。数々の絵画、彫刻を生み出していく。
一方プライベ―トでは、6人の子のうちの一人が「アンデス航空機事故 ウルグアイ空軍機571便遭難事故」にあい、
月となって息子の捜索活動をした。
求めて、欧州、アフリカを放浪。白人では初めてとされるモンテヴィデオのコンベンティ―ジョ(黒人長屋)に足を
踏み入れ、暗闇かつマイノリティの黒人のカンドンベ文化に陶酔。そこにウルグアイを再発見。数々の絵画、彫刻を生み出していく。
一方プライベ―トでは、6人の子のうちの一人が「アンデス航空機事故 ウルグアイ空軍機571便遭難事故」にあい、
月となって息子の捜索活動をした。
プンタ・デル・エステの彼の工房、自宅兼ホテル「カサ プエブロ」はウルグアイいや
南米では夏の象徴・彫刻の居城としてもしられる。50年近くにわたって彼自ら手を加えた居城は、
プンタデルエステで最も美しい日の出が望める終の棲家となった。
その自宅リビングに招かれたとき、「かつて日本へ行ったのは黒澤作品がすきでね・・・」と楽しそうに
話して頂いたおおらかな笑顔が印象的だった。
南米では夏の象徴・彫刻の居城としてもしられる。50年近くにわたって彼自ら手を加えた居城は、
プンタデルエステで最も美しい日の出が望める終の棲家となった。
その自宅リビングに招かれたとき、「かつて日本へ行ったのは黒澤作品がすきでね・・・」と楽しそうに
話して頂いたおおらかな笑顔が印象的だった。
Gracias por COBEC
南米の日出つる国ウルグアイ、SOL NACIENTEソル・ナシエンテで生きたカルロス・パエス・ビラロ Q. D. E. P.
現地25日午前国会議事堂にて葬儀 Q. D. E. P.