魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

AI神官

2017年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ようやく、地震予知を不可能と認めた。と、言っても、これまでのような意味での予知が不可能なのであって、これからも地震研究は続けられる。
蒸気機関車で時速600㎞は不可能とわかり、駅の給水塔を撤去し、配電所を建設することにしたようなもので、考え方を変えても、目的が変わったわけではない。
地震から命と財産を守る最良の策を模索し、とりあえず、現実の防振と避難を優先するそうだ。

これまでの発想では、地震予知は不可能とわかったことは、一つの大きな前進だ。地震研究の発展により、多くの知見を得たことは輝かしい成果であり、すでに、減災に大きく役立っている。大津波による死者が、スマトラ地震の1/10であったことが何よりの証しだ。
しかし、それでも甚大な被害を出し、起こさなくても良い原発事故まで起こしたことは、科学技術より、人間の心の問題の方が大きいことの証だろう。

地震予知は、近代科学的な発想では不可能だが、AIの出現は、「予知」のブレイクスルーになりそうだ。
AI思考の目指すところはは占いに近いと思う。人間が理解できるレベルを超えた論理で答えを出すことの可能性に、一番近いのはAIではなかろうか。
しかも、AIという権力やハッタリとは無縁の存在が発する答えは、他人の言葉に常にケチを付ける人にも、冷静に聞かせる。
話しを聞く前から、責任追及を考えている人でも、「まあ、しょせんは機械の言うことだから」と寛容にさせるか、逆に、人知を越えた神のようなAI様のお言葉だから、間違いないと、聞く気にさせる。それだけでも、AIに予想させる意味がある。

責任を取らないAIの予想は、それを単なるデータとして公開できる。確率で予想する天気予報のように、常時、発表すればいい。天気予報が始まった頃は、誰も気象台に責任を取ってもらおうとか、抗議しようとか思わなかった。当たるようになってから抗議する人が現れた。人間は欲が出る。
AIによる地震予報を、確率として始めればいい。それを聞いて心の準備や対策を取れれば、それ自体で減災効果がある。

AIに投入するデータは森羅万象だ。自己収集の他に、これまで、まともに相手にされていなかったような、ウナギの動きから、雲の形状、夕焼けの色、交通事故の発生率、幼稚園児の喧嘩、国際情勢まで、ありとあらゆるものを入れて、AIに考えさせてみる。おそらく、初めはとんちんかんでも、そのうち、相当な予知率になるだろう。

占いに秘められた英知は、こびりついた旧弊に封じ込められ、近代科学から否定され、知見として顧みられることはなくなったが、その志は、何世代も経て、AIとして現れてきたように思える。論理だけに頼らない、「知恵」の発見に大いに役立つはずだ。
医療、技術開発、社会システム・・・あらゆる方面での助言をしてくれることだろう。
ただし、これはあくまで助言であって、古代の神官やシャーマンのように、AIに全てをゆだねるようなことは、初めから警戒しなければならない。


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