魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

祈りの国

2017年08月11日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、ジャパンディスプレイ(JDI)は先行するサムスンを追い上げる形で、有機ELを大型パネル中心に、異なる製法で安く売り込むと意気込んでいた。
「やれやれ、またか」と思った。

ちょっと前には、日本の業界は「3D」で、と意気込んでいたが、案の定、日本テレビの挽回に、何の効果も無かった。
日本の企業が、有機ELを開発した時、何時出るかと待っていたが、モデル機のようなものが出た後、実際に有機ELで華々しく先行したのは韓国で、日本は消えてしまった。

太陽光パネルも、いつの間にか中国製品が横行し、電気自動車も中国に攻勢をかけられている。
高度な液晶技術を持っていたシャープも、実質中国系企業に買収され、東芝は虎の子の半導体部門を売りに出すと大騒ぎをしている。
技術があっても運営能力が無い。職人に商売はできない。他人の褌で相撲を取る商売に強い大陸勢に、ことごとく「してやられて」いる。シャープに至っては、買収されたとたん、V字回復した。

祈りの国ニッポン
自分の技術でやられてしまってから、もっと良いモノさえ作れば、挽回できると思うのは、「ものづくり」職人の習性であり、現実を見て、駆け引きのできない日本人の、「祈り」の習性だ。祈りとは、現実に関係なく観念を実現させようとする心の世界であり、観音経の「念彼観音力」の世界だ。日本人がもとから信心深かったのか、仏教伝来によるものか、とにかく、日本人は切羽詰まると、現実を見なくなる。

国や民族の集団的習性が最も現れるのは、死活の極限状態に置かれる戦争だ。
日本は平時においては、将来の勝敗の鍵を航空戦力と予見し、飛行機や空母を開発し、太平洋戦争開戦時、真珠湾やマレー沖で華々しい戦果を挙げた。にもかかわらず、肝心なミッドウェーの決戦では、優等生の将官が指揮を執り、空戦に長けた将官の意見を無視して大敗北をすると、その後は航空戦力を消耗品とみなして、既に無意味になった巨艦巨砲の大和・武蔵に頼った。
ところが逆に、日本の航空戦力で痛い目に遭った米国は、航空戦力の重要性に気づき、徹底的に航空戦力を増強した。

今日本は、経済戦争の劣勢の中にいる。ここでまた、現実を見なくなる悪いクセが出ている。東芝は唯一の挽回の鍵の半導体部門を手放そうとし、JDIは既に決着の付いた有機ELで決戦を挑もうとする。負けた理由を直視しないから、勝利=挽回の突破口が何かも分からない。東芝は上場維持だけを祈り、JDIは有機ELだけに祈っている。
東芝のすべき事は、上場を捨てても軍旗(独自技術)を死守することであり、JDIは有機ELも良いが、先ず相手の持たない分野から切り崩していくことだ。
今求められていることは、「駆け引き」なのだ。劣勢にある時は、残された力を温存しながら、相手の弱点を突き、一気に反撃に出る。
中韓が日本に対してやったことは、日本の技術者を引き抜いて、同じものを安く作ったことだが、まさに、日本の弱点、雇用制度の盲点を突いたものだった。

もちろんこれは、何も持っていなかった中韓の戦法だが、日本には、長年培った知恵と技術が大量に埋まっている。エネルギーにしても、なぜ、原発にばかり帰ろうとするのか。
どれもこれも、目覚めて裸一貫の初心に帰らなければ、持ち駒を大量に抱えたまま、詰め将棋が詰んでしまう。


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