イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

存在を認めるということ

2016年08月26日 01時02分58秒 | Art (ラメ)



太陽にめいっぱい顔を向ける花たちのような
計算されていないピュアな優しさや温もりは心地良く自然に惹かれるものですね。

思います。

異性同性問わず強い者どうしというのは添わないように思わされます。

この世に舞い降り 人間を生きている私達魂は 
つまるところ、皆、微笑ましいどんぐりの背比べ。

そこには上も下もなく、肩書も、どこに住んでいるかなども関係ないのに、
どんな場面においても 自分が上で 
ちやほやされることが心地よい、人から賞賛されるのは大好きだけど
他の誰かのステキな所は中々認めようとしなかったり、
減るもんじゃないのに(笑) 頑なに口を結び
褒めることは一切なく観察に徹するという方をお見受けする時、
「この人は今までいつも誰かと比べられ?悔しい思いをしてきたのかな?
だから出逢う人は皆、ライバルのように感じてしまうのかな?
それとも何か別のトラウマがあるのかな?」とも思いますが、
同時に心の中で「でも不思議だな~、相手のいい所を言葉に出し伝え
褒めたからといって自分の中にある大事なものが減る訳でもないし、
自分がその人の下になる、とかそんなことでもないのに・・・
捻くれちゃってるな~。かなり勝気な人なのかな?(笑)」と思い、
自分とは正反対のソリが合わないタイプの人だろうな~と思います。

地名は伏せますが、時々初対面の方でこちらから聞いていないのに、
自信満々に 東京の○○に住んでます、と仰る方がいますが、
私はそれを聞いても やっかみなどのそれではなくて、
あら、凄いですね~とは思わないのですが(笑)
東京に限ってではなく、私の住む県の、ある地域に住んでいる
複数の方も言葉の端々からその地名をどこか特別と感じ、
ステイタス?のように思われていらっしゃるのか、
よく、ご自身の住む地名の話しをされますが、
私は地名だとか、皆が当たり前の様に出向く
どこそこの有名スポットと言われるところにもあまり関心はなくなので
あら、そうですか、という感じです。
逆に、地方出身の方々の多くはご自身の住まう場所を
すごく田舎なんですと卑下するようにおっしゃられ、
中には都会に物凄く憧れを抱いている方もいらっしゃいますが、
私は本当に美しく健やかで幸せな暮らしって・・・・・?と思う1人です。

植物がイキイキとし、空気もお水も美味しく、時間がゆったり流れ
人も穏やかetc・・・恥ずべきなんて とんでもないことです。

本当の贅沢とは何か・・・・
多くの人達が気付き始めているような気がします。
私にとって都会のある場所はステキに思う憧れでもありますが、
時折訪れ 感性を磨いたりリフレッシュする所であり、
のんびりマイペースな私がそこに住めるかと言えばNOです。

ご縁あって生まれ育った、もしくは今住んでいるその土地を
多くの人が自慢のそれではなく、胸を張って私は○○が大好きです。
だから住んでいます、こんな所がとても素晴らしいんです、と言えたなら
とっても素敵な気がします。
因みに私も自分の生まれ育った土地であり、
住まう土地が大好きです。

話し変って、
子供の頃は兄弟や友達と喧嘩をしても根に持つことなく
どちらからともなく素直にサラッと「ごめんね」を言えて
すぐに仲直りできるのに、大人になるにつれて、
ピュアなごめんね、またヨロシクね、のシンプルな言葉が
中々出て来ないような方が多い様な気がします。
代わりに出るのは自己弁護であったり、
相手に嫌われたくないという思いからの
よく分からない表面的なごめんね、だったりします。

こんがらがりかけた結び目をほどく為に何度働きかけた所で
無視を決め込むという、兎に角冷めている人もいました。
マザーもおっしゃられたように、
無視、そこに存在するものをなきものとしてスルーする、ということは
人として冷酷だな、と私もそう感じます。

あるインタビュー番組の中である方が
「情」という字は、心が青い、と書くetc・・・とお話しされていましたが、
ものすご~く腑に落ちました。

得てして、情に溺れるとか、情に走りやすい、とか
あまり宜しくない言い回しとして使われることが多いこの言葉ですが、
私は個人的に「情」のある人、情が深い人、
感性が揺さぶられ反応が返ってくる人が信じられるし好きです。
だんまりを決め込み、常に冷静に 水面から眼だけを出し、
広い視野から周りを見渡す、というのも
時と場合によっては賢く、勿論必要と思いますが、
心が青く、熟していない私は(笑) 
生涯、様々に反応し、感情の生き物である人間として、
カッコつけずに引き続き 喜怒哀楽を慈しみ
時に熱くなり、感じることをやめないでいたいと思います。